200X年のとあるお正月
「ママぁ、ママぁ。はやくいこ!」
玄関先で元気な声がする。
「はいはい、分かった、分かった」
うさぎは真っ白いコートを羽織ると、ドタバタと玄関へやってくる。
「ママがビリっかすぅ。しずくがいっちばん!」
エッヘンと胸を張り、四歳になる娘のしずくが小憎らしい笑みを浮かべた。
「ええっ!? しずくに、もうこんなかっこさせちゃったの? 電車で行くのに注目の的よ!?」
うさぎは呆れたような視線を、微笑ましげにしずくを見ている衛に向けた。
「着たいってうるさいからさ………。いいよ、車で行こう。正月だから道は空いてるよ」
諦めたような笑みを浮かべて、衛は答える。ミュージカル版の華やかなエターナルセーラームーンの衣装を着込んだしずくは、すこぶる御機嫌である。早く着たいと駄々を捏ねられ、衛は根負けしたようだった。
「うさの着替えが遅いからだぞ」
「あたしのせい!?」
うさぎは目を吊り上げる。確かにメイクにいつもより時間を掛けたが、それ程余計に時間を掛けた覚えはない。しずくの駄々に根負けしたのは衛の方なのに、それを自分のせいにするとは許せない。
「まもちゃんがしずくに甘すぎるのよ!!」
「けんかはいけません!」
うさぎが衛に食って掛かろうとしたとき、足下からしずくの声がする。
「けんかをしたら、つきにかわっておしよきよ( !」)
懐かしのポーズを決め、自分たちを見上げるしずくの可愛さに、ふたりはつい笑みが零れた。
「しずくぅ。『おしよきよ』じゃなくって、『おしおきよ』よ。それと、指の形はこう」
まだ上手に「おしおき」と言う言葉が言えないしずくを軽く窘( めながら、うさぎは彼女の右手の指の形を整えてやる。)
「うん。わかった!」
しずくはにっこり笑うと、もう一度ポーズを取った。
「つきにかわっておしよきよ!」
相変わらず「おしおき」と言えなかったが、今度はポーズは決まっていた。
「さぁ、行こうか」
娘のポーズを見届けた後、衛はしずくをひょいと抱き上げる。ドアを開けて外に出ると、晴れやかな太陽の陽射しの元、白い息を吐きながら佇んでいるふたつの人影を見付けた。
「おっそいよぉ! いつまで待たせんのよぉ!!」
「あ、すまん。来てたの忘れてた………」
「え? ふたりともいつ来たの?」
「全くこの夫婦は………。なんか言ってやってよ、ほたるちゃん」
呆れたようにかぶりを振ると、ちびうさは傍らのほたるに言った。
「明けましておめでとう御座います。衛さん、うさぎさん、しずくちゃん」
ほたるはペコリと頭を下げ、三人に新年の挨拶をする。
「明けましておめでとう、ほたるちゃん。髪切ったんだ。懐かしいわね、その髪型」
「気分転換に切ったんですけど、寒いんですよぉ………。ちょっと後悔してます」
そう答えるほたるは、照れたような笑みを浮かべた。少し前まで腰の辺りまで伸ばされていた髪が、今はおかっぱになっている。彼女が十代の頃は一貫しておかっぱ頭だったのだが、成人を迎える頃から徐々に伸ばし始め、最近ではストレートロングが定番になっていた。
「やっぱり、ほたるちゃんはこの髪型だよね」
嬉しそうに言うちびうさに向かって、
「あんたは相変わらずその髪型なのね」
昔から一向に変化のない「うさぎ耳お団子」を指しながら、うさぎは言った。
「自分だってお団子頭じゃないのよ!」
「今日はしずくに合わせたのよ」
「はやくいこうよぉ」
大人たちの会話に退屈したしずくが、うさぎのコートの袖を引っ張った。いつの間にやら駐車場から車を回してきた衛が、運転席からこちらを見ている。
「しずくは、ほたるおねえちゃんと、ことおばちゃんといっしょにうしろにのるの」
「ちょ、ちょっとしずくぅ。なんでほたるちゃんが『お姉ちゃん』で、あたしが『おばちゃん』なのよ!?」
聞き捨てならんと言った風に、ちびうさはしずく問う。ちなみに「こと」とはちびうさのことである。月野小兎が、現在のちびうさの本名である。
「?」
何を言われているのか分からず、しずくはキョトンとなる。
「さては………。アンタね! しずくにそんな風に教えたのは!!」
ちびうさの剣幕から逃げるように、うさぎはそそくさと助手席に逃げ込んだ。
車は一路、後楽園遊園地へ。今日は後楽園遊園地でコスプレフェスティバルが開催されるのである。今年は、初のお正月特別開催だった。
誘ったのはちびうさである。何やら最近、コスプレに凝り出したようで、昨年は度々こういったイベントに参加していたようである。夏にはしずくを連れ出して「セーラームーンミュージカル」を観に行くと、しずくもすっかりコスプレの虜となってしまい、ついにはクリスマスプレゼントとして、ミュージカル版エターナルセーラームーンの衣装を買ってあげなければならなくなってしまったのた。既製品は出来が悪いということで、何やらその筋の知り合いに衣装の制作を依頼すると、クリスマスにサンタの恰好をして地場家に現れたのである。ちなみに、ちびうさがイブをどう過ごしたのかは、ここでは敢えて触れないでおく。
衣装はなかなか値が張ったが、これがなかなか素晴らしい出来映えだったので、しずくはすっかり御機嫌となってしまった。で、早くお披露目をしたいと言うことで、今日のイベント参加ということになったのである。
「冬公演は観に行ったの?」
後部座席のちびうさに、うさぎは助手席から尋ねた。ちびうさはうさぎの後ろに座っていた。膝の上にはしずくがいる。
「あしたあしたあしたぁ! しずくもいくんだよ!!」
元気に答えてきたのはしずくである。どうやら、明日はしずくから解放されるらしい。
「明日は美奈Pも来るらしいよ」
「まさかアンタ、美奈Pまで引き込んでないでしょうね。調子に乗らせると、衣装着るの面倒だからって変身しかねないわよ」
「うん。衣装は変身ペン使うって言ってた」
「おいおい………」
本人がヴィーナスのコスをするって言うのも、なかなか面白い趣向だが、変身ペンを使うのは反則である。それではコスプレにならない。
「美奈子ムーンやるって言ってた」
「あ、そう言えば浅沼さんにタキシード仮面やらせるって話どうなったの?」
思い出したように、ほたるがちびうさに訊いた。
「おいおい、浅沼もコスするのか?」
慌てたのは衛である。しかも、タキシード仮面をやるとなると、聞き流すわけにもいかない。
「だめぇ! たきしーどかめんはパパなのぉ」
「あ、そっか。一セットまもちゃんが持ってるんだから、タキ様はまもちゃんにやってもらえばいいんだ」
「俺はやらんぞっ」
このままだと本当にタキシード仮面役をやらされそうなので、衛は早々に断言した。
「けちっ」
ちびうさは不満そうに鼻を鳴らした。
一月三日だと言うのに、後楽園遊園地は大賑わいだった。今日一日は遊園地としての運営は行わず、全国から集まってきたコスプレーヤーたちに場所を提供することになっていた。
「うわぁ、凄いわねぇ………」
ありとあらゆるキャラクターたちのコスをした若者たちに圧倒され、うさぎは思わず息を飲む。衛などは、目が点になっていた。
「ことおばちゃんは、なににへんしんするの?」
ちびうさの抱えているバッグが気になるしずくは、即座に尋ねてきた。まるでこれから旅行にでも行こうかという大荷物である。ほたるも、同じように大きなスポーツバッグを持ってきていた。
「今日のあたしは『ゆいムーン』だよ。ほたるちゃんは『ほたるチェリー』って、おばちゃんじゃなくって、お姉ちゃんでしょ? さっき車の中で教えたでしょ?」
「ゆいむーん。はやくみたいっ」
しずくの興味は既にちびうさのコスへと移っている。何を言っても無駄なようだった。ちびうさはがっくりと肩を落とした。
「なんだ? 『ゆいムーン』って?」
聞き慣れない言葉を耳にした衛が尋ねてきた。
「え? 知らないの? 『美少女戦士セーラーフローリア』 大人気アニメだよ」
ちびうさが教える。
「そうなのか?」
「うん。しずくも大好きみたい。ルーティ人形家にあるじゃない」
「あのピンクのうさぎのぬいぐるみ、それに出てくるキャラだったのか」
アニメなどは見ない衛は、キャラクターの話をされてもさっぱり分からなかった。
「あ、こっとんさんにほたる子さんだ。あけおめ!」
「おっす、魅由ちゃん。あけおめ!」
何やら声を掛けられたちびうさが、振り向いて挨拶をしている。
「こっとん? ほたる子?」
「あたしたちのコスネームです。うさぎさん」
顔を真っ赤にしながら、ほたるが小声で説明してくれた。
「メシアの人たちはいつもの場所?」
「たぶん、そうだと思います。でも、未来さんにも琴乃さんにもケータイ繋がらなくって」
「あんりさんは?」
「駄目なんです〜」
魅由ちゃんは困ったように眉を寄せた。
「ひとりで来たの?」
「いえ、にゃんちぇりさんと一緒です」
答えながら、視線をしずくに向けた。
「可愛いっ!! エタムーンだぁ!!」
「しずくだよ!」
誉められたと分かったしずくは、上機嫌で胸を張る。自慢げに両親を見やった。
「凄いっしょ? camuiさんと未来さんの合同制作よ」
「おお〜」
感嘆の声を上げられても、その人たちがどういう人たちなのか分からないうさぎは、感心しようがない。でも、きっと有名な人たちなのだろうとは思う。
「魅由ちゃん、魅由ちゃん! バービーさん発見!! あ、こっとんとほたる子だ。今来たの?」
「ちーすっ。にゃんちぇりさん」
「うわ、可愛いぃぃぃ〜〜〜。写真撮らせてぇ!!」
しずくを発見し、撮影の許可を求めてきた。
「あ、はい。どうぞ」
「ありがとうございますぅ」
うさぎがこのエターナルセーラームーンの母親らしいと分かったのか、うさぎにお礼を言うとカシャカシャとシャッターを切った。
「あ、あのっ。あたしホームページ持ってるんですよっ。お写真アップさせてもらってもいいですか?」
そう言いながら名刺を差し出してきた。名刺には「桜のおもちゃ箱 猫乃桜」と記してあった。
「え? ホームページ?」
「いいんじゃないか?」
「はい、どうぞ。お願いします」
衛に伺いを立ててから、うさぎは答えた。許可をもらって、にゃんちぇりさんは大喜びである。
「あ、そう言えばバービーさん発見したって」
「そ、そうなのよ、こっとん! 早く行かねばっっっ」
「あたしたちも行きます! しずく、行くよ!」
「はぁい!」
しずくはちびうさとほたるに手を引かれて、人混みの中を掻き分けて消えていく。
「おいおい、はぐれるぞ」
慌てて衛は後を追った。
人混みの中を衛の背中を見失わないように移動していると、突然絹を裂くような悲鳴が辺りに轟いた。
「なに!?」
うさぎは反射的にその方向に顔を向けた。おどろおどろしい煙が上がっている。何やら奇妙な物体が、宙を漂っていた。
「わらわは、この地に住まう地霊( ラクエーンじゃ。若々しいエナジーがわんさとあるわ。全て吸い尽くしてくれる」)
「地霊( ですって!? まだ、あんなのがいたの?」)
地霊( その地に住む精霊の一種である。各所にその類がいることは分かっているが、ここ何年も姿を見ていなかった。どうやら、若者のパワーによって目覚めてしまったようである。)
このままでは、若者たちのエナジーが吸い尽くされてしまう。
「地霊( !? あんなのが残っていたなんて!」)
ちびうさとほたるも、宙に浮く地霊( を発見していた。コスプレーヤーたちのエナジーが、徐々に吸い取られてゆく。)
「うわっ、キモ〜イ。なんのコス?」
「コスじゃないのよ、魅由ちゃん。早く逃げなきゃ!」
避難を促すが、なかなかうまくいかない。今の後楽園遊園地は、コスプレ会場である。どんな際だった恰好をしていても、コスプレだと思われてしまう。
「パパぁ、アレわるいやつじゃないの?」
しずくは本能的に、地霊が何者であるのか感じ取っているようである。衛としてもこの状況をどうにかしたいのだが、あまりにも人が多くて変身ができない。ちびうさやほたるも同様である。
「ん? うさは?」
周囲にうさぎの姿がないことに気付いた、正にその時だった。
「お待ちなさい!」
凛と響く声が、周囲に響いた。
「あっ! セーラームーンだ!!」
しずくが一点を指差す。ジェットコースターのレールの上に立つセーラームーンの姿が、陽の光を浴びて目映いばかりに輝いて見えた。
「公共の場でおイタをする悪い子ちゃんは、このセーラームーンが、月に代わって、お・し・お・き・よ!!」
拍手喝采が起こった。どうやら、アトラクションだと思われてしまったらしい。
「邪魔するなぁ!」
地霊( が標的をセーラームーンに絞った。何やら鞭のようなもので、セーラームーンに攻撃を加える。)
「うわぁっ!」
華麗に躱したつもりが、バランスを崩してしまう。
「あっちゃあ、やっぱブランクありすぎだよぉ。動きが重すぎっ」
ちびうさが目を覆った。うさぎが第一線で活躍していたのは、既に過去の栄光である。さすがに、以前のようには動けない。
「パパぁ。ママがあぶないよ?」
しずくが衛の顔を見上げた。今戦っているセーラームーンが、自分の母親であることに気付いているらしい。
「よし、パパに任せろ」
衛はウインクをすると、人混みを掻き分ける。
「うぅ〜〜〜。なんか思うように動けないよぉ………。や、やっぱ歳かしら………」
そろそろ三十歳に手が届く歳である。十代の頃と同じように動けるわけもない。咄嗟に変身してしまったが、よくよく考えると無謀な行動だった。ちびうさとほたるに任せればよかったと後悔をしたが、今更遅かった。しかし、このままでは公衆の面前でみっともなく敗北するのは目に見えている。
「あいつの動きさえ封じれば………」
地霊( は、ちょこまかとすばしっこかった。だから必殺技が当たらないのだ。)
「お前のエナジーも吸い取ってやる!」
地霊( が急接近してきたその時、突如飛来した何かが地霊) ( の右目に突き刺さった。)
真っ赤な薔薇である。
戦闘を見つめていたコスプレーヤーたちから歓声が上がった。
「さぁ、今だ! セーラームーン」
マントを風に靡( かせ、タキシード仮面が叫んだ。)
「ムーン・シャイニング・ヴァージン・ロードぉ!!」
凄まじい光の道が、地霊( を飲み込むと天に向かって延びる。)
「ぎゃあああ!!」
地霊( は悲鳴を上げて消滅した。)
拍手喝采である。
コスプレーヤーたちに軽く手を振ると、セーラームーンとタキシード仮面は宙を舞い、やがて見えなくなった。
「ももももも、もしかして、今のホンモノだったんじゃ!?」
「さ、さぁ………。どうかしら」
大興奮のにゃんちぇりさんに軽く答えて、ちびうさはしずくを抱き上げた。
「ママはむてきだよね?」
「うん。そうだね」
小声でそう問い掛けてくるしずくに、ちびうさは微笑みながら答える。
「いつまでも、セーラームーンは無敵だよ」
ふたりが消えていった方向を眺めながら、ちびうさはそう言って聞かせるのだった。
二日後、地場家を訪れたちびうさは、居間で動けなくなっているうさぎを発見した。
「う、うさぎ! どうしたの!?」
「ち、ちびうさぁ〜〜〜」
慌てて駆け寄るちびうさに、うさぎは情けない声で救いを求める。
「筋肉痛で動けないのぉ………。お願いだから、しずく連れてお買い物行ってきて」
「だらしないぞママぁ」
しずくが、うさぎの頭をペチペチと叩いていた。
「昨日は何ともなかったのに、今日になって急に体のあっちこっちが痛くなってきて………」
「はぁ………」
ちびうさは深い溜め息を付く。
「歳取ると筋肉痛が二日後に襲ってくるって本当だったのね………。ってことは、まもちゃんも今日は………」
「死にそうになりながら、仕事行った」
「この夫婦は………」
史上最強の夫婦も、歳には勝てないらしい。
あとがき
別にお正月ネタにすることもなかったのですが、お正月ネタとして考えていた作品なのでそのまま完成させました。
ネオ・シルバー・ミレニアムのクイーンとして君臨するうさぎちゃんの姿は、実はあまり好きではないので、普通に主婦しているうさぎちゃんが描きたいなぁと考えているうちに、こういったストーリーになりました。娘も「ちびうさ」ではなく、「しずく」と言うオリジナルキャラにしました。ちびうさはやっぱり、ちびうさとして描きたいし、それにうさぎちゃんの娘としてちびうさが生まれてしまうと、未来の彼女は20世紀に来れなくなっちゃいますからね。(しかし、同姓同名のAV女優がいるんだけど、その人とは何の関わりもありません・・・。ずっと考えていた名前なので・・・)
いくつかあるパラレルワールドのひとつだと考えて頂けると嬉しいですね。
さてさて、今回はレイヤーさんたちの集いが舞台となっている関係上、知り合いのレイヤーさんたちにもご登場頂きました。またこういったストーリーの時は、ご登場頂くかもしれません(笑)
2003.1.1