ある日の美奈P


 人恋しい秋………。
 愛野美奈子はひとり、秋風吹く十番街を歩いていた。
「はぁ………」
 深〜い溜め息を付く。物憂げな表情で空を見上げる。
 澄み切った青空が、一面に広がっていた。
「ふぅ………」
 顎を右斜め下に引きながら、瞳をそっと伏せてみた。
「ふざけんじゃ、ないわよ!!」
 が、突然いきり立って大声を張り上げた。
「愛野美奈子、一生の不覚!」
 拳を握り締めた。その拳がプルプルと震えた。額には青筋が立っている。
 美奈子は不機嫌だった。その理由とは………。
「あんな、ガキンチョにこの愛野美奈子様が敗れるなんて!!」
 もちろん、喧嘩で負けたわけではない。その愛野美奈子様が歩いてきた方向を目で追ってみると、遙か後方にゲームセンター“クラウン”が見える。
 美奈子はゲームで負けたのである。しかも、得意とする対戦格闘ゲームにおいて、小学生に敗れ去ったのである。攻略家並の腕を持つ美奈子が負けることがあるとすれば、同じく攻略家並の実力を持つうさぎと対戦する時くらいである。つまり、並の相手では美奈子を倒すことはできないはすだった。
 しかし、負けた。小学生に。完敗だった。
 負けた瞬間は呆然としてしまった。ギャラリーもそれは同じだった。“クラウン”の常連ならば、美奈子の実力は痛いほど思い知らされている。美奈子がプレイ中に乱入する場合は、胸を借りる覚悟で乱入するのが常識だった。
「よろしくお願いします!」
 美奈子を知っている相手ならば、必ず一声掛けてから乱入する。乱入するタイミングも決まっていた。必ずプレイが勝利デモ等で中断している時に、乱入しなければならない。美奈子がキャラを操作している時に乱入するのは、“クラウン”では御法度とされていた。また、瞬殺されても連コインはしないのが常識である。そんなことをしたら、二度と“クラウン”に来れなくなってしまう。
 今日乱入してきたガキンチョは、美奈子を知らないらしく、いきなり乱入してきた。美奈子が気分良く、乱舞を炸裂させている最中だった。当然、美奈子の逆鱗に触れ、一回目は瞬殺された。しかし、ガキンチョは非常識にも連コインしてきたのである。そして、逆に今度は美奈子が瞬殺されてしまったのだ。これにはギャラリーの方が言葉を失ってしまった。美奈子の怒りが爆発するのを恐れ、固唾を飲んで状況を見つめていた。
 美奈子は怒りの形相で乱入してきた相手に詰め寄ろうとした瞬間、その相手がガキンチョだったことを初めて知り、愕然となったのだ。怒りよりも精神的なショックを受けてしまったのだ。


 人恋しい秋………。
 愛野美奈子はひとり、秋風吹く十番街を歩いていた。
「はぁ………」
 深〜い溜め息を付く。物憂げな表情で空を見上げる。
 夢遊病患者のように“クラウン”を出てきた美奈子は、フラフラと十番街を徘徊しては、時折悔しげに声を張り上げていたのである。
 深い溜め息を付いていたのは、別に失恋したからではなかった。
「もしもし、そこのお嬢さん」
 そんな美奈子を呼び止める人物がいた。
 目を向けてみる。サングラスを掛け、大きなマスクをした見るからに怪しい人物だった。背中を丸めているためか、背はあまり高い印象は受けず、目線は美奈子と同じ位置にあった。
「誰? あんた」
 美奈子はつっけんどんに訊いた。機嫌が悪いのだ。
「可愛いお嬢さん、是非うちの映画に出演してくださいませんか?」
 怪しげな人物が言ってきた。少しばかり甲高いが、男性の声である。
「映画ですってぇ!?」
 美奈子の表情が急変した。覇気の全くなかった表情に、いつもの美奈子スマイルが戻ってきた。
(見るからに怪しい人だけど、この人スカウトマンだったのね)
 美奈子の頭脳の中で、ペンティアムV1GMHz並の高速処理が行われる。
「出ます!」
 即決である。どんな映画かしらないが、この愛野美奈子様をスカウトするくらいだから、きっとカンヌ映画祭でも出展しようとしている映画に違いないはずである。
「う〜ん。表彰式には何を着ていこうかしら………」
 飛躍しすぎである。
「ではお嬢さん。出演していただけるということで、宜しいですね」
 見るからに怪しげな人物は、勝手な妄想をしている美奈子に向かって、事務的な口調で言った。
「ええ、オッケーよ………」
 美奈子は上の空で返事をする。
「車を待たせています。これから事務所へ同行して頂けますか? 様々な手続きをしたいんで」
「いいわよぉ」
 相変わらず美奈子は生返事である。
 怪しげな人物は懐から携帯電話を取り出すと、慣れた手つきで短縮コードをプッシュする。
「あ、わたしです。ひとり、Getしました。………商店街の入り口ですね。了解です」
 手短に用件を住ませると、携帯電話を懐にしまい込んだ。
「………ところで」
 美奈子は突然思い出したように、怪しげな人物に目を向けた。
「なんてタイトルの映画なの?」
「『カリブの貴婦人』と言うタイトルです。」
「え? て、コトは………」
「はい。お察しの通り、撮影は“カリブ”で行います」
「おお! グレイトぉ」
 美奈子はうっとりとした表情になった。既に気分はカリブ海に飛んでいる。

 車に乗り込んだ。豪華なワンボックスカーである。
 運転席の後ろに美奈子は座り、怪しげな人物はその隣に座った。
 こんがりと日焼けした肌にサングラスを掛けた青年が運転手だった。乗り込んできた美奈子に顔を向けると、白い歯を見せて挨拶をしてきた。
 ワンボックスカーは滑るように走り出す。
「そう言えば、まだお名前をお伺いしていませんでしたね」
「愛野美奈子よ」
 美奈子は即座に答えた。
「わたくしはこう言う者です」
 怪しげな人物は名刺を差し出してきた。美奈子は受け取り、マジマジと見つめる。
「(有)黒犬企画 スカウトマン 権俵溜五郎」と名刺には書かれていた。
「『黒犬企画』?」
 聞いたことのない映画会社である。とてもカンヌ映画祭に出展する作品を制作するとは思えない。
「ご存じないのは無理もありません。最近設立したばかりの会社ですから」
「ふ〜ん」
 美奈子は納得してしまう。そろそろおかしいと言うことに気付いてくれてもいいはずなのだが、何せ気分は既にカリブ海に飛んでしまっている。少しも疑問に思ってくれない。
「ところで美奈子さん。映画のご出演の経験は?」
「へ!? ありませんケド」
 何でそんなことを訊くんだろうと、美奈子はここで初めて疑問を感じた。一般市民なら、映画に出演したことがないのは当然である。もっとも、怪獣映画のエキストラなら可能性はないとは言えない。
「初々しくていいじゃない」
 運転をしている青年が、ちらりと後ろを振り向きながら言った。ちょうど赤信号で停止していたところだった。
「最初の主演で当たれば、2〜3本立て続けて撮影となります」
 スカウトマンの権俵氏が言った。相変わらず、サングラスとマスクは掛けたままである。
「立て続けって、オムニバスの映画なんですか?」
「いえ、一作品長くても六十分程度の映画です」
「短い映画ですね」
 美奈子はここでも疑問を感じた。が、まだ疑問を感じている程度である。もういい加減分かってくれてもいい頃なのだが、何せ心がカリブ海へ行ってしまって帰ってこない。
「“カリブ”に着きました」
「へ!?」
 青年の声に、美奈子は窓から外を見やった。「カリブ」と言う名の、ホテルが見える。
 車はすうっと、地下の駐車場へと滑り込む。
 車から降りた。
「“カリブ”って、ここですか? カリブ海のことじゃ………」
「誰がカリブ海なんて言いました?」
 美奈子の質問に、権俵氏はさらりと答えた。
「俺がリードするから、何の心配もいらないよ」
 青年が美奈子の腰に手を回してきた。耳元に口を近付け、囁くように言ってきた。
 もう気付くだろう、普通。
「ふ、ふふふふふ………」
 美奈子は俯き、不気味な笑いを発した。
「ふふふふふふふふふっ」
 肩を揺らして美奈子は笑う。権俵氏と青年は、流石に気味が悪くなったらしい。青年などは、美奈子の腰に回していた手を退けてしまっている。
「映画は映画でも、十八歳未満視聴禁止の方だったのね」
 ようやく気付いてくれたらしい。取り敢えずホッとした。
「ここまで来てイヤだなんて言って貰っても困るよ。わたしは名刺まで見せて自己紹介しているんだからね。騙した訳じゃない。お嬢さんが、ちゃんと確認しないのが悪いんだよ」
 権俵氏は言った。青年はニタニタ笑っている。
「アダルトビデオなんて………」
 美奈子は握り拳を作る。
「あたしってば、やっぱりアダルトな女性だったのね! あなたって、見る目があるわぁ! いいスカウトになるわよぉ!!」
 何だか訳の分からないことを口走っている。美奈子は自分の立場を、まるで理解していない。
「じゃあ、納得してくれたようだから、上に行こうか。監督が待っている」
 安心したように、青年は再び美奈子の腰に手を回してきた。
「それとこれとは、話が別よ!!」
 遂に美奈子の怒りが爆発した。青年の手をふりほどき、素早い動作で間合いを取る。「松坂クン! 逃がしちゃダメですよ!」
「分かってるって!!」
 ふたりはじりじりと美奈子に歩み寄る。
「今日の運勢は、そう言えば最悪だったわ………」
 美奈子はがっくりと肩を落とした。毎朝チェックするテレビの占いコーナーで、今日の天秤座は最悪の星回りだったことを思い出した。ついでにゲームセンター“クラウン”でガキンチョに負けたことも思い出していた。怒りが再びこみ上げてくる。
「今日のあたしはご機嫌ナナメよ!!」
 権俵氏と青年が、このあとセーラーVに変身した美奈子に、ボコボコにされたのは、詳しく語る必要もないだろう。

 人恋しい秋………。
 愛野美奈子はひとり、秋風吹く十番街を歩いていた。
「はぁ………」
 深〜い溜め息を付く。物憂げな表情で空を見上げる。
 澄み切った青空が、一面に広がっていた。





あとがき


 ここに登場する黒犬企画。知っている人ならばすぐにオチが見えてしまう。でも、さすがにこれ以上は描けません。
 マラヴィオランテスとその一味を出しちゃおうかとも思ったけど、無許可でそれはまずいだろうと、思い止まりました。それに妖魔が出て来ちゃうと、「ある日の」シリーズじゃなくなっちゃうし・・・。「ある日の」シリーズは、あくまでも日常生活の延長線なもんで・・・。