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〜いのちを知ること〜(編集長)

生まれたるいのちの中の輝きに、教えられるる生きるいのちを。
つながりしいのちを知らぬ悲しさよ、伝えるいのち和賀心から。


近年、核家族化が進む中、さらに少子化の中で、いのちにふれるという機会が少なくなったと思う。

何世代もの人が同じ家で暮らしていると、病気をする人、寿命を迎える人、また新たにいのちを授かる人など、考え方一つにしても様々なことを学ぶということができる。

学校では学べない、知識や頭の中の想像だけではない、実際に、その瞬間しゅんかんを体験し自分の経験とすることもできるし、その中で本当の大切なことも得ることができる。

生きるということがどういうことなのか、死ぬということがどういうことなのか。

自分の身をもって感じたことが、教えられることの知識よりも多いことがある。

人のいのちを奪う、また自らのいのちを捨てる。

その中に関わる中に、どのようなことを感じるのか。

最近では、死んでも生き返ることがあると答える人が増えていると聞く。

しかし、人の死にふれたことのある人は、死んだ者が二度と再び生き返らないことを知っている。

映画やゲームのように生き返ることはない。

宗教上の奇跡というものでも、本当のところ死んでいる者が生き返るということはない。

死にきっていない者が、何かのきっかけで助かったということではないかと思う。

最後の最後、意識の中で、いのちをこの世につなぎ止めるきっかけになるものが、いわゆる宗教の奇跡なのだと私は思うのであります。

ただ本当に死んだ上にも、その死んだ者の意志を受け継いで他の人が生きるということはある。

いのちを伝える、いのちを受け継ぐということはそういうことだと思うのであります。

ただ意志を受け継ぐ中にも、口やかましくいうだけでは伝わらない。

黙々としている姿を見せておくということがいると思うのであります。

声に出していわずとも見ていることもある。

後になって受け継ぐ気があれば思い出すことも多いものであります。

いのちを輝かすのも消してしまうのも、他人ではありません。

まず自分自身が、いのちを輝かす働きを求めさせて頂きたいものであります。

良いものを受け継ぎ現す心が和賀心であると思うのであります。

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