ある日のまもちゃん〜まもちゃん絶体絶命の巻〜
とってもマズイ状況かもしんない。
地場 衛は思った。
やはりこの場所は、自分にとっては鬼門である。
喫茶店パーラー“クラウン”には、自分はあまり来ることはない。どちらかと言えば女の子ウケするこの店は、どうもひとりでいると居心地が悪い。十番高校の学生も良く来るので、話し声がうるさい時がしばしばある。(その中には、うさぎたちも含まれる)
後輩の浅沼一等はひとりでもよく来ているようだが、衛が来る時は必ずうさぎが一緒だった。
しかし、今日は違った。いつもなら一の橋公園か有栖川公園で待ち合わせをするのだが、今日に限っては、パーラー“クラウン”で待ち合わせをしたいと言ってきた。理由は至極単純である。朝のテレビの占いで、喫茶店がラッキーポイントだったらしいのだ。朝出掛けに電話があり、急遽待ち合わせ場所がパーラー“クラウン”に変更になったというわけだ。
うさぎが待ち合わせ時間に正確に来るわけがないので、いつもなら早めに待ち合わせ場所に行く衛だったが、今日は時間ギリギリに到着するように時間を調整した。もちろん、店内にひとりでいる時間を極力短くするためである。
衛が店に入り店内を見渡すと、案の定まだうさぎは来ていなかった。大方掃除当番か、もしくは補習でも受けているのだろう。
衛が窓際の席に座ると、今し方バイトに入ったばかりだという宇奈月が、注文を取りに来てくれた。店内を見る限りでは、ウエイトレスは宇奈月ただひとりだった。訊いてみると、あと三十分後にまことがシフトに入っていると言う。
衛はアメリカンをオーダーすると、一端席を立った。トイレに向かうためだ。
衛はトイレの手前で、「あるもの」を拾ってしまった。本来ならそんなところに落ちているはずのないものだったのだが、慌てないところは流石に衛である。しかし、トイレを済ませてから落とし物として宇奈月に届けようと思って、ズボンのポケットにしまい込んでしまったのが運の尽き。用を足したら、すっかり忘れてしまったのだ。
そういうわけで衛のズボンのポケットには、その「あるもの」が入ったままだった。
うさぎは十分遅刻してきた。特にそれは問題ではない。むしろ普段より早い方だ。だがうさぎが来てしまったことで、衛はズボンのポケットに入れたままの「あるもの」の存在を、思い出す機会を失ってしまったのだ。
来たのはうさぎだけではなかった。まことと美奈子も一緒だ。まことはアルバイトがあるので、一息付くとすぐに店の奥の更衣室へと行ってしまったが、美奈子は席に居続けた。
どうやら美奈子は、自分の注文したミルクティーの代金を衛に払わせるつもりらしい。いつものことだから、衛も特に怒る気もなかった。
そのうち、利子を付けて「カラダで払うわ」などと美奈子が馬鹿なことを言ってきたが、それは軽く聞き流した。本気で相手をしようものなら、例え冗談(間違いなく冗談だが)でも、うさぎの怒りを買ってしまう。うさぎ大魔神様のお怒りは、ちょっとやそっとでは静まってくれないので、余計なことはしない方が良いのである。
騒ぎは唐突に起こった。
宇奈月が休憩のために、更衣室に行った直後だった。
「きゃ〜〜〜っっっ。ドロボーが出たぁ!!」
店内を揺るがす、大音量の宇奈月の金切り声が響いた。
更衣室は店内からでしか行き来ができない。しかも、その更衣室に行くには、厨房の前を通らなければならないのだ。
マスターは、そんな怪しい人物は通っていないと言う。通れば、自分が見ているはずだと言った。
それは衛も同意見だった。衛は、宇奈月がウエイトレスの制服に着替えてから最初の客らしい。店内に目を光らせていたわけではないが、衛も怪しい行動を取っている人物には気が付かなかった。
店内に客は、衛とうさぎ、美奈子の三人を含めて、現在は八人。三十分前からその顔ぶれは変わっていない。眼鏡を掛けた三十代後半のビジネスマンがひとりと、十番高校の女子学生の三人組。オタクっぽい大学生(美奈子に言わせると、ゲーセンの方でよく見掛ける常連なのだそうだ)の合計八人。ビジネスマンと三人組の女子学生はパーラーの常連らしく、とてもそんなことをするとは思えないと言う。特に、女子学生の方はあり得ないとまで宇奈月は断言した。
「警察を呼ぼうか?」
まことが尋ねると、
「いや、そこまでしなくてもいいんだけどさ………」
諦めがいいのか、宇奈月はそんなことを言って僅かに頬を赤らめた。
「中身、重要なものは入ってなかったのか?」
衛は尋ねる。警察を呼ぶ程ではないと言うことは、財布の中にはそれ程現金は入っていなかったのかと思った。
「え!? 中身!?」
宇奈月は素っ頓狂な声を上げる。
「財布の中身だよ」
「え!? 財布だなんて一言も言ってないですよ? あたし」
「お財布じゃないの? 盗まれたの」
うさぎも盗まれたのは財布だと思っていたらしい。宇奈月はブンブンと音を立てて、首を横に振った。
「下着よ、下着! ブラジャーを盗まれたの!!」
「へ!?」
うさぎも美奈子もまことも、ハトが豆鉄砲食らったような顔になった。詳しく話を聞くと、どうやら宇奈月はウエイトレスの制服の時は、ブラジャーを着けないことが習慣になっていたらしい。着替える時に外して、ロッカーにしまっておくと言うのだ。
「そう言われればそうだったかも」
よく一緒に着替えをしているまことは、言いながら顎を撫でた。
「って、言うことは。明らかに下着を狙っての犯行ね」
したり顔で美奈子は言った。
「げっ!?」
そこで衛はようやく、自分がトイレの前で拾った「あるもの」の存在を思い出した。そう、その「あるもの」とはブラジャーだったのだ。そう言われてみれば、拾った時少し生暖かかったような気さえしてくるのが不思議である。
マズイ!!
衛は心の中で叫んだ。この状況では、どう上手く説明したとしても、百二十パーセントの確率で自分が下着ドロボーの犯人にされてしまう。しかも、その物的証拠を自分は持っているのである。警察を呼ばれて身体検査をされようものなら、その場で現行犯逮捕されてしまう。
自分は盗んでいない。拾っただけなのだ。しかし、その「拾った」と言うことが証明できない。
大ピンチである。
衛の背中に、冷たいものが流れる。じっとりとした汗が、毛穴という毛穴から滲み出てくるのが、はっきりと分かる。
はっきり言ってヤバイ。生涯で最大のピンチである。しかし……。
そうだ。このまま知らんぷりしてしまえばいいんじゃないか!
衛は考える。
宇奈月には悪いが、このブラジャーは盗まれたことにしてもらおう。そうすれば、自分が犯人にされることはない。
「まもちゃん、どうしたの? 凄い汗かいてるよ?」
衛の額に浮いている玉のような冷や汗をうさぎが見付けて、心配そうな顔をする。
「どこか具合が悪いの?」
「あ、いや。なんでもない」
衛はズボンのポケットからハンカチを取り出して、額に浮いた汗を拭った。
その瞬間、全員の時間が凍った。
衛以外の全ての者の視線が、衛の手にしたものに釘付けになる。
衛はゴクリと唾を飲み込んだ。恐ろしくて、自分が手にしているものを見ることができない。だが、なんとなく予想は付く。
衛はもう一度、ゴクリと唾を飲み込む。
「まぁもちゃぁ〜ん」
うさぎは妙にネットリとした笑いを浮かべて、衛の顔を睨んだ。そう、顔は笑ってはいるのだが、目はこれっぽっちも笑っていない。頬なんか、ヒクヒクと波打っている。
「なぁっとくできるように、説明してほしいんだけどなぁ〜」
その後の衛の姿を見た者は、誰もいない………。
あとがき
やべぇ、またやっちまった(汗)
いえね、決して衛が嫌いなわけじゃないんですよっ。この役、浅沼くんでもよかったんですが、衛の方が笑えると思ったので・・・。
その昔、わたしがバイトしていたピザやで下着盗難事件がありまして・・・。作中の宇奈月ちゃんと同じで、ブラジャー外してたコがいたんですよ。ある日突然、更衣室からそのブラが紛失したと言う事件があったのです! もちろん、「外してた」という事実をおおっぴらにできなかったのか、わたしもパートのおばちゃんからこっこりその話を聞きました。
更衣室に行くには、正しく厨房を突っ切らなければならなかったので、犯人はバイトの人間以外あり得なかったんですけどね。犯人は分からず終いだったそうです。
っつーか、その日、わたしもシフトに入っていた日だったらしく、わたしも容疑者のひとりだったようです(爆)
ふと、そんなことを思い出したので、今回のネタにしてみました(笑)
念のため言っておきますが、わたしは無実ですよ!(笑)