ある日のレイちゃん
澄み切った青空。
爽やかな日曜日の午後。
レイは友人と、久しぶりに新宿に繰り出すことになった。言い出したのは友人の方だった。彼女はよく新宿に買い物に行っているらしく、前日の土曜日の晩に誘いの電話があったのだ。新宿などは滅多に行かないレイだったが、彼女が是非にと言うので了承した。十番近郊に住んでいるわけではない友人とは、新宿のALTA前にある「ライオンひろば」で待ち合わることになった。
待ち合わせに遅れることの嫌いなレイは、少しばかり早めに火川神社を出た。結果として、約束の時間の三十分前にALTA前に到着してしまった。
目印のライオンの像の前で、レイは行き交う人々の注目を浴びていた。美人のレイは、目立つのである。
「う〜ん。早く来すぎちゃったわ………」
よくよく考えたら、今日待ち合わせをしている友人は、どちらかと言えば時間にルーズな方だった。時間前に来るとは、とても思えなかった。
「どうしようかな………」
ALTAの大画面の映像を見るともなしに見ながら、レイはぼやくしかなかった。二十分くらい時間を潰そうかと考え、レイは本屋を探すことにした。雑誌でも立ち読みしながら、時間を潰そうと思ったのだ。
右の方に歩いていけば有名な書店があったことを思い出したレイは、「ライオンひろば」から離れた。交差点を渡り、有名なカメラの専門店の前を素通りする。カメラ等には、興味が全くないからだ。少し行くと、これまたちょっと名の通った喫茶店があり、店先ではイチゴ大福が販売されていた。
「うさぎが好きそうね」
美味しそうなイチゴ大福を横目でチラリと見る。売り子をやっているアルバイトの女の子と視線が合いそうになったので、レイは足早に店の前を通り過ぎた。
「あ、あった」
書店を見付けたのだが、道路を挟んだ向こう側だった。近くに横断歩道もないので、レイは結局「ライオン広場」の近くまで戻って、横断歩道を渡らなければならなかった。
「ちょっと、いいですか?」
書店に向かって歩いてると、突然背後から声を掛けられた。
「アンケートにご協力お願いしたいのデスが」
振り向くと、妙に前歯の突き出た痩せぎすの長身の男性が、自分を見下ろしていた。二メートルはあろうかという長身だったが、反面、線は細かった。横に付くべき肉が、全て立てに回ってしまったと言う感じだった。突き出た前歯が、妙に気になる。しかも、声が異様に甲高い。何かのアニメで見たような顔である。確か、「イヤミ」と呼ばれていたような気がすると、レイは思い出した。
「何のアンケートですか?」
暇だったので、少しばかり付き合ってやろうと、レイは足を止めた。
「OLの方の休日の過ごし方に付いてお聞きしているんデスが………」
イヤミ(仮名)は、言葉のイントネーションが少しばかりおかしかったが、残念ながら言葉の最後に「〜ザンス」は付けなかった。
「今、OLっておっしゃいました?」
自分の聞き間違いかと思ったレイは、確認の意味を含めて聞き直した。相手の機嫌を損ねてはいけないと、表情には笑みを浮かべた。
「はい。オフィ〜ス・レディのOLです」
イヤミ(仮名)は、妙なポーズを付けながら答えた。途端に、レイのこめかみに青筋が浮かんだ。キュートな笑顔が、瞬く間に消滅する。
「あたしは、高校生です!!」
親の仇でも見るようなもの凄い形相で、レイはイヤミ(仮名)を睨むと、スタスタとその場から立ち去った。
背後から、
「オー、マイ、ガァットォ!!」
と嘆く声が聞こえてきたが、当然無視をした。
「失礼しちゃうわね!」
レイはご機嫌ナナメである。確かに、レイは実年齢より大人っぽくは見えるが、花の女子高生を捕まえて、OLのアンケートなど失礼極まりない。「女子大生の…」と言われれば、暇つぶしに答えていたかもしれないが………。
あからさまに不機嫌そうな表情で歩いていたレイだったが、不意に背後から肩をちょんちょんと、叩かれたので足を止めた。
「しつこいわね!」
さっきのイヤミ(仮称)だと思って振り返ったが、そこにいたのはイヤミではなく、自分より背の低い太った男だった。
丸い顔にボサボサの髪、決してスリムとは言い難い体型で、背中にはリュックサックを背負っている。そのリュックサックからは、ポスターを丸めたらしい筒状のものが何本も突き出していた。所謂、「弁慶さん」である。何日も風呂に入っていないのか、独特の鼻を突く芳しい香りがした。
「うっ」
レイは思わず二‐三歩後退りした。その時、僅かに息を吸い込んだレイは、その芳しい香りを思い切り吸い込んでしまい、一瞬目眩を覚えた。
「弁慶さん」はレイの顔を見ると薄笑いを浮かべ、ズボンのポケットに手を突っ込むと、くしゃくしゃの紙を取り出した。モソモソとした動きで、「弁慶さん」は紙を広げる。
レイは思わずその動きに注目してしまった。何をやっているのか気になったからだ。
「弁慶さん」はくしゃくしゃの紙を広げると、レイの眼前に突き出してきた。
「友達になろ」
その紙には、ふにゃふにゃな文字でそう書かれていた。
レイがその文字を読んだらしいことを察知した「弁慶さん」は、レイの顔を見つめると、にやぁっと締まりのない笑顔を作った。
「ちょ、ちょっと冗談はよしてよ!!」
これには流石のレイも慌てた。あからさまに迷惑そうな表情をして見せた。これも一種の告白なのだろうが、とても嬉しくない相手である。
「ボクのどこが悪いんでしょうか?」
「弁慶さん」は泣きそうな表情をしながら、再びポケットに手を突っ込むと、先程と同じように、ふにゃふにゃの文字でそう書かれた、くしゃくしゃの紙をレイに見せた。
「………どこがって………。それより、なんでアンタはしゃべらないの!?」
どこが駄目かと聞かれても、見た目では全てNGの「弁慶さん」なのである。それに、こんなに近くにいるのに、何故紙に書いた文字を見せるのか。
しかし、レイは言ってしまってから、直後に反省した。この「弁慶さん」は、もしかすると言葉が不自由なのではないかと考えたからだ。
「いえ、ボクは口下手なもので………」
たが、レイの心配は無用だった。「弁慶さん」は、即座にこう書かれたくしゃくしゃの紙を、ポケットから取り出したのだ。
レイにこの紙を見せると、今度は口を開けて、にたぁっと締まりのない笑顔を作った。
ぷ〜〜〜ん。
口を開けた瞬間、死へと誘う恐るべき口臭が、レイを襲った。彼女の悲劇は、それをまともに吸い込んでしまったことにあった。
「○×△◆☆▼!!!!」
レイは一瞬石化した。どんな強力な敵にも屈することのなかったレイも、口臭攻撃には耐えられなかったようだ。
しかし、そこは百戦錬磨のレイである。自力で石化を解くと、くるりと体を回転させて後方に向き、大きく深呼吸をした。
「友達になろ」
前方に向き直ったレイの目の前に、再びこう書かれたくしゃくしゃの紙が突き出される。
「弁慶さん」は石化を伴う口臭を撒き散らしながら、にたぁと笑った。だが、今度はレイは口臭を吸い込まなかった。「弁慶さん」が笑おうとした瞬間に危険を察知し、呼吸を止めたのだ。
「ごめんなさい、さよなら!!」
レイは早口に言うと、光の早さでその場から立ち去る。
「い!?」
しばらく走ってから後ろを振り返ると、正にドスドスと言う表現がぴったり来るような走りで、「弁慶さん」が追い掛けてきていた。
「待ってよぉ〜。どーして行っちゃうのぉ〜」
ふにゃふにゃな文字でくしゃくしゃの紙に書いたその文字を突き出しながら、ニタニタ笑いながら迫ってくる。不気味この上ない。しかも、意外と足が速い。足の速いデブなのである。
「じょ、冗談じゃないわよぉ〜〜〜」
今度は全力疾走した。恐らく、百メートルを八秒台で走ったのではないかと思われた。オリンピックなら間違いなく、世界新記録で金メダルが取れたのだろうが、残念ながら公式記録は取れるはずもない。
角を折れたところで一息付いた。そっと後ろを伺った。「弁慶さん」の姿は見えない。どうやら巻いたようである。
「なんだったのよ、アイツ………」
レイは胸を撫で下ろす。ちょっと、駅から離れてしまった。折角時間前に来ていたのに、ゆっくり戻っていたら遅刻する時間になってしまった。
目の前の大きな通りを渡ると、「歌舞伎町」である。闇雲に走って逃げたら、ALTAの裏の方に来てしまったと言うわけだ。
「あ〜あ、最悪だわ………」
美味しそうなクレープの臭いがどこからか漂って来たが、今のレイには意味のないものだった。レイはがっくりと項垂れると、姿勢を正面に戻した。
「ひぇっ!?」
飛び上がって驚いた。目の前に、ひょろりとした長身の男が立っていたのだ。見覚えるあるその前歯。イヤミ(仮称)である。
「ちょっと、いいですかぁ?」
まるで外国人のようなイントネーションで、イヤミ(仮称)は話しかけてきた。
「アンケートにご協力お願いしたいのデスが………。OLの休日の過ごし方について………」
「あ、あのねぇ………」
レイは頭を抱えた。どうやらこの男は、先程自分に話しかけていることを覚えていないらしい。
「さっきも言ったけど、あたしは………」
そこまで言ったとき、背後から肩をちょんちょんと叩かれた。
レイは嫌ぁな予感がして、首だけを巡らして後方を見た。
「見ーつけた♪」
そう書かれたふにゃふにゃな文字が、視界に飛び込んできた。もちろん、にたぁと言う締まりのない笑顔と鼻を突く体臭、石化の口臭のおまけ付きである。
「すみません、アンケートを………」
正面のイヤミ(仮称)、後方の「弁慶さん」。絶体絶命の危機である。
「あ、UFO!!」
空の一点を指差してふたりの注意をそちらに向けると、レイは 奥歯を噛み締めながら、その場を逃げ出した。奥歯を噛む瞬間、「加速そぉち!」と思わず叫んだ。
しかし、よくもまぁ、こんな単純な作戦に引っかかるものである。ふたりとも追い掛けてこない。何で追ってこないのかと、気になって少しばかり後方に目を向ける。ふたりは、大通りの反対側のビルに見える、大きなハートを見上げて固まっていた。何で固まっているかなどと気に掛けている余裕はない。もう二度と会いたくはない部類の人たちなのだ。
「はぁ、はぁ、ぜい、ぜい………」
千五百メートルくらいは全力疾走しただろう。心臓が悲鳴を上げている。レイはこの千五百メートルダッシュで世界記録を樹立したのだが、残念ながら公式記録として残されることはなかった。
行き交う人々が、物珍しげにレイを見ていた。
肩を叩かれた。また、である。
「しつこいわよ、アンタたち!!」
振り向きざま、裏拳を放った。問答無用である。
「ふぎゃ!」
裏拳を食らった相手は短く呻くと、もんどり打って倒れた。しかし、その相手は──― 。
「え!? うそぉ!?」
振り向いたレイの視線が捉えたもの、それは───。
呆気に取られて目をまん丸にしているなるちゃんと、白目を剥いて地面に倒れてピクピクしているうさぎの姿だった。
あとがき
HP常連のえみなさんにネタを提供して頂きました。チャッチセールス・・・ホントに困りものだそうです(笑)