scene.1


「ねぇ、お願いよまこちゃん!」
 昼休み、まことはクラスメイトの永嶺絵美菜に廊下で呼び止められた。
 絵美菜は演劇部の部長を務めていた。今度の発表会で、とある劇をやることになったらしいのだが、男役がいなくて困っているのだと言う。そこで、同じクラスのまことに白羽の矢が立ったと言うわけである。
 まことは女の子にしては身長がある方なので、男役としては都合がいいと言うこともあるのだろう。
「ねぇ、駄目? 是非やってもらいたいんだけどな」
 絵美菜はまことの顔を見上げた。小柄である絵美菜は、まことと話す場合は首をかなり上向きにしなければならない。
「絵美菜には悪いけどさ、あたしには演劇なんて無理だよ。バイトもあるし、時間がない。人出が足りないのなら、いいやつをひとり紹介してやるぜ。ルックスもいいから、問題ないだろ? あ、お前の方が可愛いけど………」
 まことの脳裏に美奈子の顔が浮かんだ。アイドル女優を目指している美奈子は、演技もなかなか上手だった。おまけに美人である。もっとも、目の前にいる絵美菜も、美奈子に負けず劣らず美人である。彼女は演技力も素晴らしいのだが、いかんせん身長がない。男役には向かないのだ。
「大丈夫! セリフはそれほど多くはないし、出番もそう何シーンもあるわけじゃないから………」
「男子部員いるんだろ?」
「駄目なの。あの子たちには別の役をやってもらうから」
 演劇部のふたりの男子部員は、ともに二年生だった。だから、絵美菜は彼らを「あの子たち」と言ったのだ。
「う〜ん。まいったなぁ………」
 まことは頼まれると嫌とは言えない性格だった。付け加えて言うならば、困っている人を見過ごすことも出来ない質だった。
 自分に必死に頼んでいる絵美菜の表情を見れば、彼女が本当に困っていると言うことは痛いほど分かる。(絵美菜の演技と言う可能性は、まことは考えなかった)
「どうしたの? まこちゃん」
 返答に困っているまことに、たまたまその場を通りかかったうさぎが声を掛けた。
「いいところに、うさぎちゃん!!」
 絵美菜の目が輝いた。絶好の助っ人登場である。うさぎに協力してもらってまことを堕とす。絵美菜は瞬時に脳裏で計算した。うさぎを味方に付けるべし!
「うさぎちゃんからも言ってくれない?」
「へ? なにを!?」
「まこちゃんに演劇部の助っ人を頼んでるのよ」
「おおっ! まこちゃん、かっこいい!」
 うさぎはけっこう無責任である。まことが舞台に立っている姿を見たいので、絵美菜の味方をする。絵美菜の作戦は成功である。
「美奈じゃ駄目なのかい? 何なら、あたしが美奈に頼んでやろうか? あいつ、けっこう演技上手いよ。中学の時、何かのショー取ったらしいし………」
「この役は美奈子ちゃんて感じじゃないのよ。まこちゃんじゃなきゃ駄目なの!!」
 絵美菜はずいっとまことににじり寄る。その迫力に負けて、まことは一歩後退する。
「いいじゃないまこちゃん。やってあげれは? あたしもまこちゃんの舞台見てみたいし………。それに絵美菜たち三年生にとっては最後の公演になるかもしれないじゃない。成功させてあげようよ」
(うさぎちゃん、ナイス!)
 絶妙のうさぎのフォローに、絵美菜は心の中で小躍りをした。もちろん、表情には出さない。
 また、うさぎも別に絵美菜のフォローをしているつもりはなかった。純粋にまことの演技が見たいだけなのだ。
「う〜ん………。しょうがないなぁ………」
 ついにまことが折れた。
「やった! 引き受けてくれるのね!?」
 絵美菜は瞳をキラキラと輝かせている。余程嬉しいと見える。
「ああ! 絵美菜の頼みじゃしょうがない」
「ありがとう! まこちゃん、大好きよ♪ じゃ、さっそく放課後部室に顔を出してくれない? 台本を渡すから」
 かくしてまことは、臨時に演劇部の助っ人をするハメになってしまった。

 放課後、まことは絵美菜に連れられ、演劇部の部室へとやってきた。演劇部の部室は、商業科の四階にある。
 ちなみに三年の教室は三階にある。ついでに言ってしまうと、十番高校の商業科は各学年四クラスずつである。三階には二年生の二クラスが他にあり、二階には二年生の残り二クラスと一年生の四クラスがある。
 余談だが、うさぎは三年A組。まことと絵美菜は、三年D組である。
「ねぇ、志帆。麻理恵と響は?」
 部室の中を見渡すと、絵美菜は部室の隅っこの方で衣装を縫っている女生徒に訊いた。
「結城先輩と橘先輩ですか? 今日はまだ来てませんけど………」
 志帆は裁縫をする手を休めて顔を上げると、絵美菜に答えた。
「しょうがないわねぇ………。」
 絵美菜は呆れたように溜息を付いた。演劇部の三年は、絵美菜と今名前の出たふたりを含めた三人しかいない。姿の見えないふたりのうちのひとり麻理恵は、演劇部の副部長だった。
「ま、いいや。あのふたりにはまこちゃんのこと話してるし………」
 絵美菜はひとりごちた。
「ちょっと、みんな聞いてくれる?」
 部室中に響き渡る声を絵美菜は出した。そう言うところは、流石演劇部の部長を務めるだけはある。それ程大きな声を出しているわけではないのだが、声を通らせるツボを心得ている。
 部室にいる全員が、絵美菜に注目した。部室には、全部で七人の部員がいた。その中には、ふたりの男子生徒の姿も見える。彼らが二年生部員なのだろう。
「男役、彼らじゃ駄目なのか?」
 まことは最後の抵抗を試みた。しかし、絵美菜は小さく首を横に振った。
「ダメよ、あのふたり“大根”だから………。それに、まこちゃんくらいの身長ないとちょっとね」
 絵美菜は小声で答えた。確かにふたりの男子生徒はまことより身長が低い。
「今度の舞台のことなんだけど、エリスの恋人役のルークを、彼女にやってもらうことにしたわ」
「なにぃ!?」
 驚いたのはまことだった。ちょい役でセリフも少ないと聞いていたのに、蓋を開けると主役の恋人役だと言うのだ。
「わたしのクラスの木野まことちゃん。どお? かっこいいでしょ?」
 項垂れるまことを尻目に、絵美菜は上機嫌でまことを紹介する。
「わたし知ってます! 料理研究部に友達がいるんですけど、木野先輩ってとっても料理がお上手なんですよ!」
 先程絵美菜が話し掛けた女子部員が声を上げた。
「園芸部も掛け持ちされてるんですよね? お花を育てるの上手だって、友達が言ってました!」
 別の女生徒が言った。演劇部の部室は、瞬く間にまことの話で持ちきりとなった。まことがとりつく島もない。
(や、やられた………)
 まことがジロリと絵美菜を睨むと、彼女は両肩を僅かに窄ませながら、チロリと舌を出した。
「ま、乗りかかった船だ。しゃーないか………」
 まこととしては覚悟を決めるしかなかった。この場で強固に断るような真似をしたら、絵美菜の立場がなくなってしまう。
「まこちゃんのそう言うところ、大好きよ!」
 まことの呟きが聞こえたのか、絵美菜は微笑を浮かべて囁くように答えた。
「で、あたしの相手役は誰がやるんだい?」
「あれ? 言ってなかった? わたしよ」
 あっけらかんとした口調で、絵美菜はまことの顔を見上げた。
「おいおい。絵美菜とラブシーンするのか?」
「そ、そんなものないわよ!」
 絵美菜は頬を赤くしながら、慌てて叫んだ。
「なんだ、そうなのか………。絵美菜とキスができると思ったんだが………」
「ま、まこちゃん………」
「冗談だ」
「オトコできないから、そっちに走っちゃったのかと思ったわ。一瞬」
「走るかぁ!! だいたい、人のこと言える立場かぁ?」
「う………。い、痛いトコ突くわね」
「あの〜〜〜〜。いつまで漫才してるんでしょうか………」
 このままだと延々と漫才を聞かされそうな気がしたのか、二年生の男子部員が口を挟んだ。
「ああ、ごめん。千野くん」
 絵美菜はひと呼吸置くと、まことに部員たちを紹介し始めた。
「じゃあ、ちょうどいいから、二年の男子部員から紹介するね。今話し掛けた背のちびっこいのが千野くん。丸っちいのが二浦くん」
「先輩にちびっこいなんて言われたくないです」
 絵美奈に口答えする千野。絵美菜の言うとおり、千野は確かに男子としては背の低い方だった。絵美菜より身長が低いのだ。
「むっ?」
「い、いえ。なんでもないです………」
 絵美菜のひと睨みで、千野は黙った。
「ふたりは大道具及び雑用係だから、なんでも言いつけていいわよ」
「い、一応。舞台の方にも出るんですけど………」
 遠慮がちに言ったのは、絵美菜に「丸っちい」と言われた二浦である。太っているわけではないのだが、痩せているとも言い難い体型をしている。
「あそこの隅っこにいるのが志帆。衣装と演出を担当してもらってる。で、その横にいるのが恵利」
 志帆と恵利がちょこんと頭を下げた。恵利は先程、「園芸部の〜」と言った部員だった。
「それから、窓のところにいるまこちゃんと同じくらい背の高い子が和恵。その隣が沙輝、その沙輝の隣が琴音」
 三人は「宜しくお願いします!」と声を合わせて言うと、お辞儀をした。
「で、あとふたり三年がいるんだけど………。また、今度紹介するわ」
「来てるわよ!」
 不意に背後から声が聞こえた。振り向くと、ふたりの女生徒がこちらを睨むようにして立っていた。
「絵美菜! あんた、本当にこの劇をやる気なの!?」
 ふたりのうち、背の低い女生徒の方が、きつい口調で訊いてきた。絵美菜も美人だが、彼女もまた女性のまことの目から見ても美人だと思えた。まこととは面識はなかった。普通科の方の生徒かもしれない。
「やるわよ、当たり前じゃない」
「やめなって、こんな呪われた劇」
「呪われた劇?」
 只ならぬ言葉だったので、まことは眉間に皺を寄せた。
「ええそうよ。この劇………いえ、絵美菜がやろうとしているヒロインの役が呪われているのよ」
「麻理恵………」
「麻理恵は絵美菜が心配なのよ。この十年の間に、ヒロインの役をやろうとしていた子が、みんな何かしらの理由で死んでいるのよ! これが呪われていないって言える!?」
 もうひとりの部員が言った。今のやりとりの中から、美人部員が麻理恵と言う名だと言うことが分かった。
(きょう)の言う通りよ」
 麻理恵は肯きながら言った。
「絵美菜、悪いことは言わない。この台本はヤバイよ。違うのを選ぼう」
 麻理恵の言葉を受けて、その横にいる響が言った。だが、絵美菜は首を横に振った。
「いえ、やるわ。やらなければいけないのよ」
 まことにはこの時、絵美菜が何故これ程までにその台本の劇をやりたがるのか、分かっていなかった。