ふたつの太陽


「う〜ん……」
 携帯電話の液晶ディスプレイの画面を見詰めながら、ほたるは低く唸った。
「どお?」
 そのほたるの顔を、もなかが覗き込むようにした。
「反応なし」
「繋がんないの?」
「そういうレベルの問題じゃないわね。だって、圏外だもの」
 ほたるは大きく肩を竦めると、もなかに液晶画面を見せた。画面右上に「圏外」の赤い文字が浮き出ている。
「まぁ見たところ、随分と辺鄙(へんぴ)なところにいるみたいだから、電波が届かないのも分かるけどね」
 操は戯けたように、お手上げのポーズを取った。
「でもこれ、ルナとアルテミスと“ボス”が三人掛かりで作った携帯電話(ケータイ)よ? 月のシルバー・ミレニアムを基地局にして、世界中のみんなと連絡が取れるようになってるの。ゴツイ腕時計型通信機は、もう時代遅れだろうからって新しく開発してくれたのよ。だからこれ、市販の携帯電話(ケータイ)とは違うの」
「へぇ、そうなんだぁ。道理で見たこともない機種だと思った。って、それってば、通信機の代わりってことになるの?」
「そうよ、もなか」
「なんで、ほたるちゃんだけが持ってるの? 操はもらった?」
「あたしももらってない。どうして、ほたるだけ持ってるわけ?」
「さ、さぁ……。ルナに訊いて……」
 そんなこと、自分に聞かれても分からない。何となく想像はできるのだが、それを口に出してしまったら血を見ることになりそうだから、喉まで出掛かった言葉を、ほたるは無理矢理飲み込んだ。
 新開発された携帯電話タイプの通信機は、優れものであった。本来の携帯電話としての機能も当然ながら持ち合わせている。一千万画素のCCDカメラは、カメラとしての機能も優秀で、光学三十倍ズームに加え、デジタル五十倍のズーム機能があり、パノラマ撮影もできる。一時間の動画撮影が可能。GPSももちろん高性能。インターネットなんざ、当たり前のように見える。水に落としても安心の耐水設計になっている。その他モロモロの凄い機能があるらしいのだが、ほたるもまだマニュアルを読み切ってないので、機能の全てを把握しているわけではなかった。そんな高性能の携帯電話が、地球上で圏外の文字が出るなど、とうてい信じられない。
「で、どうする?」
 真顔になって、操は訊いてきた。
「う〜ん……」
 周囲を見回しながら、ほたるは再度唸った。見渡す限りの大平原が広がっている。深く考えてみなくても分かることなのだが、こんなところに自分たちの意志で来た覚えはない。
「あたしたち、なんでこんなところにいると思う?」
「分かんない」
「あたしが知りたいわよ」
 三人は困惑したまま、天を仰ぎ見る。
 回りはどこまでも続く大平原。太陽を正面に捉えて、右側の遙か彼方に山の稜線が見える。太陽の位置は随分と高いから、昼間のちょうど十二時頃ではないかと、ほたるが推測した。
 もちろん三人は、こんな何もない大平原に、制服のまま遊びに来た覚えは全くない。ついさっきまで、ゲームセンター“クラウン”の中で遊んでいたはずだ。陽も傾いてきたので、そろそろ家に帰ろうかと、三人揃って“クラウン”の自動ドアを抜けたら、目の前にこの大平原が広がっていたというわけだ。おまけに、背後にあるはずの“クラウン”の自動ドアが、跡形もなく消えてしまっている。
「“クラウン”の自動ドアって、『どこでもドア』だったっけ?」
 もなかがそう思うのも無理はない。
「ここ、どこだろうね……」
「分かんない」
「あたしが知りたいわよ」
 三人は揃って、マリアナ海峡よりも深い溜息を付いた。
「ねぇ、ねぇ、ふたりとも。あれって、煙じゃない?」
 もなかは稜線の方向を指し示した。確かに、黒い煙のようなものが、底抜けに青い空に向かって、一直線に立ち上っているようにも見える。
「あれが煙だとすると、人がいる可能性が高いってことよね……。自然発火でなければの話だけど」
「煙よ、煙! 煙ってことにしなさいよ、この際だから!」
 操はもう、あの場に人がいるものだと決め付けている。と、言うか、人がいると無理矢理に思い込もうとしている。
 ほたるは腕を組み、眉間に皺を寄せて思案を巡らせている。
「真面目ぶって考えてたって、何も始まらないわよ! さぁ、とっととあそこに行くわよ!!」
 操ともなかは、既に黒い煙を目指して歩き出している。危険かもしれないなどとは、ミジンコほども考えていない。
「はぁ……。怖いもの知らずって言うのか、何も考えてないと言うのか、出たこと勝負と言うのか……」
 がっくりと肩を落としながら、ほたるはふたりの後をトボトボと追った。

「で? なんで、こうなるわけ?」
 三人はそれぞれ、木の柱に蔓のようなものでぐるぐる巻きに、巻き付けられていた。足は地面から一メートル程浮いた位置にある。柱の根元近くには、藁のようなものが山積みになっている。
 全身に白い粉のようなものを塗りたくった半裸の男達が、三人の回りを奇怪な踊りを踊りながら回っている。
「ちょっとぉ! あんたたち、いったいドコの宗教団体よ!? こんなことが、許されると思ってるわけ!?」
「無理よ、操……。あたしたちの言葉、通じてないみたい……」
 ほたるは嘆いた。
 空に立ち上っている黒い煙に向かって歩いている途中で、三人は罠に掛かった。小動物でも捕獲するような、単純な仕掛けの落とし穴だった。よく注意していれば気付いたのだろうが、三人の注意は煙に向いていたため、足下の確認を怠っていた。
「って言うかさぁ。あんなところに、あんな罠が仕掛けられてるなんて、誰も想像しないよね……」
「あんたが引っ掛かったんでしょうが、もなか! 責任取りなさいよね!!」
「あたしの前を歩いてたのは、操の方でしょ?」
「なによ!? あたしのせいだって言うの!?」
「うん!!」
 ほたるともなかのふたりは、力強く思い切り、首を縦に振った。
 落とし穴に落ちてしまった三人は、その衝撃でしばらく気を失っていた。そして目が覚めると、こういう状況だったというわけだ。
「もしかして、こいつら、あたしたちを食べる気なんじゃ……」
「かもね」
「かもしんない」
 操の考えを、ほたるももなかもあっさりと認めた。足下には、よく燃えそうな藁が山のように積み上げられている。火の付いたたいまつを持った三人の男性が、自分たちを見上げてニタリとしている。
「こらぁ!! スカートの中覗いて、ニタニタしてんじゃないわよ!!」
「違うと思う、操」
「あたしもそう思う」
 操の考えを、ほたるともなかは今度は冷ややかに否定した。肩、胴、足首の三箇所は、蔦のようなもので縛られてはいるが、スカートはそのままである。確かに、風に靡いてヒラヒラとしているので、三人のたいまつを持った男性はナイスポジションに立っているわけだが、そんな邪なことを考えているとは思えない。そっち系の考えを持っている連中なら、三人は気を失っている間に素っ裸にされている。
「しょうがない。操、もなか、変身して切り抜けるわよ」
 究極の手段だが、この場合はそうして切り抜けるしかないようだ。このままだと、本当に丸焼きにされてしまう。
 三人が変身しようと試みた瞬間、いきなり浮遊感が襲ってきた。と、思ったら、山積みされている藁の上に落下した。
「逃げるぞ! 早くしろ!!」
 どこかで聞いたことのあるような男性の声に促され、三人はその場から一目散に逃亡を図った。

 謎の声に先導され、三人は雑木林の中に逃げ込んできた。目の前に小川が見えたところで、申し合わせたように足を止めた。
 三人は四つん這いになって、はぁはぁ、ぜぃぜぃと、荒く呼吸をする。
「だらしないなぁ、若いのに……」
「お、お願いだから、今は話し掛けないで……」
 ほたるは息も絶え絶えに答えた。
「たかが一キロを全力疾走したくらいで、死にそうにならないでくれよ。運動不足じゃないのか?」
 謎の声に馬鹿にされているのだが、反論する気力もなかった。とにかく、今は呼吸を整えたい。
「こ、この水、飲んでも大丈夫かなぁ……」
 小川まで這って移動したもなかは、そこに流れる綺麗な水を覗き込んだ。とても美味しそうに見える。
「この際、贅沢言ってられないよね」
 四つん這いのまま川に顔を付けて、流れる水をゴクゴクと飲んだ。
「ぷは〜。うめぇ〜」
 風呂上がりの冷えたビールを飲んだ親父のような声を、もなかは天に向かって上げた。
「はしたないぞ、フレイア(・・・・)
 すぐ脇で声が聞こえたので、もなかは首を右に捻った。
「ぎょっ!?」
 仰け反って、後退る。
「ナンマイダ〜。ナンマイダ〜」
 両手を合わせて、必死に拝んだ。
「何やってんの?」
 ほたると操が、ようやくもなかの側まで寄ってきた。もちろん、這ってである。
「で、出たのよ!」
「出たって何が?」
 ふたりは、もなかが言っている意味が分からない。そんな中、
「なんだよ、失礼なやつだな、いきなり……」
 トコトコと、“それ”が三人に向かって歩いてきた。
「けげっ!?」
 ほたると操も、“それ”に気付く。
「ナンマイダ〜。ナンマイダ〜」
 三人揃って、手を合わせる。
「だから、何なんだよ!?」
“それ”は、思い切り不愉快そうな顔をした。
「だって、あんたアポロンでしょ?」
「そうだよ?」
「やっぱ、ナンマイダ〜。ナンマイダ〜」
「勝手に殺すな!!」
“それ”―――アポロンは、ムキになって怒った。
「ねぇ、アポロン。今って、平成何年?」
 奇人変人でも見るかのような顔で、ほたるは尋ねた。
「ヘーセーって、なんやねん?」
「西暦は?」
「性癖? 大胆なこと訊くね」
「あたしたちのこと、分かる?」
「だれ? キミたち」
「じゃあ、あたしは?」
「フレイアだろ?」
「う〜ん」
 もなか、ほたる、操の三人は、唸った挙げ句、アポロンから距離を取って顔を付き合わせる。
「あたしが思うに、どうやらタイムスリップしてしまったんじゃないかと……」
「珍しいわね、ほたる。あたしも同感だわ」
「“クラウン”の自動ドアって、タイムマシンにもなってるんだぁ」
「馬鹿は、ほっとこう」
「今回も激しく同意するわ、ほたる」
「何こそこそ話してるんだよ?」
 アポロンは、仲間に入れてほしそうである。

 話を整理すると、どうやら本当に三人はタイムスリップしてしまったらしいということが分かった。
 アポロンは、賊に拉致されたというフレイアを捜索中に、もなかたちを発見したと言うわけだ。
「つまりキミは、似ているけどフレイア本人ではないと?」
 説明が面倒くさいので、三人は申し合わせて、もなかはフレイアに似ている別人ということにした。転生云々と説明しても、理解してもらえないだろうと思ったからだ。
「だけど、俺のことを知ってたじゃん。お前、家に帰りたくないもんだから、そんな出任せを……」
「違うって」
「賊に捕まったなんて嘘を付いて、遊びに出掛けたから帰りづらいんだろ? 一緒に謝ってやるから、早く帰ろうぜ」
「だから違うって」
 アポロンは、なかなか信じてくれない。これでは、仮に本当のことを言ったとしても、信じ得もらえるかどうか疑問である。
「だけどさ、こんな呑気なことしてる場合じゃないんじゃない? フレイアが賊に捕まったというのが本当なら、ヤバくない?」
「そうよね」
 操が言うと、ほたるも同意を示した。もし本当に彼女が何者かに拉致されてしまったのだとしたら、早く救出しなければならないはずだ。こんなところで漫才をしている場合ではない。
「アポロン。フレイアは誰に捕まったのか分かってるの?」
「隣村の村長の馬鹿息子だって話だ」
「……」
 呆れてものも言えない。
「なんかこう。もっと凄い陰謀が渦巻いているのかと思ったんだけど、期待はずれね」
 不満そうに、操は鼻を鳴らした。よくよく考えてみれば、前世のもなか―――フレイアは、ごく普通の娘のはずだ。確かに、プロメティスの能力を受け継いだのだろうが、その能力がこの時代で開花することはない。そんなごく普通の娘が、大掛かりな陰謀に巻き込まれるとは思えない。
「あたしに掛けられた疑いを晴らすためにも、とっととフレイアを捜し出そう!」
「そう簡単に言うけどね。この広い地球で、どうやって捜すわけ?」
「あら、簡単じゃない」
 ほたるには、何か考えがあるようだ。
「フレイアの“気”を探ればいいんでしょ? そんなの、操なら簡単にできると思うけど?」
「あっ、そうか。こいつに似た“気”を探せばいいのか……」
 操はフンフンと肯くと、その場に膝を突いた。右の掌で、軽く地面に触れる。掌に、“気”を集中させる。
「……見付けた」
「早いわね」
「だけど、その近くにとっても嫌な“気”を感じた。簡単には、助け出せないかもよ?」
 その操の言葉の意味するところを、ほたるはすぐさま知ることになる。
「見付けた。見付けた。雄猫ちゃ〜ん」
 ねっとりとまとわり付くような女性の声が、頭上から降ってきた。
 三人と一匹が、弾かれたように顔を上げると、ひらひらと長いスカートを穿いた短髪の女性が、ねっとりとした視線をこちらに向けていた。風でスカートが巻き上がるように怪しく動くのだが、肝心な所が見えそうで見えない。チラリズムが激しく刺激される。
「何色だと思う? あたしは、派手な赤だと思う」
「雰囲気からして、黒かしら……」
「穿いてない」
 下着の色の当てッコになってしまっている。言い出しっぺはもなかである。操の究極の意見は、ありそうで怖すぎるということで話がまとまる。
「で、どうなんでしょうか? 実際のところ」
 もなかはマイクを向けるように、上空に待機している短髪の女性に向かって右手を突き出した。
「キミたち、緊迫感がない……」
 アポロンの嘆きなど、誰も聞いちゃいない。
「こ、このお嬢ちゃんたちはいったい……」
 短髪の女性は頬をピクピクとさせながら、あからさまに不機嫌そうな顔を向けている。
「ん? お前、まさかフレイアか?」
 もなかの顔を見て、表情を曇らせた。
「ねぇ、アポロン。この人、なんでフレイアのこと知ってんの? 今更なようだけど、この人知り合い?」
「シニスってやつだ。フレイアの正体を知っていて、命を狙っている。はっ!? まさか!?」
 アポロンの顔が強張った。何か思い当たったことがあるようだ。
「もなか……」
 ほたるはもなかに、何事か耳打ちをする。ほたるも何かを悟ったのだ。
 もなかはほたるの言葉に肯くと、上空の短髪の女性を見上げた。
「そうよ! あたしがフレイアよ!!」
 胸をドンと叩いてそう言った。あまりにも強く叩きすぎて激しく噎せてしまい、ほたると操に白い目で見られる。
「何だと!? それじゃ、捕らえている娘は何者だ!?」
「何者って……。えっとぉ……。そう! あの子はあたしの影武者よ! 影武者に気付かんとは、お主も大したことないのぉ。ほぉっ。ほっほっほっ」
 何故か最後の方は、時代劇掛かってしまったが、はったりを言わせたらもなかは宇宙最強である。もの凄いはったりなのだが、短髪の女性―――シニスには有効だった。もなかのはったりを信じてしまったようだ。目の前にいる全く同じ顔の人物がそう言えば、信じてしまうのも無理はない。
「ならちょうど良い。この場で雄猫ともども抹殺するまでだ!」
 おきまりのパターンである。既に予測していた三人と一匹は、シニスが攻撃してくるよりも先に、その場から一目散に逃走を図っていた。
「逃がさん!!」
 ドーンという轟音とともに、衝撃波が放たれた。地面に激突し、噴煙を上げる。
 三人と一匹はもろにその煽りを食らってしまい、もんどり打って草むらに身を隠した。
「マズイなぁ……。あんなやつらが乗り出して来てるなんて……」
 アポロンは呻いた。
「アポロン。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 上空のシニスを警戒しつつ、ほたるはアポロンの背中を突っついた。シニスは二撃目を放って来ない。上空に留まり、地上の自分たちの姿を捜している。闇雲に攻撃してきてもよさそうなのだが、事を大袈裟にできない事情が、彼女にはあるのかもしれない。こちらにとっては、好都合だ。
「何だ?」
 アポロンはほたるの顔を見上げた。
「キング・プロメティスが存命しているという情報は、シルバー・ミレニアムには伝わっていないはずよ? それなのに、何でフレイアの命が狙われているの? それに、あなたたちはいつ記憶を取り戻したの?」
 ほたるは自分の知っている事実との食い違いを感じ、アポロンに問うた。アポロンは驚いたような表情をする。
「キミたちは、いったい何者なんだ!? 何でそのことを知ってるんだ!?」
「ゆっくり説明を聞いている時間はないみたいよ。あのおばさん、そろそろイライラしてきたみたい」
 操が上空を顎で示した。言われてみれば確かに、イライラしてきているように見える。見た目通りの気の短い女性らしい。
「まずは、フレイアを救出することが先決ね」
 ほたるは言った。
「じゃあ、あたしが囮になって逃げまくるから、ふたりはその隙にホンモノのフレイアを助け出してきてよ」
「それしか、方法はないみたいね」
 もなかの意見に、ほたるは肯く。
「じゃあ、ふたりとも頼んだわよ。フレイアを助け出したら、あたしの方に応援に来てよね!」
「了解。がんばって逃げ回ってね」
「そんじゃ、行きますか。アポロン、行くよ!」
 もなかはアポロンの首を掴むと、草むらから野ウサギのように飛び出した。
 シニスはそのもなかたちを追っていく。
「操。じゃ、フレイアのところに案内して」
「オッケー。もなかの死を無駄にはできないものね」
「あのね……」

 のんびりと探索しているわけにもいかないので、ほたると操はセーラー戦士へと変身した。セーラー戦士に変身すれば自身の能力が飛躍的に向上するから、よりフレイアを発見しやすくなる。それに、先程襲撃してきたシニスの仲間がいるようなので、即戦闘に突入することも考えられた。こちらも万全の状態で臨まなければならない。
 フレイアの“気”は、山の方から感じられた。洞窟のような場所に監禁されているようだと、アースは言っていた。ふたりはその地点まで、飛行して一気に移動した。
 鬱蒼と木々が生い茂る山の中腹辺りに着地すると、アースは右の掌を地面に接して周囲を探る。
「近いわ」
 アースは立ち上がると、フレイアの“気”を感じた方向に向かって、慎重に歩を進めた。
「敵の数は?」
 サターンはアースの左横に並んだ。
「フレイア以外の“気”は、ふたつ感じたわ。ひとつは大したことない。普通の人っぽい。もうひとつは、強いわよ。さっき襲ってきたやつより、強い“気”を感じる」
「大丈夫よ。あたしひとりでも、充分だと思う」
 悪いが、アースのレベルで「強い」と言われても、それ程怖い相手ではない。先程のシニスも、その気になれば一瞬で倒せた相手だ。強いかどうか分からないと言われた場合の方が、サターンとしては警戒すべき相手なのだ。
「この口振りだと、さっきのやつも簡単に倒せた相手だったのね?」
 アースは頭がいい。サターンの言葉の裏に隠されている意味を、すぐに感じ取った。
「まぁね。本気を出すまでもない相手だったわ」
「じゃあ、なんで倒さなかったの? その方が手っ取り早かったじゃない」
「フレイアを救出するまでは、下手なことはできないでしょ?」
「なるほどね」
 アースは納得したようだった。
 森林地帯を五分ほど移動した。やがて目の前に、見上げるほどの剥き出しになった山肌が出現した。
「あった」
 アースは左に顔を向けていた。その視線の先に目を向けると、高さが二メートル。横幅が三メートルはあろうかという大穴が見えた。
「あの中なのね?」
「うん。間違いないわ。どうやって、助け出す気?」
 当然、策はあるわよね、という顔を、アースはサターンに向けた。
「今考えてる」
 大穴の入り口を見詰めながら、サターンは思案する。洞窟の内部で戦闘をするわけにはいかない。自分たちの技は威力が強すぎる。迂闊に技を放っては、洞窟そのものを崩しかねない。
アース(みさお)。あんた、喧嘩は強い?」
「口喧嘩なら負ける気はしない」
「体を使う方は?」
 アースは無言で肩を竦める。
サターン(ほたる)は?」
「あたし、体育会系じゃないもの」
 つまり、肉弾戦はふたりとも苦手ということだ。
「やっぱ、燻り出すしかないわね」
 ややあって、サターンは言った。
「燻り出すって?」
「ちょっと地震を起こしてよ。頭の上の岩盤が崩れてきたら、嫌でもフレイア連れて外に出てくるでしょ?」
「敵がフレイアを見捨てるってことは?」
「ないと思う。敵の狙いは、きっとフレイアの父親。つまりは、キング・プロメティスだと思うの。どうやら、あたしたちは間違った情報を与えられていたみたいね」
「間違った情報って?」
「キング・プロメティスは、記憶なんか失っていなかったってことよ。なんだか、きな臭いわね……。意図的に、情報操作を行った者が、シルバー・ミレニアムの中にいたってことになるのかも……。とんでもない陰謀が、裏にあるような気がしてきた」
「言ってることがよく分かんないんだけど、それって大変なことなのよね?」
「うん。キング・プロメティスに生きていられると困る人たちが、シルバー・ミレニアムの中にいたってことになるんだもの」
「内輪揉めってやつ? それとも、お家騒動かしら……。暴れん坊吉宗さんを呼んできた方がいいかも」
「よく知ってるわね」
「時代劇好きなのよ。マツケンサンバ踊れるわよ」
「マジかよ!?」
 激しく驚いているサターンを尻目に、アースは「よいしょ!」と言いながら腰を落とし、地面に右掌を付けた。マツケンサンバでも踊り出すのかと思ったが、さすがにアースはそこまで馬鹿ではない。
「さぁてっと!」
 勢い込むアースに、
「ちょっと揺らすだけでいいんだかんね」
 サターンは釘を刺す。念を押しておかないと、アースが手加減を忘れそうな気がしたからだ。
「わ、分かってるわよ!」
 僅かに動揺した表情で、アースはサターンの顔を見上げた。どうやら本当に、手加減をしなければならないことを忘れていたようだ。危なかった。
「アース・クエイク。ぷちバージョン!」
 アースは局地的に震度にして「六」程の地震を起こした。岩盤が崩れる騒々しい音が、内部から聞こえてくる。
「ちょっとってゆったじゃないっっっ!」
「加減がムツカシイのよ!!」
 やっぱり、ちょっと大きすぎたようだ。洞窟の中は、さぞかし大変なことになっているだろう。
「あ、出てきた」
 サターンは、まるで他人事のように、ボソリと呟くように言った。
 気を失っているらしいフレイアを抱えて、ふたりの男女が慌てふためいて洞窟から飛び出してきた。女性の方は見るからに強そうで、シニスと同じような雰囲気を持っている。対して、男性の方は拍子抜けするほどマヌケ面をしていた。雰囲気も、ふたりの女性たちとは明らかに違う。
「もしかして、あいつが隣村の馬鹿息子ってやつじゃ……」
 アースは男性を指差しながら、サターンに同意を求めた。
「考えられるわね。『女の人に唆されて協力してる』に、一万クリスタル・パワー」
「同感。『成功の暁には、大臣の位を与えようぞ』と言われたに、五万クリスタル・パワー」
「何者!? あなたたち」
 女性がサターンとアースのふたりの姿をようやく見付けて、鋭く詰問してきた。
「なにって言われても……。あたしたちって、なに?」
 答えに困ったアースは、サターンに振った。
「そう言えば、あたしたちって名乗りの口上がないわよねぇ……」
 顎に手を当て、サターンは真剣に悩んでいる。
「あ、あなたたち! その姿は、セーラー戦士!?」
 女性はようやく、ふたりのコスチュームに気付いたらしい。ちょっと遅すぎるような気もする。女性は激しく訝しげな視線を、ふたりに向けてきた。目の前にいるふたりが、セーラー戦士の姿をしていることが、余程信じられないと見える。
「あたしたちのこの姿を見てセーラー戦士だって分かるってことは、おばさんはこの星の人じゃないわね?」
 ビシッと相手を指差し、サターンは言った。
「お、おばさんですって……!?」
 女性の両目が釣り上がった。「おばさん」と呼ばれたことに対して怒っているらしい。
「このイーダを怒らせると、痛い目を見ることになるよ、お嬢ちゃんたち」
 女性は挑戦的な目で、ふたりを睨んだ。だが、すぐに口元に冷淡な笑みを浮かべる。
「よくよく考えてみれば、あなたたちがセーラー戦士なわけはないわね。驚いて損しちゃったわよ」
「どうして、あたしたちがセーラー戦士じゃないって言い切れるの?」
 サターンは尋ねた。その根拠を知りたい。
「あたしはね、仕事柄セーラー戦士に詳しいの。お嬢ちゃんたちは、見たところ四守護神じゃないし……。最も、四守護神だったとしたら、尚更こんなところにいるはずがない」
「確かに四守護神じゃないけど。セーラー戦士よ?」
「はったりね。あたしは騙されないわよ? 四守護神は、今、ここに来る余裕はないでしょうし、外部太陽系の三人は自分の持ち場を離れることはできない。ヴァルカンは封印されているし、アスタルテが地球に降りるとは思えないわ。簡単な消去法よ」
「あんた、除外視されてるわよ?」
 アースが意地悪そうにサターンに言った。
「失礼よね」
 サターンは不機嫌になる。今の話から推測するに、このイーダという女性は、かなりシルバー・ミレニアムの内情に詳しいようだ。セーラー戦士のそれぞれの事情も役割も、きちんと把握している。しきりに、四守護神がこの場に来れるはずがないと言っていることが気になるが。
 隣村の馬鹿息子はと言うと、気を失ったフレイアを抱えたまま途方に暮れている。イーダと自分たちの顔を、相互に見比べる。無視しても害はないだろうと思うから、サターンもアースも、ひとまず馬鹿息子はそのままにしておくことにした。
「お嬢ちゃんたちがセーラー戦士だって言い張るのなら、名前を名乗ってごらんなさいよ。あたしは一応、シルバー・ミレニアムの全セーラー戦士を知っているのよ?」
 イーダはアースに目を向けた。だから、アースは答える。
「あたしはセーラーアース」
「聞いたことも見たこともないわ。そんな名前のセーラー戦士」
 イーダは馬鹿にしたように、声高らかに笑った。アースはちょっとムッとする。
「そりゃ、そうよ。この時代(・・・・)にはいないセーラー戦士なんだもの……」
「あなたは? 一応、聞いてあげる」
 今度はサターンに顔を向けた。言葉尻に笑いが含まれている。完全に嘘だと思っているようだ。
「セーラーサターン」
 サターンは答えた。
「はぁ!? 言うに事欠いて、セーラーサターンですって!? 冗談も休み休み言いなさい。滅びの戦士が、こんなところにいるはずがないじゃない。あたしを驚かそうってつもりだったんでしょうけど、残念でした。少しはセーラー戦士のことを知っているみたいだけど、中途半端な知識で、真似事をするのはおよしなさいな。ポロが出るわよ」
「信じてないみたいよ?」
「信じてくれなくったっていいけど……。アース(みさお)、そろそろフレイアを助けてもなかのところに戻らないと、ヤバクない?」
「そうね。ホントに死なれちゃうと、虐める相手がいなくなって、ちょっと寂しいし。……あたしが仕掛ける」
 言いながら、アースは腰を落として左膝を地面に付けた。その姿勢のまま、右手で地面を触れる。
 女性は不思議そうに、アースの行動を目で追っている。馬鹿息子は文字通り馬鹿面をして、腰を落としたアースのスカートの裾辺りをジッと見ている。
 その視線にアースは気付き、顔を上げた。馬鹿息子と目が合った。馬鹿息子は悪戯が見つかってしまったような子供の顔をして、慌てて視線を外した。
「ムッツリスケベ」
「だね」
 サターンは腕を組み、ゆっくりと肯いた。馬鹿息子が考えそうなことだ。この期に及んでそのような余裕があるとは、呆れてものも言えない。
「そんじゃ行きますか。アース・クエイク。本気バージョン!!」
 ドーンという衝撃と共に、大地が激しく揺れた。飛び上がるような勢いのある縦揺れの後、天と地がひっくり返るような激しい横揺れが襲ってきた。
 サターンは予め体を宙に浮かせていたので何ともないが、馬鹿息子とイーダはひとたまりもなかった。馬鹿息子はフレイアを放り出し、顔を引きつらせてその場で腰を抜かしてしまった。
 震動が収まった。無様にその場に倒れ込んでしまったイーダは、これ以上は開けないというほど目を見開いて、アースの顔を見ている。とても驚いているようだ。声も出ない。馬鹿息子も同じである。腰を抜かしたまま口をパクパクとさせているだけで、声が出てこない。
「サイレンス・グレイブよ。我が手に!」
 サターンは右手にサイレンス・グレイブを実体化させた。イーダの目が、文字通り飛び出したように見えた。どうやら、サターンが手にしている鎌が何であるか、その正体を知っているらしい。本人が言う通り、かなりセーラー戦士のことには詳しいようだ。
「そ、そ、それはまさか。ち、沈黙の鎌!?」
「そうよ?」
「そんなはずはない!! 沈黙の鎌は、セーラーサターンのアイテムだ! お前如きが、持っているはずはない!!」
「だから、あたしはセーラーサターンだって言ってるでしょ?」
「そ、そうか、レプリカだな!?」
「自信満々に言い切らないでよ。違うって……」
「あんた、全然信用されてないみたいよ?」
「ふぅ……。ま、気持ちは分かるけどね」
 セーラーサターンは破滅を呼ぶ戦士なのだ。滅びの瞬間にのみその姿を現し、沈黙の鎌を振るって全てをリセットすることが役目の戦士だ。確かに、本来ならこの場所にいてはいけない戦士であることに間違いはない。
「色々と説明するの面倒だから、とっととケリ付けちゃお」
 サターンはサイレンス・グレイブを掲げた。

 もなかとアポロンは、シニスの攻撃を巧みにかいくぐり、元気に逃げ回っていた。もなかは逃げ回るのは、得意中の得意なのである。追い掛けているシニスの方は、既に息が上がってしまっている。
「どこだ!? どこに隠れた!? 出てこい!!」
 上空でヒステリックに叫ぶシニスの声を、もなかとアポロンは茂みの中で身を小さくして聞いていた。こういうときは、体が小さい方が便利である。仮にまことだったなら、お尻がはみ出してしまいそうな茂みでも、もなかなら体全体を隠すことができる。森の中だから、もなかが身を隠せる茂みは、そこら中にある。
「そろそろ戻ってきてくれてもいい頃なんだけど……」
「大丈夫なのか、あのふたり? 相手はたぶん、並の人間じゃないぞ」
 アポロンはもなかたち三人のことを、ごく普通の地球人だと思っている。地球人が、特殊な能力を持つシルバー・ミレニアムの人間に敵うわけがないのだ。
「ああ! 心配ない、心配ない。 ああ見えても、あのふたりとっても強いから」
「体術でも心得てるのか? それにしては、細っこい腕をしてたけど……。とても、腕っ節が強そうには見えなかったぞ?」
「腕っ節じゃないわよ……。あたしはよく知らないんだけど、ほたるは世界を破滅させることができる能力(ちから)があるんだって。操のやつは、人を破滅に導くのが得意だけど……」
「なんだか言っていることがよく分からないんだが、大丈夫だって言うのなら、心配はしないけど……」
 アポロンはそれでも半信半疑といった顔をしている。
「出てこないなら、こうするまでだ!!」
 ついにシニスがキレた。炎を放って、樹木を焼き払うという暴挙に出た。もなかとアポロンの周囲が炎に包まれる。
「ウソ!? あいつ、信じらんない!!」
 もなかは慌てた。自分たちを捜し出すためとは言え、森全体を焼き払おうとするなど、正気の沙汰とは思えない。小動物たちが逃げ場を失い、右往左往している。
「もう! あったま来た!!」
 もなかはスックと立ち上がった。
「ヤバイぞ! 俺たちも逃げ場がない」
「もう逃げるのはお終い」
「え!?」
「サン・クリスタル・パワー! メイク・アップ!!」
 変身の呪文(スペル)を声高らかに叫び、もなかはセーラーサンへと変身した。
「そ、その姿はセーラー戦士!? キミは、いったい……。それに、キミから感じるその力は……」
 アポロンは信じられないものでも見るかのように、セーラーサンの姿を見詰めた。アポロンはセーラーサンの中に、キング・プロメティスの力を感じ取ったようだ。
「行くよ、アポロン!」
 セーラーサンはアポロンを抱き上げると、上空に向かってジャンプした。
「な!? セーラー戦士だと!?」
 シニスは両目を見開き、驚愕に唇を震わせている。
「そんな馬鹿な……。今、この場に来ることができるセーラー戦士はいないはずだ!」
「観念なさい!!」
 森が炎に包まれる。しかし、それも一瞬だった。燃え上がった炎は、瞬く間に鎮火する。
「あなたの仲間はやっつけたわよ!」
 サターンがシニスの左斜め後方に現れる。炎を消火したのは、恐らく彼女だろう。
「フレイアは救助したわ。あなたの負けよ」
 アースはシニスの右斜め後方に位置を取った。セーラーサン、サターン、アースの三人はトライアングルの陣形を組み、シニスを包囲していた。
「セーラー戦士が、他にもふたり!? あのイーダが倒れたって言うの!?」
「弱かったわよ、とっても……。まぁ、逃げ足だけは、とっても素晴らしかったけど……」
 サターンは大袈裟に肩を竦めて見せた。フレイアは取り戻したものの、イーダは撃ち漏らしてしまったらしい。
「どうする、おばさん? あたしたち三人を相手に、勝てる見込みは零パーセントよ?」
 アースは挑発的な視線をシニスに向けた。シニスは憎々しげに表情を歪め、唇を噛んだ。
「おのれ……。このカリは、必ず返す!!」
 シニスは上空に向かって、猛加速で退散していった。
「根性ないわねぇ……」
 戦わずして逃亡してしまったシニスに対して、アースは嘲るようにそう言った。

 三人を迎えに、プルートが来てくれた。これでようやく、二十世紀に帰ることができるようだ。
「ありがとう。キミたちのお陰で、大事件にならずにすんだ」
 アポロンは、もなか、ほたる、操の三人の顔を、均等に見回した。
「どういたしまして」
 代表して、ほたるが答えた。アポロンからは色々と聞きたいこともあったが、それは聞かないでおくことにした。自分たちが知ったからといって、何かができるわけでもない。この時代で自分たちができることは限られているのだ。それがどんな悲劇を生むことになるのか分かっていても、歴史そのものを変えてしまうわけにはいかない。それは、禁忌(タブー)である。
「じゃあ、帰ろうか」
 アポロンから見えない位置で、プルートが三人を待っている。恐らくアポロンは、プルートの姿を見ればそれが何者であるのかすぐに分かってしまうだろう。だから、プルートはアポロンの前に姿を見せることはできない。
「じゃあね、アポロン」
 ほたると操は、くるりときびすを返した。
「もなか?」
 だが、もなかだけは、まだアポロンを見詰めたままだった。操が何か声を掛けようとしたが、ほたるがそれを制した。操も納得して、無言でもなかを待つことにした。
「どうした、もなか?」
 アポロンは尋ねる。もなかは泣き出したくなるのを必死に堪えて、笑顔を作る。一緒に逃げ回っていたときはそんな余裕はなかったが、今この時、ようやくもなかは、アポロンに対して思いを巡らせることができるようなっていた。だから、どうしていいのか分からず、アポロンの顔を見詰めてしまっていたのだ。
「もなか?」
 アポロンは、何故もなかが、あんなにも悲しげな目で自分を見詰めているのか分からなかった。単に別れが辛いという感情とは別の感情を、もなかの表情から読み取っていた。
 もなかは、大きく息を吸い込んで、もう一度笑顔を作った。
「アポロン、会えて嬉しかった」
「うん。俺もだ」
 アポロンはすぐさま肯いてくれたが、もなかの言葉の本当の意味を彼は分かっていない。
「……なぁ、もなか」
 アポロンは、半泣きのもなかの顔を見上げる。
「もう一度、会えるかな?」
「!」
 もなかは、言葉を詰まらせた。自分たちは、もう一度会える。だが、その先に待っているのは、アポロンの死だ。
 なんて答えていいのか分からなかった。ほたるが近寄ってきて、もなかの右肩に優しく手を差し伸べてくれた。もなかは肯く。
 笑顔を作って、もなかはアポロンの顔を見詰め返した。
「うん、きっと会えるよ」
 そして、少し照れたように笑んだ。
「だけど、その時はきっと、あたし、あんたのこと忘れちゃってるかもしれないから、今、言っておくね」
 もなかは真っ直ぐに、アポロンの顔を見る。
「大好きだよ、アポロン。あんたに会えて、よかった」

 時が過ぎる。
 ふたりが出会った時代から、気の遠くなるような年月が経過した。
 そして、ふたりは、この時代でもう一度巡り会う。
「おっ。お前、最近よく見掛けるねぇ」
 ブロック塀の上で、晩冬の柔らかい日差しを受けて微睡んでいたアポロンに、明るい声が掛けられた。気怠そうに、アポロンは顔を上げる。髪の一部を、左右ひとつずつ、輪っか状に結っている女の子が、自分のことを見詰めていた。セーラー服を着ていた。
「あんた、ノラ猫?」
 女の子は話し掛けてくる。
「行くトコないんだったら、あたしがメンドー見てあげよっか? そっかぁ、そしたら、名前がいるよね」
 女の子は勝手に話を進めている。
「そうだ! アポロン! アポロンってどう? 猫らしくない名前だけどさ、お前見てたら、ふっと閃いたんだぁ。お前の名前は、アポロンにしよう! 決まりね!」
 軽く頭を撫でられた。気持ちが良かった。
「もなかぁ。あんたまだそんなトコにいるの? 早く行かないと、遅刻するわよ!」
「はぁい! じゃあね、アポロン。帰ってきたら、一緒にひなたぼっこしよ」」
 女の子は駆け出していく。アポロンは、遠ざかっていく女の子の華奢な後ろ姿を見ながら思う。
「忘れてやいないじゃないか、もなか。キミは、俺の名前を、ちゃんと覚えててくれた」






あとがき


「血色の十字軍」より、だいぶ後の話です。もなか、操、ほたるの中三トリオが活躍するお話を書きたくて、こんな話を考えました。
 この作品は、04年夏のコミケで発行するコピー本用として執筆した作品なんですが、初めて日向作品を手に取った方には分からない内容が多すぎると感じ、同人誌としての発表を見送りました。既存のキャラもほたるだけで、残りは全員オリジナルキャラですからね〜(^^ゞ
 さてさて、この話で登場したシニスとイーダさん。倒されもせず逃亡してしまった彼女たちですが、実は彼女のお友達が、他の日向作品に登場しています。そのお友達が、別の何かを企んでいたので、「四守護神がここに来れるはずがな〜い」とシニスが言っているのです(笑) どの作品に登場している誰なんでしょうね〜、そのお友達は……。
 今回登場したシニスさんと、イーダさんとそのお友達は、また別の作品に登場するはずです(^^)



2004.12.9 日向 環