このストーリーは原作をそのまま小説化した作品です。現在続きを執筆中です。
 オリジナルストーリー以外のものも書きたくなって、時間があるときに続きを書いております。いつ完成するのか分からないので、短編集の方で紹介することにしました。


                    ACT.1 うさぎ SAILORMOON


 雀のさえずりが耳に心地よい。
 朝の白い光が、窓から部屋に飛び込んでいる。
 時計は八時を過ぎていた。起きなければいけない時間は、とっくに過ぎている。
 陽の光が眩しいのか、布団を頭から被って、月野うさぎは静かに寝息を立てていた。
 ヒヨコの形をした目覚まし時計は、三十分も前にご主人様に起きるべき時間を教えてあげたのだが、その努力は報われることはなかった。鳴き疲れたヒヨコは、今はぐったりと佇んでいるだけだった。
「うさぎぃ! 八時過ぎてるわよ!!」
 一階から母親の声が響いてきた。
 文字通りガバッと跳ね起きたうさぎは、枕元のヒヨコの目覚まし時計を見る。
 八時十分。
 時間を見た途端、寝ぼけていた頭はフル稼働し始めた。
 中学校の始業開始時間は八時三十分。家から中学校の正門までは全力ダッシュで十分。正門から教室までは約五分かかる。逆算すると、あと五分以内に家を出ないと間に合わないことになる。
 ピンク色の可愛らしいパジャマを豪快に脱ぎ捨て、素早くセーラー服に着替える。その間、僅か一分。慣れていることとはいえ、とんでもないスピードである。人間業ではない。
 ドタドタと階段を駆け下り、
「ア〜ン! なんでもっと早く起こしてくれないのよぉ!!」
 キッチンで悠長に新聞を読んでいる母親に文句を言う。
「何度も起こしたわよ」
 新聞を読みながら、月野育子はのんびりとした口調で答えた。息子の進悟も既に学校に出かけてしまったし、夫の謙之も勤務先の雑誌編集部に出勤していった。あとは手間のかかる娘のうさぎが学校へ行ってくれれば、しばらくはのんびりした時間が過ごせる。

 「セーラーV 大活躍! 強盗団壊滅!」

 芸能面にでかでかと掲載されている記事を読むことに、育子は夢中だった。
 セーラーVとは、最近活躍している謎のセーラー服戦士のことである。数々の難事件を解決している彼女の正体は、今のところは謎である。警視庁の特別捜査官ではないかとも噂され、その謎に迫るまで、何度かテレビでも特別番組が組まれることがあった。
「いってきまーす!!」
 もちろん、朝食を取っている暇などない。光の早さで歯磨きと洗顔を済ませると、そのままの勢いで飛ぶように玄関に向かう。
「うさぎぃ。お弁当いらないの?」
 相変わらず呑気な育子の声が聞こえてきた。
「………いる」
 柱の陰から半分だけ顔を出して、うさぎは返事をする。お弁当を受け取ると、脱兎のごとく駆け出していった。
「全く、誰に似たんだか………」
 育子ママの嘆きは、当然のことながら娘の耳には届かなかった。

「ああっ! 朝ってなんでくるの? 眠いよぉ………」
 大あくびをしながらも、うさぎは走る速度を緩めない。
 スポーツはあまり得意ではないが、この毎朝の学校までの猛ダッシュのお陰で、短距離走だけは優秀だった。
 中学校の正門が見えてきた。どうやら時間ぎりぎりで間に合いそうだった。
 ぶにっ。
 何か柔らかいものを踏みつけてしまったうさぎは、バランスを崩して転んでしまった。それでも不幸中の幸いで、転びはしたが綺麗に転んだために、どこにも怪我を負わなかった。
「イタタタ。なんか踏んづけちゃった」
 おもむろに起きあがり、四つん這いの姿勢のまま、顔だけ後ろに向けた。もちろん、何を踏んでしまったのか、確かめるためだ。
 やや後方に位置する地面に、自分が踏んづけてしまったものが、踏まれたままの格好で転がっていた。
「うそぉ─────っ。ネコ!? ごめんね、ごめんねっ。いたかった!?」
 慌てて駆け寄り、ネコを抱き上げる。
 黒ネコだった。少々弱っているようだが(彼女が踏んづけてしまったせいだと思われる)、命に関わるような弱りようではないように感じられた。
「んふふっ。かっわいーい! 許してねっ」
 思わず抱き寄せ、キスをしてしまう。食べちゃいたいくらい、可愛い黒ネコだったのである。
 ところが。
 バリバリバリ。
 黒ネコは、そのうさぎの好意を素直には受け入れなかった。前足をバタ付かせ、うさぎの顔を引っ掻いたのだ。
「なによ、ひっかくこと………。アラッ!? なぁに? バンソーコーなんか付けちゃって、どうしたの? え!? はがして欲しいの?」
 顔を引っ掻かれたことに一瞬腹を立てたうさぎだったが、すぐに黒ネコの額に罰点印に張り付けられているバンソーコーに気づいた。黒ネコは、そのバンソーコーをはがして欲しそうに、目で訴えていた。
 ベリッ。
 まわりの毛とともに、バンソーコーははがされた。黒ネコはするりとうさぎの腕を抜けると、頭を踏み台にジャンプして、近くのブロック塀の上に着地した。
「あらま。綺麗な三日月はげ」
 黒ネコの額には、見事な三日月型のはげがあった。厳密に言えばはげではないような気もするが、はげとしか表現できないような形の三日月だった。
 黒ネコは、ブロック塀の上からじいっとうさぎの顔を見つめている。
 キーンコーン。カーンコーン。
 うさぎの耳に、学校の始業を知らせるベルが飛び込んできた。
「ぎぇっ。こんなことしてる場合じゃないっ。もうアウトだわぁ───」
 慌てて全力疾走するうさぎだったが、既に無駄な努力でしかなかった。

「月野うさぎさんっ! まぁた遅刻なの!?」
 二年一組の自分の教室に駆け込んだ瞬間、ホームルームを行うために教室に来ていた担任の桜田春菜先生のヒステリックな声が、やっとの思いで辿り着いたうさぎを出迎えた。
 遅刻を現行犯で見付かってしまったうさぎは、哀れにも廊下に立たされることとなってしまった。
「んもーっ。か弱い女の子を、廊下に立たせたわねっ」
 文句を言ううさぎだったが、ふと、朝食を食べてきていないことを思い出した。思い出した途端、おなかが「ぐううっ」という素晴らしい音を立てた。
「えへへっ。朝食ヌキだもんね。あ〜ん………」
 鞄を持ったまま廊下に立たされていたうさぎは、鞄を開けて、可愛いナプキンに包まれた可愛らしいお弁当箱を取り出した。育子ママの作りたてのお弁当は、まだほのかに暖かい。
「お昼までほっといたら、冷たくなっちゃうもんねっ」
 ぱかりとふたを開け、お昼のためのお弁当を美味しそうに頬張った。
 そんなうさぎは、授業がそろそろ始まるので、教室に入れて上げようかと、春菜先生が神の岩戸を開けたことなど全く気付かない。
「───月野さんっ。ナニしてるのあなたはっっ」
 何とか教室に入れてもらったうさぎだったが、更なる悲劇が彼女を見舞った。先日行われた英語の中間テストの答案が返されたのである。
 結果は三十点。百点が満点のテストでは、けっして誉められた成績ではない。
「そんな風に弛んでいるから、こんな点数を取るんですよ!」
 答案を返されるとき、春菜先生の嫌みも追加されていた。

 その日の英語の授業は、先日行われた小テストの答案の答え合わせを行っただけで、終了となった。うさぎにとって憂鬱な一時間が、取り敢えず過ぎていった。
「もー。うさぎったら信じられないっ。女の子のくせに早弁なんて」
「だぁって、お腹空いてたんだもん」
 授業が終了と同時に、親友の大阪なるちゃんとお手洗いに行こうと、うさぎは廊下に出た。教室を出たと同時に、授業前での一連のことを、なるちゃんが注意をしてきたのだ。小学校からの付き合いのなるちゃんは、うさぎのずぼらな性格を、時折注意することがある。今日も女の子らしからぬ行動に走ったうさぎを、いつものように窘めたのだ。
「うさぎってば、女の子としての自覚がちょっと足りないんじゃない?」
「そんなことないと思うけどなぁ………。なるちゃん、女の子だってお腹空くんだよ?」
「それは否定しないけどさぁ。でも、早弁はちょっとね」
 うさぎの屁理屈をさらりと躱し、なるちゃんは言った。
 ふたりは教室を出たところで立ち話を初めてしまったわけだが、そんな彼女たちを呼び止める声があった。
「うさぎさん。テストどうでした?」
 振り向いたうさぎの視界に、ドアからひょいと顔を出している瓶底眼鏡の少年の顔が飛び込んできた。クラスメイトの中でも、おたくと賞されている海野ぐりおだった。
「ボク、今回は手ェぬいたんだケド………。テストなんて、ゲームっすよ、ゲームっ」
 自分の答案をぴらぴらと見せびらかしながら、海野はトコトコと歩み寄ってきた。
 95と言う赤い数字が、海野の答案には記されていた。
「ゲームぅ? あんたって、ホント、イヤミやヤツッ」
 げんなりとしながら答えているなるちゃんの点数を、うさぎは知っていた。八十五点という立派な成績である。自分にはどうがんばっても取れない点数だと思っている。
 それでも、なるちゃんは満足していないらしい。
「海野にだけは負けたくない」
 と、常日頃からなるちゃんは言っていたからだ。お嬢様育ちのなるちゃんは、自分から見ても美人だと思う。そして更に頭もいいとくれば、男性からの視線も違う。はっきりと言ってしまえば、なるちゃんはモテるのである。十番中学の中でも五本の指に入る人気度を誇るなるちゃんに、こうも異性の海野が気安く声を掛けられるのも、幼なじみという強みがあるからである。もっとも、瓶底眼鏡のおたく少年などは、ライバルの対象外だというクラスメイトの話を、うさぎはその地獄耳で聞いた。

 昼食を食べるメンツは、いつも決まっていた。うさぎ、なるちゃん、くりちゃん、ゆみこの四人が固定メンバーで、その四人の中に日によって海野が加わるのである。
 日によって加わる海野は、言わばゲストである。情報通の彼から、何らかの情報を得たいときに、うさぎかなるちゃんが誘うのである。今日に限っては特に理由がなかったのだが、なるちゃんが誘った次第である。
「そういえば、また都内で貴金属店おそわれたでしょ。多いわね、最近」
 会話が途切れた間に、ゆみこが思い出したように、今朝方見たニュースのことを話し出した。
「でも、セーラーVが捕まえたんですよね。その犯人」
 彼もそのニュースを見たのか、持参してきたダージリンを優雅に飲みながら、海野が話題に加わってきた。
「なによ、そのセーラーVって」
 普段なら軽く聞き流してしまう関連の話題だったのだが、聞き慣れない単語を耳にしたうさぎが、興味深げな視線を海野に向けた。
「知らないんですか!? 有名ですよ! セーラーVとは、ちまたを賑わしているセーラー服の正義の味方! 実は警視庁の特別捜査官と言う噂も………!」
 大袈裟な身振り手振りで説明に入った海野に、
「ふーん。そんなのが現れたの………。もう世紀末ね………」
 自分から尋ねたことなのだが、うさぎはさも興味なさげな言葉を、溜息とともに漏らした。そうでもしないと、海野の熱弁は留まることがないのだ。あっという間に昼休みが終わってしまう。
「このごろは強盗の他にも、へんな事件が続出してますからね。ニュースも要チェックですよ!」
 うさぎにあっさりと切り替えされたことにもめげず、自分の得意分野の話題だったので、海野はすっかり調子付いていた。人差し指を立て、得意げに語りだした。
「でも、分かるわぁ。宝石店とかおそっちゃう、キ・モ・チ」
「宝石って、きれいだもなねぇ。キラキラしてて。アタシ、ダイヤのリングがほしくってぇ」
 海野の話の腰を折らんとながりに、ゆみこが恍惚とした表情で言えば、くりちゃんがやけにまじめな表情で答えていた。
「なるちゃんちって、でっかい宝石店だよね」
 うさぎが付け加えるように言った。なるちゃんの上品で礼儀正しい性格は、実を言えば実家が宝石店であるということが、多分に影響していた。特に厳しく躾けられたというわけではないらしく、宝石店の女主人という自分の母親の姿を見て、自然と身に付いたものらしかった。上流社会の晩餐会等に母親共々出席することも多く、うきざから言えば雲の上の人々との付き合いの中から、なるちゃんが学んだことでもあるようだった。
「あたしルビーって大好きなんだぁ。パールもいいなぁ」
「エヘヘ。実はね、きのうから大バーゲンやってるのよ。あたしたちにも買えるやつとかもあるわよ」
 なるちゃんはさりげなく、店の宣伝をした。バーゲンと聞けば、目の色が変わるのが女の子のサガである。放課後はなるちゃんの店に直行することが決定した。

 「ジュエリー OSA・P」
 やや意味不明の感のある名前が、なるちゃんの母親が経営する宝石店の名前だった。一説には、既に他界したなるちゃんの父親の学生時代の愛称から取ったものだといわれているが、真偽のほどは定かではない。うさぎにとっては、お店の名前の由来などは興味のないことだった。
「真ん中は十億円のピジョン・ブラッド・ルビーよ。となりはイエロー・ダイアモンド。さすがにこのへんはセールできないケド」
 ショーケースにべったりと張り付いているうさぎとゆみこに、やや呆れ顔でなるちゃんは説明した。綺麗な宝石を身に着けたいと思うのも女のサガではあるが、さすがに十億円もする装飾品をパパにおねだりするわけにはいかない。指を銜えて、目の保養に留めるしかないのが、一般家庭に生まれたうさぎの悲しき運命である。
 店は大繁盛だった。宝石のバーゲンセールと広告が打たれれば、一般家庭の主婦が黙っているはずがない。一介のサラリーマンである旦那の給料では、アクセサリーのひとつも買ってもらえない主婦の方々が、この時とばかりにへそくり持参で大挙して押し寄せてきたのである。
 四人はおばさんが大騒ぎしている店内へと足を踏み入れた。
「それにしてもすごい人。しかも、おばさんばっかね………」
 くりちゃんが溜息混じりに言う。
 個人経営である「ジェエリー OSA・P」の店内は、それほど広いわけではない。二十人も人が入れば、窮屈な印象を受ける。
 店内のほぼ中央の位置で、プラスチック製のメガホンを片手に、元気のいい声を上げているのが、なるちゃんのお母さんだった。
「なるちゃん、おかえり。………お友達?」
 店内に入ってきた四人を、なるちゃんのお母さんはすぐに気付いてくれた。うさぎとは顔馴染みだが、くりちゃんやゆみことは初対面のはずだった。
「さあさあ、こんでるケド見ていって。安いのもあるのよ。なるちゃんのお友達なら、更におまけしちゃうわ」
 早口にそれだけ言うと、なるちゃんのお母さんは、セール品を漁るおばさんたちの方に行ってしまった。
「今までセールなんてやったことないのに、ママもとうとう商売に目覚めたかしら………」
 宝石は安売りするべからずをモットーに、なるちゃんの記憶している限りでは一度もセールなどしたことのなかった母親が、何故この時期に突然このようなことを始めたのか、いまいち納得ができない風であった。
「これ、かわいいーっ。あたし、テストの点よかったから、パパによだっちゃお!」
 早々と自分好みのリングを目聡く見付けたくりちゃんが、嬉しそうな声を上げた。その向こう側では、ワゴンのセール品に飛び付いているゆみこの勇ましい後ろ姿が見える。

 もっと、若いエナジーが必要だわ。集めねば、もっと………。

 ふと、そんな言葉が聞こえたような気がして、セール品を眺めていたうさぎは、弾かれたように顔を上げた。
「どうしたの?」
 なるちゃんの不思議そうな声。
「今、誰かあたしに話しかけなかった?」
「え? あたしには、何も言ってないわよ。ゆみこかくりちゃんじゃない?」
「ちょっと、違う気がするけど………」
 きっと、空耳だったのだろう。バーゲン品を漁るおばさんたちの声が、偶然にも混ざり合ってへんな言葉に聞こえたに違いない。うさぎはそう考えることにした。

 未だバーゲン品のワゴンから離れないゆみことくりを、なるちゃんに任せたうさぎは、おばさんたちの喧噪を背に、「ジュエリー OAS・P」から通りへと出た。
 鞄の隅へ追いやっていた、今日返されたテストの答案用紙を取り出す。
 30点。
 何度見返してみても、30点。答案用紙を逆さにして見ても、裏返して透かして見ても、それは代わることはない。
「はぁ〜あ」
 深い溜息を付いた。
「これじゃあ、ちょっとお強請りはできないわね」
 こんな結果を見せたところで、パパが喜んでくれるはずもなく、当然アクセサリーが欲しいなどとは言い出せるものではない。
「今月のお小遣いも、もうないし………」
 先日、好きなロックグループのベストアルバムを買ってしまって、財布の中は小銭しか残っていない。自分のお金で買うことすらもできない。
「くっそぉ〜! 何もかもテストが悪いんだ! こんなテスト抹殺!」
 どういう理論かは全く分からないが、全ての原因を答案用紙のせいにすることにしたうさぎは、くしゃりと力任せに握り潰すと、ぽいとばかりに左肩越しに投げ捨てた。
 と、次の瞬間。
「痛いじゃないか、そこのたんこぶアタマ。俺にまでたんこぶを作るつもりか?」
 ややトーンが低いが、澄んでよく通る声が、うさぎの背後から聞こえてきた。たっぷりの嫌味を含んだ言葉で………。
 それを黙って聞き流すうさぎではなかった。
「───っ! こっ、これはたんこぶじゃなくて、おだんごって言うのよっ! おだんごって
っっ!」
 顔を真っ赤にして、怒りを露わに振り返ったうさぎの目に飛び込んできた次なる光景は、先程抹殺した答案用紙をまじまじと見ている青年の姿だった。
「もっと勉強しろ、おだんごアタマ」
 そう言うと、青年はうさぎの顔に答案用紙を被せるようにした。
「なによぉ───。余計なお世話よっっ!」
 赤の他人に、自分のテストの答案用紙を見られてしまったことの恥ずかしさから、耳まで真っ赤にしたうさぎは、青年に対しあかんべーをすると、スタスタとその場から歩き去ってしまった。もちろん、返された答案用紙は今度は捨てることはなく、スカートのポケットに強引に突っ込んだ。
 しばらく歩くと、うさぎは足を止めた。先程の青年が気になったからだ。
 振り向いてみた。青年は先程と同じ位置に、未だに佇んでいた。
「なあによっ。こんな真っ昼間にタキシードなんて着ちゃって、キザなやつ」
 さっきは怒りのあまり青年の容姿にまで気が付かなかったが、改めて見てみると、こんな街には不釣り合いな格好をしていた。確かに六本木までは歩いていける距離なので、これから遊びにでも行くつもりなのかもしれないが、それにしては少しばかり早すぎる。男性にしてはやや細身の体にジャストフィットした高級そうな黒いタキシードに、少しばかり大きめのサングラス。濡れたように艶のある黒髪に、すらりと伸びた長い足。まるでモデルのようである。
 タキシードが普段着だなどと言う輩はいないと思うので、やはりこれからどこかへ出掛けるのだろうか。よく見てみれば、青年は「ジュエリー OSA・P」を見つめている。恋人へのプレゼントでも買いに来たのだろうか。だとしたら、現在「ジェエリー OSA・P」の店内は、おばさんパワーが溢れている
「あ、そっか、だから入れないんだ………」
 うさぎは勝手にそう解釈すると、くるりときびすを返し、家路へと急いだ。

 とは言うものの、こんなテストの答案用紙を持っていたのでは、このまま真っ直ぐ帰れるものではない。十番街をとぼとぼと歩いているうちに、うさぎの道草場所トップ3に常にランキングされている、ゲームセンター“クラウン”の前に来てしまった。今日に限っては特に意識してきたわけではなく、彼女の潜在意識がこの場所に誘ったものであった。
 これ見よがしに張り付けられている新型ゲームのポスターが、真っ先に目に飛び込んできた。

 「最後のアクションゲーム セーラーV!」

 ポスターが紹介していたゲームは、巷で噂のセーラーVをゲーム化したものだった。
「………いいなあ。セーラーVちゃんなんてさ、勉強しなくていいしさ。悪者退治なんてスカッとしそうだし」
 確かに学業に励んでいる正義の味方と言う構図は当てはまりにくいが、それでも彼らが学生であるのならば、きっと勉学に勤しんでいる時間もあるはずだと思う。
 だが、うさぎのアタマの中ではそんな図式が成り立つはずもなく、ヒーロー=勉強しなくていいやつ、と言うとんでもない等式が認識されている。この場合のヒーロー(正確にはヒロインだが)は、目の前のポスターのセーラーVである。
 羨ましそうにポスターを眺めているうさぎの横の自動ドアが開き、中から人が出てくる。自分と同じ年頃の女の子だった。セーラー服を着ていたが、十番中学の制服ではなかった。大きな真っ赤なリボンが、彼女のトレードマークなのだろう。
(セーラーVちゃんと同じ、真っ赤なリボンだ………)
 うさぎは心の中で呟いた。赤いリボンの女の子は、自分の横をするりと移動すると、十番街の人混みの中に消えていった。擦れ違う際、女の子は自分の方をちらりと見て微笑んだようにも見えたが、それが自分に対して微笑んだものなのか、それとも遊んでいたゲームが面白かったのか、うさぎには確認する術はなかった。が、咄嗟にうさぎは後者の方を選択した。
「ちょっとゲーセンよってこう」
 ゲーセンから楽しそうに出てきた女の子(既にうさぎのアタマの中はそう解釈されている)を見てしまったからには、ゲーマーであるうさぎは心穏やかではない。どんなゲームがあるのか、知りたくてうずうずしてきたのだ。
 と、考えた直後には体が動いていた。自動ドアを潜り、ゲームセンター“クラウン”の中に入る。お目当ては新機種。入り口で派手に宣伝しいる「セーラーVゲーム」である。あの女の子も、きっと「セーラーVゲーム」をやっていたに違いないという強引極まりない解釈が、うさぎを「セーラーVゲーム」の前に移動させていた。
 幸い席は空いていた。丸椅子に腰を降ろし、財布からなけなしの百円硬貨を取り出す。
 セーラーVゲームのタイトルが、画面に踊っている。スタートボタンを押した。
 シンプルな横スクロールのアクションゲームだった。多少レトロな雰囲気が、最近のポリゴンゲームに慣れていたうさぎの目には、かえって新鮮だった。
「えーっ。倒れないぞ、このザコキャラは………! 何が必殺技なのかしらっ」
 ゲームを操作しながら説明書を探したが、見える範囲にはそのようなものはなかった。コマンド入力式の必殺技がある場合、たいていコマンド表が見える位置にあるはずなのだが、全く見当たらなかった。
「おっ! うさぎちゃん、また制服で寄り道か?」
 それでもザコキャラを倒しながら、ズンズンと突き進んでいるうさぎの背後から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「セーラーVのアクションゲームだね」
「あっ、おにーさん!」
 声を掛けてきたのは、“クラウン”でアルバイトをしている大学生だった。甘えん坊のうさぎの心を擽る優しさを持っており、ちょっと目を付けている男性でもある。
「こんなゲームいつ出たんですか?」
 つい二日ほど前に寄り道したときには、全く気が付かなかった。入り口にポスターも貼られていなかったように思う。
「一年ほど前に出たヤツの第二弾だよ。けっこう難しいんだけど、アクションゲームの心得があるなら、女の子でもけっこう先まで進めるんだ。さっきも女の子が遊んでたんだぜ」
 うさぎに楽しそうにゲームのアドバイスをしながら、お兄さんはそう話した。
「女の子って、もしかして大きな赤いリボンをアタマに付けていたとか………」
 冗談のつもりだった。しかし………。
「そうだよ。あれ? うさぎちゃんの友達だっけ?」
「え!? い、いえ違うんですけど………」
 まさか本当にそうだとは思っていなかったので、うさぎの方が驚いてしまった。それがミスに繋がった。一瞬の隙を見逃さなかったザコキャラに、哀れセーラーVは倒されてしまった。
「初めてにしては、随分とがんばったね」
 お兄さんに誉めてもらえたうさぎは、少々照れくさかった。
「時間があるんだったら、もう一回やるかい? 今度は俺のおごり」
 そう言ってポケットから百円硬貨を取り出した。
「はい!」
 何にしても他人のおごりは嬉しいものである。感動のあまり瞳をキラキラさせながら、うさぎは大きく頷いて見せた。が、
「み゛ゃ〜〜〜」
 ゲームを始めようとした瞬間、何とも気の抜けた声が、足下から聞こえてきた。うさぎは視線を足下に落とした。
「あれっ? けさの黒ネコちゃんだっ。はいってきちゃったの?」
 足下には見覚えのある黒い猫が、うさぎを見つめるようにしてちょこんと座っていた。いつの間に来たのか、ゲームに夢中になっていたうさぎは、今まで全く気が付かなかった。いつまでも気付いてくれないうさぎにしびれを切らし、鳴き声を出すという実力行使に踏み切ったものと思われる。
「あー、このネコ、二‐三日前からウロウロしてんだよな」
「あはは、見て見て。ひたいに三日月ハゲがあるわ」
 どうやらお兄さんもこの猫を知っているらしく、この突然の珍入者に対しては特別驚くようなことはなかった。
 うさぎはと言えば、今朝方は時間に追われていたためじっくりと観察することはできなかったが、まじまじと見て見ると額に非常に特徴のある猫だと気付かされた。一見するとハゲのように見えたため、うさぎは大袈裟に言ってみたものだが、厳密に言えばハゲではないのかもしれなかった。三日月型の模様というのが正しい表現なのだが、今のうさぎはお兄さんのウケを狙おうことしか頭になかった。結果として、ハゲと言う表現方法を取ったのだ。しかも、ハゲと言う言葉にかなりの力を入れて………。
 身体的特徴を貶されることとなった黒ネコだったが、何かもの言いたげにじっとうさぎの顔を見つめていた。
「あ、えっと、そろそろ帰ろっかな、あたし」
 何とも気まずくなってしまったうさぎは、寄り道を早々に切り上げることにした。

「ただーいま」
「うさぎ、遅かったじゃないの」
 夕飯の支度をしていたらしい母親の育子が、キッチンからにこやかな笑みを浮かべながら現れて、帰宅したうさぎを出迎えた。寄り道してきたうさぎが、ギクリとするような鋭い一言を付け加えて。そして、更にうさぎがドキリとするような言葉が、育子の口から出てきた。
「さっき、そこで海野クンに会ったわよ。テスト九十点だったって」
「海野のやつぅ───。勝手にベラベラしゃべるなよっっ」
 うさぎは心の中で毒突いた。うさぎとなるちゃん、そして海野の三人は幼稚園以来の幼なじみである。親同士子供同士、よく知った仲なのである。恐らく、夕飯の買い物にでも出掛けていた育子が、帰宅途中の海野を発見して声でも掛けたのだろう。その時に、海野がテスト点数を自慢げに育子に語ったものと推測される。
「で、うさぎは何点だったの?」
「はい」
 殆ど反射的に、うさぎは答案用紙を育子に手渡した。にこやかだった母親の顔から、見る見る血の気が失われていく。無理もない。片やあと少しで満点に手が届くかと言う九十点。片や見るも無惨な三十点では、当然の反応だと言えた。
「こんな点取ってくるなら、もう帰ってこなくてよろしいっ」
 玄関先で靴を履いたまま育子に答案用紙を見せたうさぎは、一歩も家に上がることなく締め出しを食らってしまった。しかも、最悪のタイミングで弟の進悟が帰宅してきた。
「なぁにしてんだよ、バカうさぎっ。まーた締め出し喰らってやんの」
 うさぎのキュートなお尻に軽く蹴りを入れて毒突くと、
「オレはもちょっとできのいい姉がほしいね」
 と、あかんべーをする。
「進悟───っ。おまえは弟のくせにぃっっ」
 怒り心頭のうさぎは、
「セーラーVキィーック」
 先程のゲームでセーラーVが多用していた回し蹴りを、憎らしい弟の背中に叩き込んだ。………はずだった。しかし、残念ながら弟の方が行動が素早かった。うさぎが必殺の蹴りを放った時には、進悟は既に家の中に入っており、虚しく空を切るはずの蹴りは、こともあろうか頑強なドアを直撃した。
 いくらなんでもドアを蹴ってしまったのだから、うさぎの方がたまらない。一瞬の硬直の後、じんじんと痛みが襲ってくる。
「いたーいっ。入れてよママぁ───。開けてぇ───」
 脚の痛みも手伝って、大泣きを始めたうさぎが、ドアノブをがちゃがちゃやり出した。さすがに近所迷惑と、進悟に助言された育子が、直ぐさまうさぎを家の中に引きずり込んだのは、わざわざ言うまででもない。

 日も沈み、空には星が瞬き始めていた。
 昼間に比べると、人気もぐっと少なくなった十番街の町中を、更に人目を避けるように移動している影があった。路地から路地へと素早く身を動かしたかと思うと、ひらりと高空へ飛び上がり、今度はビルの屋上から屋上へと飛び移る。とても人間業とは思えない身のこなしであった。
 影はビルの屋上から裏路地へと飛び降りると、ようやく動きを止めた。
 夜もまだ七時ぐらいであれば、街は活動している。街頭や店内から漏れる明かり、往来する自動車のヘッドライトなどによって、街はまだ明るい。路地裏に身を隠しているとはいえ、すっかり闇に溶け込んでいるというわけではないその影は、何かを見つめているようであった。
 その姿は、ある意味奇妙であった。漆黒のタキシードで身を包み、同じく同色のシルクハットを目深に被っているばかりか、鮮やかな赤の裏地のこれまた漆黒のマントを羽織っていた。まるで仮面舞踏会にでも出席するような銀のアイマスクで瞳を隠しているその様は、さながら怪盗アルセーヌ=ルパンである。
 彼の視線の先にあるものは、間もなく閉店時間を迎えようという宝石店があった。本当に貴金属類を狙う強盗であるのなら、今夜のターゲットが閉店するのを待っているかのようでもあった。
 宝石店の名は「ジュエリー OSA・P」
 うさぎの親友である、なるちゃんの母親が経営している宝石店である。バーゲンセールを行っていたため、昼間はご近所のおばさま方で賑わっていた店内も、閉店が間もないこの時間では、殆ど客の姿は見えなかった。
 まだ行動を起こすのには早い時間なのか、漆黒のタキシードの男は、無表情のまま「ジュエリー OSA・P」を未だ見つめてたままだった。

「ふふふ………。だいぶ、エナジーが集まったわね」
 蛍光灯も点いていない暗い部屋の中で、満足そうな声が響いた。三十センチ程度の大きさの円筒形をした硝子状の容器の中に、何やら光り輝く物質が満たされていた。声の主は、その容器の中の光り輝く物質を眺め見て、満足げな声を上げたようであった。
「ヒトの生体エナジーを吸い取る、この特殊宝石を売りつけた甲斐があったわ」
 そう言って、美しく煌めく宝石を手に取ったのは、なるちゃんの母親だった。その姿からは、昼間店頭で商売に励んでいた活気が消え失せ、禍々しいまでの妖気が感じ取れた。醜く歪んだ表情は、その心を反映しているかのようであった。
「………しかし、肝心なものは、どうやらここにもないようだな」
 呟きながら辺りを物色する。
 その異様な物音を聞き付け、不審に思った娘のなるちゃんが、半開きになったドアの隙間から部屋を覗き込んだ。明かりも付けず、暗い部屋の中でゴソゴソ音が聞こえて来るともなれば、不審に思うのも当然だった。
「ママ、いるの?」
 ドアを開け、部屋に足を踏み入れた。部屋の隅にぼんやりと人の姿が浮かび上がる。背中を向けてはいるが、着ている洋服は母親の物だった。
「脅かさないでよ。泥棒でも入ったのかと思うじゃない。電気、付けるわよ」
 暗い部屋の中で何やら作業をしている母親に、半ば呆れたような声を掛け、なるちゃんは部屋の明かりを灯した。
「………ママ? 具合でも悪いの?」
 娘が入ってきたにも関わらず、一向に背中を向けたままの母親が心配になり、なるちゃんは手を差し伸べた。その手が肩に触れる。
「!?」
 驚いて、なるちゃんは思わず手を引いてしまった。まるで氷にでも触れたかのような感触だったからだ。
「ママ?」
 もう一度声を掛けた。
 その声に、ようやく母親が振り向いてくれた。醜く歪んだその表情が、なるちゃんに向けられる。

「う゛ーっ。泣いたら疲れちゃったよ」
 正に泣き疲れ。
 締め出しを食らった玄関前で、大声で泣き叫んでいたうさぎは、二日分ぐらいの体力を消耗したような気怠さを覚えていた。
 疲れたのは、何も泣き叫んだからだけではなかった。家には入れてもらったものの、延々と三十分間育子ママのお説教を聞かされた気疲れも含まれている。
 数学の宿題が出ていたので、取り敢えず机に向かってみるも、どうにもやる気が起こらない。考えることが面倒臭くなってしまった。(今日に始まったことではないが)
「ちょこっと………。ちょこっとだけ、ひと休み………」
 宿題をやるよりも別の欲求の方が強くなったしまったうさぎは、セーラー服のままベッドに横たわった。疲れたときの一番の薬は、もちろん寝ることである。
 うさぎの特技のひとつに、いつでもどこでもすぐに眠れるという技がある。例え授業中であろうと、その特技を使えばすぐに眠ることができる。ましては今は、勝手知ったる自分のベッドである。横たわった途端に眠ることができた。

 うさぎは夢を見た。
 夢の中で、自分が夢を見ていると認識していたので、果たしてそれが本当に夢だったのかは定かではない。夢のような映像が、頭の中に浮かんだと言う方が、実のところ正しかったのかもしれない。
 夢の中で、うさぎはゲームをやっていた。そのゲームは、下校途中に寄り道をしたゲームセンター“クラウン”でプレイした、あのセーラーVゲームだった。
 しかし、よく見ると記憶の中のセーラーVゲームと、少しばかり内容が違っていることに気付いた。主人公のセーラーVが、トレードマークの赤いリボンを付けていないのである。しかも、髪型も違う。左右でお団子状に結った髪型をしている。自分と同じ髪型だった。
(あーっ。これ、あたし? あたしがセーラーV!?)
 自分そっくりのセーラーVが、諸刃の剣を振り回し、次々と登場するモンスターを葬っていく。そして、ついにボスステージ。口から火炎を吐くボスモンスターを、激闘の末倒したセーラーVは、囚われていたゲームセンター“クラウン”のお兄さんと、黒い猫を助けた。その黒い猫の額には、見覚えるある大きな三日月ハゲがあった。
 バリバリバリ!
「きゃぁあ〜ん」
 突然の外部からの刺激に、うさぎはベッドから跳ね起きた。一瞬何が起こったのか理解できなかった。
「いったああいっ。ナニ、すんのよっ」
 何が起こったのか理解できぬまま、それでもうさぎは悪態を付いた。
「ハゲなんかじゃないわっ。失礼しちゃうわねっ」
 目の前で声がした。あの三日月ハゲの黒猫がいる。
 窓が開いていた。どうやら、窓を開けて部屋に侵入してきたようだった。
 綺麗な三日月が、窓の外に見えた。
(なに、今の声!? 猫がしゃべった!?)
 部屋の中には、自分と黒猫以外には誰もいなかった。ひとりごとを言ったつもりはないので、状況から判断するに、先程の声は目の前の黒猫がしゃべったとしか考えられなかった。
「コホン」
 黒猫が、まるで人間のような咳払いをひとつした。何かを説明する前の、人間ならではの仕草だった。
「あたしはルナ。あなたを捜していたのよ、うさぎちゃん」
 黒猫は言った。うさぎは何も答えられない。ただ唖然としている。ルナと名乗った黒猫は、そんなうさぎの反応を無視して再び喋りだした。
「バンソーコ剥がしてくれて助かったわ。ああされると喋れないし、探知能力は鈍るし。この辺のガキは、ホント悪ガキね。悪戯されて困ってたのよ。よかったわ会えて。見つからなかったら、どうしようかと思っちゃった」
 ルナはそこまで一気に喋ると、唖然として口をパクパクさせているうさぎに向かって、にっこりと笑みを浮かべて見せた。姿形は猫そのものなのだが、全てにおいて人間と同じような仕草をしていた。ルナが笑顔を浮かべた瞬間、一瞬だけ少女の顔とタブって見えた。遠い昔、会ったことのあるような懐かしい顔であったが、それが誰なのか、うさぎは思い出すことができなかった。
 その結果。
「おやすみ」
 現実逃避に走った。これは夢だ。夢に違いない。そう自分に暗示をかけた。
「分かったわ。目を覚まさせてあげる」
 ルナの溜息混じりの声が聞こえた。だが、うさぎはまだ目を開けない。
「うさぎちゃんにプレゼントよ」
 夢だと頑なに思う心に反して、瞼と体が勝手に反応した。「プレゼント」と言う覚醒を促す呪文が、うさぎの現実に引き戻した。
「わ───っ。かっわいーいっ。キレーッ」
 跳ね起きたうさぎは、次の瞬間にはそのプレゼントを受け取っていた。
 ブローチだった。中央のやや大きめの円の上下左右に、まるでその中央の円を守るように小さな円が配置されていた。中央の円は、下の部分が三日月状になっており、そこに美しい装飾が施されている。三日月以外の部分は、半透明のクリスタルのような材質でできていた。クリスタル、三日月ともけっして嫌味のない、品のいい黄金に輝いている。クリスタルの内部をよく見ると、円のほぼ中央の位置に、薄桃色をした円状の宝石が入っていた。宝石の前面部には、星の形をした装飾品が取り付けられていた。四つの小さな円も、どれもクリスタルのような素材でできていて、それぞれ、赤、青、橙、緑の輝きを放っていた。非常に手の込んだブローチである。
「これ、あたしもらっていいの!?」
 高価そうなブローチを貰ったうさぎは、早速鏡の前で試着している。既にルナの話は聞いていない。
「うさぎちゃん、ちゃんと聞いて!」
 セーラー服の胸のリボンの中央にブローチを着けて、鏡の前でポーズを取っているうさぎを、ルナはやや強い口調で窘めた。
 ルナの存在を一瞬忘れていたうさぎは、その声で彼女の方に向き直った。
「今、TOKYOは変な事件が続出しているわ。警察には手に負えないような、不思議な事件がね。うさぎちゃんも少しは知っているでしょう?」
「うん」
 うさぎは頷く。続発している怪事件のことは知っていた。学校でも話題になっていたし、雑誌編集社に勤めている父親からも聞かされている。
 ルナは満足そうに頷き返した。
「うさぎちゃんには使命があるのよ! 仲間を集めて敵を倒すの! そして、あたしたちの王女サマを捜し出して、そして………」
 ルナがそこまで説明したとき、異変が起こった。うさぎがセーラー服のリボンに取り付けたブローチが、突然輝き出したのだ。
「あたしの言うことが、まだ信じられない? 叫んで! 『ムーン………』」
 訳が分からないまま、うさぎはルナの言葉に続いて叫んでいた。
 “ムーン・プリズム・パワー・メイクアップ”、と。
 次の瞬間、うさぎの体を閃光が包み込んだ。沸き起こってくる懐かしい感覚。パワーが全身を駆け巡った。
 うさぎは変身していた。あのセーラーVと同じスタイルに。
 まるで現実からかけ離れた現状に、うさぎは困惑していた。変身してしまった自分の姿を、にわかに受け入れることができずに混乱していた。だが、混乱していたのも一瞬だった。再び予期せぬ事態が、彼女を襲ったからだ。
「え!? なに!?」
 変身した際のアイテムのひとつだろうか。お団子状に結った髪に付けられている円状の髪飾りが、アラームを鳴らして輝き出したのだ。
 ルナに言われるまま、うさぎはその髪飾りに意識を集中させた。
「助けて! 誰か助けて!」
 ひとの声が聞こえてきた。耳で捕らえた声とは違う。直接脳に響いてきたような感覚だった。知っている声のようだったが、誰の物なのか識別できない。
 脳裏に光景が浮かんだ。
「なるちゃん!?」
 うさぎの脳裏に浮かんだ映像は、なるちゃんが異形のモンスターに襲われている状況を映し出していた。
 なるちゃんの助けを求める声。生々しい映像。
「なるちゃんを助けに行かなきゃ。ルナ!」
 親友の危機的状況を見せつけられる形となったうさぎにとって、今現実に起こっていることは夢でも幻でもなかった。
 なるちゃんを助けなければならない。その思いが、うさぎを突き動かしていた。

 物凄い力で、なるちゃんは首を締め付けられていた。つい今し方まで、自分の母親の姿をしていた人物によってである。しかし、今は違っていた。母親の姿はしていない。皺の多い干涸らびた顔は、目だけが異様に生き生きと輝き、枯れ木のような腕からは想像も付かないような怪力で、自分の首を締め上げている。
「わたしはお前のママなんかじゃないよ」
 怪物は言った。
「お前の本当のママは、今頃地下室で餓死しているころだろうさ」
 なるちゃんにとっては、絶望的な言葉だった。その言葉が本当なら、かなり前からママと怪物が入れ替わっていたことになる。思えば、確かに最近のママはおかしかった。しかし、今となっては全てが後の祭りである。
 首を締め付ける力が次第に強くなる。意識が遠退いてきた。
 その光景の一部始終を見ていた者がいた。黒いマントにシルクハット。そして漆黒のタキシード。先程、路地裏からジュエリー“OSA・P”を下見していた、謎の人物である。見るに見かねた彼が助けに入ろうとしたその瞬間、新たな救世主が登場した。
「なるちゃんを放しなさい! この、ごうつくババァ!」
 可愛らしいと言う表現の方が合っている声が、突然響き渡った。タキシードの怪盗は、その声に思わず身を隠した。
「誰だ、お前は!?」
 なるちゃんを襲っていた怪物は、声が聞こえてきた方向に顔を向けた。こういった場面に登場する正義の味方の場合、本来なら直ぐに名乗りを上げるのが鉄則だが、この突然の救世主は何故か自己紹介を一瞬躊躇った。自らを何と名乗ったらいいのか、分からなかったからである。僅かに考えたあげく、彼女は自らをこう名乗った。
「愛と正義のセーラー服美少女戦士、セーラームーン」
 と。
「セーラームーン!? 聞いたこともないわ! そんなモノ!」
 怪物はセーラームーンと名乗りを上げたうさぎをじろりと睨んだ後、嘲るように高笑いした。
「さあ、目覚めよ! 我が大いなる支配者にエナジーを捧げた奴隷ども!」
 左手を高々と掲げ、怪物は叫んだ。邪悪な気配が周囲を包んだ。地の底からでも響いてきているような呻き声が、突然聞こえてきた。突如として怪物の周囲に、目から異様な輝きを放つ女性たちが現れた。二十代前半の若い女性から、五十代も後半に差し掛かろうかという女性まで、実に様々だった。ただひとつ共通していることは、その全てが女性であると言うことと、瞳からは意志を感じないという点であった。
「殺しておしまい!」
 怪物の号令を受けて、女性たちが一斉にセーラームーンに襲い掛かってきた。
「うさぎちゃん、ここでは戦えないわ! 外に出て!」
 ルナが叫んだ。確かになるちゃんの家の中で戦うわけにはいかないし、戦えるとも思えない。セーラームーンは入ってきた時と同様に、窓から外へと飛び出した。そこは「ジュエリー OSA・P」の裏手だった。通りには面していないため、通行人の姿は見えない。関係のない人を巻き込む心配はなかった。
「きゃん!」
 女性たちの攻撃は思ったよりも素早く、セーラームーンは慌てて体を翻す。が、運動神経はどちらかというと鈍い方のうさぎが、そんなに早く行動できるはずもなく、攻撃は躱したもののバランスを崩して足を滑らせてしまった。
 俯せにアスファルトに倒れ込んだセーラームーンは、膝を擦り剥いてしまった。血が出ているし、ひどく痛い。
「なに、これ!? 夢じゃなかったの!?」
 うさぎとしてみれば、夢を見ているつもりでいたのだ。夢の中での出来事なら、自分は誰よりも強いはずだし、どんな傷を受けたとしても痛いはずはないと考えていた。なのに、転んで擦り剥いた膝が痛いと言うことは、これは夢ではないと言うことになる。
「なにしてんのうさぎちゃんっ。戦うのよ! あいつをやっつけんのよ!」
 見かねたルナが助けに入った。ガラス瓶を砕いて武器にした女性をジャンプ一番牽制すると、セーラームーンの頭の上に飛び乗ってがなり立てた。
「ええ!? だってどうやって!?」
 格闘ゲームは大好きだが、自分自信は格闘などはやったこともないし、得意スポーツがあるわけでもない。変身していはいるが、何か特殊な武器を持っているわけでもない。ただ戦えと言われても、専門家でないうさぎに、この状況を打開するだけの戦術が立てられるはずもなかった。
「どうしてあたしがこんなめにあうのっ!?」
 精神がパニックに陥ってしまったセーラームーンは、その場にぺたんと座り込んで泣き出してしまった。だが、それが功を奏した。彼女の泣き声と共鳴するような形で、変身した際に装着された髪飾りから、特殊な音波が放たれた。凄まじい音の波動が周囲の空気を振動させ、近くの家の窓硝子をことごとく粉砕する。
 音波を受けた怪物が苦しみだした。頭を抱えて蹲る。怪物から指令が出なくなったためか、女性たちは力無くその場に倒れ込んで動かなくなってしまった。
 怪物を倒す絶好のチャンスの到来だった。しかし、セーラームーンはそんなことはおかまいなしに泣き続けている。
「泣くな! やるなら今だぞ、セーラームーン!」
 どこからともなく声が聞こえてきた。男性の声だった。どこかで自分を見ている男性がいる。
 セーラームーンはハッとなって泣くのを止めた。
「いまよ、うさぎちゃん! ティアラを取って!」
 頭の上でルナが指示を出した。セーラームーンは言われるまま額のティアラを外した。
 額から外されたティアラは、手の中で円状に変形をした。その形はフリスビーに似ていた。
「ムーン・フリスビー!」
 セーラームーンはティアラを怪物に向かって投げた。投げられたティアラは高速回転を始め、眩いばかりの閃光を放つ。ティアラは音波から解放された怪物の首筋に命中した。首を切断された怪物は、砂粒のようになりながらボロボロと崩れ落ちていく。
「“幻の銀水晶”は見つからなかったが、今夜はオモシロイモノが見れたな!」
 怪物が崩れ落ちていく様を茫然と見つめていたセーラームーンに、再び声が掛けられる。先程も聞こえた男性の声だった。
 セーラームーンは、慌ててその声の聞こえてきた方に顔を向けた。
 遠くに見える東京タワーとその斜め上に見える三日月を背に、ふわりと宙に舞うタキシードの紳士。
「わたしの名はタキシード仮面。セーラームーン、覚えておくよ」
 現代に現れた怪盗ルパンのような青年の横顔を見て、セーラームーンはうっとりしてしまった。“タイプ”だったのである。いわゆる一目惚れというやつである。
「よくやったわ、うさぎちゃん。こいつがなるちゃんのママになりすましていたのよ。なるちゃんのママは地下室に監禁されたけど、無事だったわ」
 いつの間にやらなるちゃんのママを救出したらしいルナが、セーラームーンもとへとやってきた。
「これで分かったでしょ? 邪悪な敵が侵略を始めたってことが。うさぎちゃんは戦士としてやつらと戦うのよって、聞いてるの、うさぎちゃん!?」
 タキシード仮面と名乗った青年に心奪われてしまったセーラームーンは、ルナの言葉などは全く耳に入っていなかった。

「でねっ。怪物に襲われたあたしを、例のセーラー服戦士が助けてくれたのよ!」
 翌日、なるちゃんが夕べの出来事をクラスメイトに報告していた。セーラームーンはあの後とっとと帰ってしまったが、なるちゃんの話では警察が来て現場検証をしたりして夜中まで大変だったらしい。
「どしたの? うさぎちゃん」
 校舎の陰でなるちゃんの話を聞いていたうさぎの肩に、額に三日月の模様を持つ黒ネコが飛び乗ってきた。声はその黒ネコから聞こえてきていた。
 セーラー服の胸のリボンには、綺麗なブローチが付いている。膝には大きな絆創膏。転んで時にアスファルトにでもぶつけたのか、体のところどころが痛む。
 夕べの出来事は、どうやら全てが現実に起こったことであるらしい。
「はぁ………」
 うさぎは大きな溜息を付いた。

To be continued...