私たちは普段、何気なく生活していると、健康であるということが当たり前に思えてくる。
そのために、今日も一日健康で過ごさせて頂いて有り難いとお礼を申せる心が少ないと思うのです。
病気にかかったりケガをしたことがあると、普段の何気ないことがこんなに難しいのかと思えることがある。
そんな時には、元気になったらこの思いを大切にしてお礼を申していこうと心に決めたりするのだが、いざ健康になってしまうと苦しい時を忘れて同じような生活をしてしまうことがある。
そしてまた同じ失敗をしてしまうことがある。
信心させて頂くと何が変わってくるのか、それは一つには、心を大切にしていくことだと思う。
病気の時の苦しい心、改まった時の心、人が病気で苦しんでいる時に思いやれる心、そうした生活の中には、段々と当たり前と思うことが無くなってくるんです。
「日々がさら」三代教主金光様のお言葉ですが、日々、生きていることが有り難い。健康であることが有り難い。今ここに居らせていただいていることが有り難い。人に出会わせて頂いたことが有り難い。
一日一日を大切に過ごしていくことにつながってくる。そうすると、人との接し方、物との接し方、起こってくる事への取り組み方。
生き方が徐々に変わってくると思うのです。それが信心させて頂く中にいるのだと思います。
そうすると信心させてもらっていても、話を聞いて分かっていても、実践に移すことが出来ない、改まる事が出来ない、かたくなに常識や世間の当たり前を固持していこうとすると、いつまで経っても信心が進んでいるとは言えないわけですね。
けれども、その殻を取り除いてみたら、助かりの道が開けてくることもあります。
要は何をするにも、事を成す時に何が本当に大切なのか、誰が一番苦しんでいるのか、共にいて助けてくれているのは誰なのか、その事を考えることが必要だと思います。
殻を破るのは難しいもの、まさかの折りには「一心」でなければ破れませんが、常日頃からであれば「アリの一穴」ではありませんが、一つずつ一つずつ、心を変えていくことで、殻も破れることだと思います。
「いつも健康であることが有り難い」その事一つでも忘れないようにしたいものです。
教会だよりトップページへ戻る
投稿の雑記帳へ行く
投稿いただいたお話一覧へ戻る
Copyright(C)2001-2023 Konkokyo Church of TosaTakaoka. All rights reserved.