ある日のふるちゃん兄さん
不意にもよおした尿意のために、元基は目を覚ました。ゆっくりと体を起こす。ふわりとした感覚が、お尻から伝わってきた。
どうやらベッドに寝ていたようだ。上半身は何も着ていない。確認したわけではないが、下はパンツ一枚だけのようだ。
頭がガンガンと痛む。
おぼろげな記憶を辿る。
きのうは確か、大学のサークルのメンバーと六本木で飲んでいたはずだ。大騒ぎをしたあげく、隣の客と喧嘩をして店を追い出されたことを思い出した。酔っぱらった勢いでの喧嘩ということで、警察沙汰にこそならなかったが、親友の遠藤などはボロぞうきんようにされていたのは覚えている。
そのあとは一緒に飲んでいたレイカを家まで送ると言って、仲間たちと別れたはずだ。そこまでは覚えているが、それ以降の記憶がない。
元基はズキズキする頭を抱えたまま、懸命に記憶をまさぐった。
どうしても思い出せない。
それよりも、ここはどこだろうか? 見慣れない部屋である。窓には花柄の可愛らしいカーテン。華やかな調度の数々に、ヌイグルミまで置いてある。いやにオトメチックな部屋だ。もちろん、自分の部屋ではない。
「ん………」
真横で、吐息のなうなものが聞こえた。何かが僅かに動いている気配もする。
元基は視線を、右斜め下に向けた。
人が寝ている。髪が長い。寝返りを打ったためか、髪が乱れ、色っぽいうなじが露になっている。
元基の体に、正常な男の生理現象が起こっていた。
心臓が、バクバクと脈打つ。
(ま、まさか………)
元基の脳裏に、ある一連の出来事が走馬灯のように巡る。
(そんな………)
心の中で絶句した。そんなはずはない。いくらお互い酔っていたとはいえ、彼女がそんなことを許すはずがない。自分はまだ、キスすることも許されていないのだ。それをいきなり、こうなってしまうなんてありえない。
(だけど、まてよ………)
元基は考え込む。酔った弾みとはいえ、やってしまったことは仕方のない事実だ。もしかすると、これからはお互いの同意のもと、堂々とできるのではないか?
そう考えただけで、思わず体が熱くなる。
しかし………。
(ああ! なんてこった!! 全く覚えていないなんて………! 古旗元基、一生に一度の不覚………)
正に天国から地獄である。夕べの楽しい一時を、全く覚えていないとは………。酔っていたはいえ、そんなみじめな結果になってしまうなんて………。
(まさか、これっきりということはないよな………)
考えたくもないことだった。たった一度の行為を、覚えていない結果に終わるとは思いたくはない。こうなったら、もう一度チャレンジするしかない。しかし………。
元基の脳裏に、レイカが目覚めたときのことが浮かぶ。
きのうのレイカは、それほど酒は飲まなかったはずだ。したがって、記憶がなくなっているということは、ないはずだ。それならば、夕べの行為は(まだ、やったと決まったわけではないが)、レイカは承諾の上での行為ということになる。だったら、問題はない。しかし、もし彼女も記憶をなくしていたとすれば………。酔ったまま、お互いに訳の分からぬまま、自然の成り行きでしてしまったことだとしたら………。
結果は日を見るより明らかだ。
(ああ………! 酔っていたとはいえ、俺はなんてことをしてしまったんだ………。しかも、それを全く覚えていないなんて………)
この場で、自殺したい心境になった。
だが、やってしまったものは、もうどうにもならない。あともどりはできないのだ。
(いいな、お前は呑気で………)
男の生理現象を見つめたまま、元基は深いため息をついた。
「ん、んん………」
レイカが寝返りを打った。
元基はどきりとして、右斜め下のレイカに目を向けた。
(●△□!? ★★★!!)
何とも表現しがたい衝撃が、元基を襲った。
右斜め下で静かな寝息を立てているのは、レイカではない。かといって、全く知らない人物でもない。よーく知っている人物だ。愛する我が妹の宇奈月。それが、自分の右斜め下で、愛らしい寝顔を横たえている。
掛け布団から、セクシーな肩がはみ出している。素肌だ。寝間着を身に着けていない。
「お、俺はなんてことをしてしまったんだぁ!!」
声に出して叫んでしまった。酔っていたとはいえ、よりによって自分の妹と禁断の契りを交わしてしまうとは………!(注 まだ、そうと決まったわけではない)
そのとき元基は、自らの人生が崩壊していく音を聞いた。
「うおぉぉぉ………!」
頭を抱えて、獣のように吠えた。
「ふにゃ!?」
隣りに寝ていた宇奈月に反応があった。
元基は恐る恐る右斜め下に視線を動かした。
妹と目があった。
妹はぼんやりとした目で、自分を見上げている。口元まで布団を被っているために、目だけがパチクリとしている。その表情がたまらなく愛おしい。
「う、宇奈月………」
元基は掠れた声を出した。唇が乾き、喉がカラカラになっている。
「お、俺はまさか………」
「元くん、夕べはすごく酔っぱらってたね」
宇奈月はいつもどうり、自分のことを「元くん」と呼んだ。だが、妙によそよそしく聞こえた。
元基の脳裏に、悪夢が過ぎる。
「夕べは凄かったんだから………」
宇奈月は起きあがろうとはせず、くりくりした目で元基を見上げている。
「すっ、凄かったって、なにが………」
「なにがって、決まってるじゃない。なんなら、再現しようか?」
小悪魔のような視線で、宇奈月は見上げてくる。元基は益々、気が動転してきた。
「あたし、初めてだったの………」
初めてだったの………。
宇奈月の声が、脳裏に木霊した。
「う、宇奈月、すまん! な、なんて言っていいのか………。あの、その………」
しどろもどろになった。額に汗が滲み出てくる。
「すんじゃったことは、仕方がないよ………。元くん、酔っていたし………。あたし、忘れてあげる。その代わり、責任取ってよね」
「せっ、責任て………?」
「できちゃったときのよ」
「でっ…………」
元基は絶句せざずにはいられなかった。やっぱり、やってしまったのか。
「お、俺って奴わぁ! 取り返しのつかないことをしてしまったぁ………!」
頭を抱え、再び絶叫した。
「宇奈月ちゃん、それくらいにしないと、こいつ本気で気が狂うよ」
聞き慣れた声が、左側から聞こえてきた。
元基は、へ? となって、左側に目をやった。
毛布にくるまったレイカが、こちらを見ている。
「キャハハハハ! 元くんたら、本気で青ざめちゃってるぅ! かっわいいんだからぁ!」
上半身を起こして、宇奈月は指を差してケラケラと大笑いする。
「?」
元基は狐に摘まれたような顔をして、唖然としてしまった。状況がよく、飲み込めない。
これはいったい、どういうことだ? なにが、どうなったんだ?
元基の頭の中はパニックだった。
「古旗君たら、酔っぱらっててさ、あたしの家へは行かずに、真っ直ぐに自分の家に向かっちゃったのよ………。あたしも少し酔ってたから、古旗君ちに着くまで、全然分からなかったんだけど。………どうせ、何も覚えてないんでしょう………?」
レイカはやや頬を膨らませる。
キョトンとした表情の元基を見て、ぷっと吹き出した。
「レイカさんには、ついでに家に泊まってもらったのよ」
宇奈月は笑い混じりに言う。
そのあと、元基が事の全てを理解するには、半日もかかってしまったそうな。
あとがき
ふるちゃんの災難その一である。悪戯好きの妹にしてやられたってところですな。
よっぱらって記憶がなくなる。何をしたか全く覚えていない。なんてこと、ありますよね!?