ある日のまもちゃん〜まもちゃん熱血編〜


 いつものように、うさきは衛と有栖川宮記念公園内でデートを楽しんでいた。デートとは言っても、ベンチに座ってうさぎが一方的にその日にあった出来事をしゃべっているだけで、衛は何やら難しい本を読んでいるだけである。それでも、時折受け答えをしてくれるので、それだけでうさぎは楽しかった。
 ただ、今日は少しばかりいつもと違っていた。読む本がなかったのか、衛から公園内を散歩しようと言ってきたのだ。
 並んで歩けるだけでうさぎは幸せだっので、衛の一言でもうメロメロになってしまった。
 衛の左腕に自分の両腕を絡め、べったりとくっついて歩いた。
「あれ?」
 池に降りていったところで、うさぎは見知った顔を見つけたので声をあげた。女の子である。十番高校の制服を着ていたが、衛は知らない顔だった。彼女はぼーっと池を見つめていて、うさぎたちに気付いていなかった。
 うさぎは衛の元を離れ、彼女に近づいていった。
「夢ちゃん」
「あ、月野先輩………」
 うさぎに声を掛けられた女の子は、驚いて振り向いた。ショートボブがよく似合う、ボーイッシュな女の子だった。うさぎのことを「先輩」と呼んだところをみると、高校の後輩なのだろう。元気で活発そうな印象を受けたのだが、悩み事があるのか、今は愁いを帯びた瞳でうさぎを見ていた。
 女の子は衛の存在に気付いた。
「えっと、地場 衛さん」
 少しばかり照れた様子で、うさぎは衛を紹介した。
「まもちゃん。後輩の有栖川 夢ちゃん」
 続いてうさぎは、衛に後輩の女の子を紹介した。夢と言う女の子は、衛を真っ直ぐに見つめると、深々とお辞儀をした。礼儀正しい女の子のようだった。
「どうしたの? 元気ないね。夢ちゃんらしくないよ」
 うさぎの言葉から、夢は衛が最初に感じた印象通り、元気で活発な女の子なのだと思えた。
「悩み事?」
「え、ええ………」
「恋の悩み?」
「いえ………。わたしは今までずっと剣道一筋でしたから………。男の子と付き合ったことはないんです。興味もなかったし」
「あ、そっか………。前も聞いたよね、それ」
 うさぎはしまった、と言うような顔をした。
「剣道をやってるんだ」
 衛が尋ねた。何故、うさぎが剣道をやっている女の子と知り合いなのか、少しばかり不思議だったが、彼女の交友関係の広さは知っているから、特に突っ込んで訊くことはしなかった。
「まもちゃん。彼女、凄く強いんだよ。東京では敵なしよね?」
「そ、そんなこと、ないです………」
 うさぎに持ち上げられて、夢は少しばかり頬を赤らめ、俯いてしまった。
「中学の時は、全国大会で準優勝したのね」
「へぇ、凄いな」
「いえ、たまたまなんです………」
 夢は表情を曇らせた。衛は彼女のその様子が、何故か気になった。
「悩んでいるのは、剣道のことだね」
「えっ!?」
 衛に指摘された夢は、驚いたように顔を上げた。どうやら、図星だったようだ。
「あ、そう言えば、もうすぐ大会があるんだよね」
 うさぎは思い出したように言った。夢は無言で肯いた。その元気のない様子に、うさぎも表情を曇らせた。
 彼女の悩みは、剣道の大会と関係があるらしい。
「悩み事があるなら、言ってごらん。あたしたちでよければ、力になるよ」
「はい………」
 夢は少しの間俯いて考えていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「実は、わたしの父が剣道を反対してるんです」
「え? どうして?」
「女の子のやるスポーツじゃないって………」
「そんな………」
 うさぎは思わず絶句してしまった。確かに女の子らしいスポーツとは言えないが、それだけの理由で反対するのもどうかと思った。
「次の大会で優勝できなければ、剣道をやめさせるって、父が言うんです」
「じゃあ、優勝してみせればいいじゃない! お父さんを見返してやろうよ!」
 うさぎが身を乗り出すようにして言った。しかし、夢は小さく首を横に振った。
「わたしには無理です………。中学の時準優勝したのだって、三年の時です。でも、今は高一です。わたしより強い先輩たちがたくさんいます」
「何を気弱なこと言ってるのよ! 夢ちゃんだって、いっぱい練習して強くなってるでしょ!? 二年や三年の先輩にだって、絶対勝てるって!」
「でも………」
「そうだな。キミがそんな状態じゃ、勝てないだろうな絶対」
「まもちゃん!?」
 うさぎが衛を咎めるような視線で見たが、衛は意に介さなかった。
「今のキミなら、俺でも勝てる」
「!?」
 衛の挑戦的な言葉に、夢はやや険しい表情で顔を上げた。
「勝負してみるかい? 剣道に関しちゃ俺は素人だけど、キミには負ける気がしない」
「例え男の人とは言え、剣道を殆どやったことのないような人に、わたしが負けるはずがありません!」
「なら、勝負してみよう」
「臨むところです!」

 十番高校の剣道部道場には、既に誰も残っていなかった。今は、ひっそりと静まりかえっている。
「まもちゃん。大丈夫なの? 剣道なんてやったことないんでしょ?」
 防具を黙々と付けている衛に、うさぎは小声で訊いた。夢の姿は見えなかった。どこかで、やはり防具を付けているのだろう。精神統一を行っているのかもしれなかった。
「高校の時、授業でやった」
 衛は短く答えた。
「無茶よ。そんなんで、夢ちゃんに勝てるわけないじゃない。女の子とは言っても、中学で全国大会準優勝した相手なのよ」
「大丈夫、俺はエンディミオンだ」
「は!?」
 うさぎはキョトンとしてしまった。確かに、衛の前世のプリンス・エンディミオンは優秀な剣士だったが、当然衛とは別人である。
 呆気に取られているうさぎにウインクすると、衛は面を被った。同時に、道場に夢が姿を現した。夢は袴を付け、正式な試合に臨む姿で現れた。対して衛の方は、普段着の上に胴を付け、面を被っているだけである。
「赤い胴だ………」
 夢の深紅の胴を見て、うさぎは感嘆の声を上げた。
「燃えてきた」
 衛は呟く。うさぎは一瞬頭を抱えた。衛は赤い色を身に着けた相手に対しては、異常にライバル心を燃やすのである。

「月野先輩。試合開始の号令だけお願いします。地場さん。試合時間無制限の一本勝負です。宜しいですね?」
「ああ、構わないよ」
 夢の声はひどく落ち着いていた。対する衛も同じである。うさぎだけが、ひとりでオロオロしている。
 衛と夢は向かい合わせなると、竹刀を構えたまま蹲踞(そんきょ)の姿勢を取った。相手に呼吸を合わせ、ゆっくりと立ち上がる。ふたりとも、正眼に構えた。
「え、ええっと………。は、はじめぇ!」
 うさぎは半ば、やけくそになって号令を掛けた。衛が勝てるわけがないのだ。本当なら、無様に負ける姿など見たくはなかった。
「いやぁぁぁ!」
 激しい気合いとともに、夢が突っ込んできた。
「早い!?」
 間合いを詰める夢の予想外のスピードに、衛は驚いた。それが一瞬の隙となる。
「めぇん!!」
 夢は鋭く竹刀を振り下ろす。衛はそれを間一髪、体を横にずらして躱した。
「躱された!?」
 完全に決まったと思った夢は、驚きを隠せない。竹刀が空振りし、僅かにバランスを崩した。
しかし、衛は攻め込もうとはせず、逆に少し遠い間合いを取った。
「!?」
 てっきり攻め込まれると思っていた夢は、驚きを隠せない。
「余裕のつもりですか!?」
 手加減されたと感じた。しかも、素人に。プライドが激しく傷付いた。
 衛は無言で、竹刀を正眼に構えている。
 衛はちらりと時計を見やった。開始から一分が経過している。正式な試合時間は、確か四分だったと記憶している。夢は時間無制限と言ったが、悪戯に時間を稼ぐつもりはなかった。体力勝負となれば、男性である衛の方に分がある。わざと打ち込ませて疲れさせると言う手もあるが、それではこの勝負の意味がなかった。
 時間内決着。
 衛は端からそのつもりだった。
 衛はつぎ足で間合いを詰めた。
 すうっと迫ってくる衛の竹刀を、夢は流れるような動作で払う。瞬時に踏み込む。
 面に迫ってくる夢の竹刀を、衛はこれまた流れるように横にずれて寸での所で躱した。
「おお! ふたりとも凄い!!」
 うさぎは目をまん丸にして、ふたりの勝負を見ていた。夢のスピードに乗った攻撃も素晴らしいが、それを見事に躱す衛も凄いと感じた。
 衛はすっと横に移動する。しかし、その時僅かにバランスを崩した。
「そこ!」
 その隙を夢は見逃さなかった。衛の面に向けて、竹刀を振り下ろす。が、その時、夢の脳裏に先程衛に手加減されたことが過ぎった。
 パァン!
 乾いた音が道場に響いた。
「あ………」
 夢は息を飲んだ。自分が竹刀を振り下ろすより先に、衛の竹刀が自分の胴を打っていたのである。
「う、うそっ。まもちゃんが勝っちゃった」
 うさぎは我が目を疑った。衛とて万能ではない。高校の時授業でやった程度の腕で、年下の女の子とはいえ、全国大会準優勝の相手に勝てるわけがないと思っていたのだ。
 夢は試合後の礼も忘れ、その場に茫然としていた。素人同然の相手に負けたのだから、無理もなかった。
「今、キミは一瞬迷ったね。だから、僅かに竹刀を振り下ろすタイミングが遅れた。俺はその隙を付いただけだ」
 衛は面を外しながら言った。
「迷いがあっては、勝てる勝負も勝てない。キミは今、身を持ってそれを体験したはずだ。自分の力に自信がない。強い相手と当たったら、負けるかもしれない。そんな気持ちのまま大会に出ても、確かにいい成績は納められないな」
 衛は真っ直ぐに夢を見つめている。
「剣道を続けたいのなら、一生懸命やっている姿をお父さんに見せればいい。勝つために必死になっているキミの姿を見れば、例え優勝できなかったとしても、お父さんの心を動かすことができるはずだ」
「………はい」
 俯いていた夢が、顔を上げた。
「もう一度、勝負していただけますか?」
「ああ、いいとも」
 衛は再び面を被った。

 今度の勝負は一瞬だった。
 一閃。
 夢の電光石火の胴が、衛に決まった。衛は何もさせて貰えなかった。
「一勝一敗です」
 面の奥の夢が、にこやかな笑顔を浮かべた。

 有栖川宮記念公園のベンチに、うさぎと衛は並んで腰掛けていた。
「優勝したんだろ? 彼女」
 読書が一区切り付いたところで、衛は本を閉じてうさぎに訊いた。
「うん。凄かったよ、夢ちゃん。まもちゃんも、バイトじゃなかったら決勝戦見れたのにね」
 うさぎの言葉に、衛は微笑みを返した。
「あ、月野せんぱーい!!」
 うさぎは声のした方に顔を向けた。夢が手を振りながら走ってくる。
「こ、こんにちは、衛さん!」
 夢は衛を見て、僅かに頬を赤らめながらお辞儀をした。
「衛、さん?」
 うさぎは訝しげに衛を見た。確か、先日までは「地場さん」と呼ばれていたはずだ。なのに、いつの間にか、「衛さん」と親しげに呼ばれている。
「ありがとうございます、衛さん。優勝できたのも、衛さんがくれたお守りのお陰です!」
 夢は照れたように言った。
「お守り?」
 うさぎはジト目で衛を見た。衛は、「しまった」と言う顔をしている。
「まもちゃん?」
「い、いや、決勝戦応援できないの分かってたからさ。代わりにお守りを………」
「ふ〜ん」
 言いながら、うさぎは衛の左脇腹を抓った。ジェラシーうさぎちゃんの逆襲である。
「うっ!!」
 流石は衛である。
「お役に立てて、なによりです」
 一瞬短く呻いたが、何事もなかったかのような表情をして、夢に言った。
 その言葉を聞いた夢は、嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「あ、あのぉ、月野先輩。実はお願いがあるんですけど」
「え? なに? わたしにできることだったら、協力するよ」
「実は………」
 夢は何故かもじもじしながら、言い辛そうにしていた。
「なによぉ。言ってみなさいよ」
「はい。あのぉ。衛さんを一日だけ、あたしに貸してください!」
「え゛!?」
 うさぎは仰天してしまった。
「衛さんに、お礼がしたいんです。衛さんのお陰で、わたしは自信を取り戻せたんですから」
「あ、いや、あの………」
 流石に即答はできない。衛も困ったように、うさぎの顔を見ている。
「お願いします! 一日だけでいいんです!!」
 結局三十分粘られ、うさぎはしぶしぶ了承することになる。
 数日後、衛と夢のデートが敢行され、うさぎがこっそり後をつけ回すのだが、それはまた、別の物語である。(笑)



 初めにお断りしておきますが、この作品に登場する「有栖川 夢」ちゃんは、読者参加特別企画で募集した際にユッケさんが考えてくださったキャラです。別の作品にて登場させるはずだったのですが、一足早く短編でのお披露目となりました。
 ある日のシリーズにしては、あまりギャグのない、ちょっとシリアスなお話ですね。その後のデート編は・・・リクエストがあれば考えます。(^^;