ある日のまもちゃん〜誕生日編〜


「うぇ〜ん。遅れちゃうよぉ〜! ママぁ、どうして起こしてくれなかったのよぉ………」
 右手に紙袋をぶら下げて、うさぎが慌てて階段を駆け下りてきた。既に着替えは済ませていた。この日のために買っておいた、白地にひまわりの柄がプリントされているTシャツと、水色のフレアミニスカートと言った服装である。
「起こしたわよ、何度も………」
 時刻は間もなく九時に差し掛かろうとしていた。育子ママは家事が一段落したのか、リビングでくつろぎながら、ワイドショー番組を見ている。
 進吾の姿は見えない。部活にでも出掛けたのだろう。
「ふぇ〜ん」
 うさぎは猛ダッシュで顔を洗って歯を磨くと、軽くメイクをした。気合いを入れてメイクをしたいところだが、そんな時間的な余裕はないし、それに衛は薄目のメイクが好きなのだ。
「行ってきまーす!」
 家を出ていくうさぎに、
「うさぎー! まもちゃんをお夕食に招待するのを、忘れちゃ駄目よぉ!」
 育子ママが声を掛けた。
「分かってる!」
 うさぎは元気に答えると、勢いよく家を飛び出して行った。
 今日は八月三日。衛の誕生日である。夕食は育子ママが、腕によりをかけてごちそうを作ってくれることになっていた。それまでは、うさぎは衛とふたりきりで、彼の誕生日を祝うのだ。
 今日が何の日か知っているので、うさぎの友人関係は、今日に限っては誰もうさぎを遊びには誘わない。
 うさぎは衛へのプレゼントの入った紙袋を抱えて、待ち合わせ場所の有栖川宮記念公園へと走った。待ち合わせ時間は九時。完璧に遅刻である。
「もう! 夕べ早く寝ればよかったよぉ………。美奈Pの馬鹿ぁ!」
 走りながらうさぎは嘆いた。夕べは夜中の二時まで、美奈子と電話でしゃべりまくっていたのである。気が付いたら二時になっていたと言うだけで、別に美奈子が悪いわけではなかったが、うさぎとしては八つ当たりしたくなるような心境だった。
 火川神社の前を猛スピードで駆け抜け、仙台坂上方面へと向かう。五叉路に差し掛かった。

 キキィィィィィィィィ………………!!!

 車の甲高い急ブレーキの音が、住宅街に響き渡った。


「相変わらずだな………」
 衛はポケットから懐中時計を取り出して時間を確認すると、苦笑せざるを得なかった。
 待ち合わせの時間の九時を、既に十分ほど回っていた。
「うさの遅刻病は一生直らんな、きっと………」
 待たされるのは慣れてしまった。読書をしていれば、時間が経つのは気にならない。
 風に乗って、救急車のサイレンが聞こえてきたが、よくあることなので、衛は特に気にしてはいなかった。
 九時半を回った。三十分の遅刻である。だが、うさぎは現れない。携帯電話にも連絡がない。
「変だな………」
 流石に訝しんだ。うさぎが寝坊することは、よくあることである。しかし、今日が自分の誕生日であることは、育子ママも知っているはずである。うさぎのことだから、自分が寝坊することを想定して、事前に待ち合わせの時間を育子ママに話しているはずである。多少の寝坊は許しても、この時間まで起こさないとは考えられなかった。
 衛はうさぎの家に電話を掛けてみることにした。
「あら、こんにちは、まもちゃん。え!? うさぎ? まだ行ってないの!? おかしいわねぇ、とっくに出掛けたのに………。もう着いてもいい頃よ」
 電話には育子ママが出た。やはり、うさぎはとっくに家を出ているようだ。
「途中で友だちにでも会って、立ち話をしているのかもしれません。もう少し待ってみます」
「ごめんなさいね、まもちゃん」
「いえ。では、失礼します」
 衛は電話を切った。
 うさぎの家から、有栖川宮記念公園に来るまでには、途中火川神社の前を通る。レイ本人か、たまたま神社に遊びに来ていた、まことか美奈子と出会した可能性はある。亜美は塾へ行っているだろうから、途中で出会す可能性は極めて低い。
 十時になった。いくらなんでも遅すぎる。立ち話をしていたとしても、気付いてもいい時間だ。
「ちょっとその辺を見てくるか………」
 衛はベンチから立ち上がると、読んでいた単行本を自分の座っていた場所に置いた。このままここに単行本を置いておけば、すれ違いにうさぎが来ても、自分がここで待っていたことが分かるはずだ。しかも、単行本を置きっぱなしにしているので、すぐ戻ってくると思うだろう。
冷静に考えてくれればの話だが………。
 衛は有栖川宮記念公園を出て、仙台坂上方面へと向かった。うさぎが真っ直ぐに待ち合わせ場所に向かってくれているならば、途中で出会えるはずである。
 前方に人集りが見えた。赤いランプが、チカチカと光っている。
「そう言えば、救急車のサイレンが聞こえてたな………。ここで事故があったのか」
 既に怪我人を運んでいったのか、救急車は見えなかった。代わりに一台のパトカーが止まっていた。赤いランプの光は、このパトカーのものだった。
 ふたりの警官の姿が見える。現場検証でもやっているのだろうか。
 事故自体に興味がなかったので、衛は人集りを避け、火川神社方面に向かおうとした。
「女の子だってよ」
 男性の声が耳に飛び込んできた。
「子猫を助けようとして、トラックに跳ねられたらしいわ」
 若い女性の声だ。衛の足が、ピタリと止まった。
「あたし、運ばれていくところを見たんだけど、変わった髪型をしてたわねぇ。何て言う髪型なのかしら? 奥さん、ご存じ?」
「さっき娘が言ってたんだけど、あの髪型、お団子って言うらしいわよ」
 野次馬たちの声が、やけにはっきりと耳に伝わってきた。

「トラックに跳ねられた、お団子の髪型の女の子」

 訳も分からず、足がガクガクと震えた。
 携帯電話を取り出した。うさぎの家に電話をしてみる。
 出ない。育子ママが。
 コールは二十回以上したはずだ。正確には覚えていない。しかし、誰も電話に出なかった。
「いや、考えすぎだ。もう一度公園に戻ってみよう」
 衛は襲い来る不安を振り払うように、大きくかぶりを振ると、今来た道を戻った。


 有栖川宮記念公園のベンチには、自分が置いていった単行本が、そのままの状態で残っていた。誰かが手を付けた様子はなかった。
 うさぎの姿は、どこにも見えない。もう一度電話を掛けてみたが、やはり誰も出なかった。
 時刻は十二時に差し掛かろうとしていた。うさぎは現れない。
 衛はベンチに腰を下ろしたまま、祈るように手を組んで、俯いていた。
 人の気配がした。顔を上げた。
 まず目に飛び込んできたのは、右足に巻かれた真新しい包帯だった。次いで見えたのは、水色のフレアスカート。白地にひまわりの柄がプリントされているTシャツ。戸惑った表情の女の子の顔。お団子頭。
「大遅刻だね」
 うさぎは、半分泣きそうな顔で笑ってみせた。衛は無言だった。言葉が出てこなかったのだ。
「いやぁ、ちょっと野暮用が出来ちゃってさぁ!!」
 うさぎは戯けて見せた。
 衛は無言のまま、ベンチから立ち上がる。戯けていたうさぎが、急に不安そうな表情になる。
「バカヤロ。心配させんな」
 衛はうさぎを抱き寄せた。事故のことは、敢えて聞こうとは思わなかった。そのうち、うさぎの方から話してくれるはずだ。
「ごめんね、まもちゃん」
 うさぎは衛の胸に顔を埋めた。だが、すぐに顔を放すと、悲しげな表情で衛の顔を見上げた。
「あ、あのね。プレゼントがね………」
 うさぎはボロボロになった紙袋を、後ろに隠していた。自分へのプレゼントが入っていたのだろう。トラックに轢かれたのか、中に入ってる箱はペチャンコに潰れていた。
「秋物のね、すっごい素敵なシャツ買ったんだけど、こんなになっちゃった。ごめんね………」
 ついに堪えきれなくなったのか、うさぎはポロポロと大粒の涙を流し始めた。
 箱は完全に潰れてしまっている。着れないことはないだろうが、うさぎにとってはそんなことを問題にしている訳ではない。綺麗な状態で、衛に渡したかったのだ。自分の想いがいっぱい詰まった箱が無惨な姿になってしまったことが、悲しくて、悔しくてしょうがないのだ。
「プレゼント、なくなっちゃった………」
 うさぎにとっては、もはやこの箱はプレゼントではなかった。
 衛はそんなうさぎを愛おしげに見つめると、小さな笑みを浮かべた。
「プレゼント? あるじゃないか、うさ」
 衛はにっこりと笑う。うさぎは泣き顔のまま、首を横に振った。衛の言いたいことは分かっている。ボロボロの状態でも、自分へのプレゼントには違いない。そう言うと思ったのだ。
 だが、衛も首を左右に振った。うさぎの手から紙袋を受け取ると、中に入ってた箱のリボンをほどいた。うさぎの右手を取り、手首にそのリボンを巻いた。蝶結びだった。
「うさの元気な姿が、最高のプレゼントだよ」
 衛は少し照れたように笑った。



 まもちゃん誕生日記念の短編です。今回は、とにかくギャグがありません。いたってまじめなお話です。ギャグを期待していた方、すみませんでした。(^^;