PrettyGuardianSAILORMOON“ParallelFinal”


<まえがき>

 これは、実写版セーラームーンの最終回を見て、それ以前から考えていた自分なりの最終回を形にしてみたいと触発されて、執筆してみました。テレビの最終回のアイデアも使わせてもらっていますが、独自のテイストも試みています。
 これだけ想像力を駆り立てられた作品を、限られた期間で、限られた時間枠に収めて仕上げたスタッフ、キャストの方々に、一ファンとして感謝を込めつつ……。



 刃は血塗られ、赤く妖しい光を放っていた。
 その光に魅入られるかのように、自失していたセーラームーンの目には、全ての時が止まったように見えていた。
 ただ、己の足元で、最愛の男性(ひと)が崩れ落ちるさまだけが、スローモーションのようにゆっくりと、網膜に焼きつけられていく。恐ろしいほどに永い一瞬――。
 そして、彼が倒れ伏した瞬間(とき)
 彼女は網膜に刻まれた光景の意味を理解する。
「衛……」
 蒼くなった震える唇から、消え入りそうな声がこぼれると共に、手中にあった剣もこぼれ落ちる、血の滴るさまに似て。
 瞳孔が収縮し、声にならない悲鳴をあげた。それは己を否定する魂の叫び。

 うさぎは、何の反応も示さなかった。一方で、セーラームーンの姿であり続けている。月野うさぎに戻ることを拒むように。
 衛の遺体を、膝枕の姿勢で安置して、(いと)おしむことしか眼中に無いように。厳かで静謐に、己の世界を閉ざしており、仲間の声も届かずにいる。
 生命力すら希薄に感じる。
「うさぎちゃん」
 亜美がたまらず嗚咽を洩らした。
 まことが彼女を慰めるように肩を抱く。その手は、彼女自身の慨嘆を示すように震えている。
 レイはセーラームーン(うさぎ)を直視することができず、俯く。
 三人とも無力感に打ちひしがれていた。
 (メタリア)から解放されたことで、再び衛の身を包んだ高貴な白の正装は、皮肉にも死に装束としか三人の目には映らない。
 何故、普通の恋人のように、膝枕をして互いを確かめるふたりを、彼の生前に見ることができなかったのであろう。
 何を間違えた!?こんな悲劇(こと)、誰が望んだ!?
 自分たちの声すら届かないセーラームーンに、亜美、レイ、まことは一層憂愁を募らせるばかりであった。
 だが、この無力が、この静寂が、終幕ではなかったことを、彼女たちは次の瞬間に悟る。
 不穏な大気のゆらめきが、空間の(ねじ)れを伝え、三人は戦士の顔を取り戻し、身構える。
 空間を強引に捩じ曲げ、この場に現れたのは――予想どおりの人物。
「クインベリル……ッ」
 戦士たちは苦々しく呟く。やり場のない怒りは、敵である彼女に向ける以外なかった。それが、いかに虚しいことであるか頭ではわかっていても。
 先手必勝とばかりに、美奈子に代わってリーダー役を務めるレイを筆頭にして、メイクアップの体勢を整えようとした矢先、
「エンディミオン……」
 クインベリルが我知らず口にした言葉に、レイたちは動きを止める。うさぎの、衛を求める声と同じ悲痛な響きを有していたから。
 クインベリルは衛――エンディミオンの亡骸を凝視すると、無理にでも落ち着こうとするかのように、胸を反らし、セーラームーンに向けて声を押し出す。
「プリンセス……何故お前は、わらわから何もかも奪おうとするのだ……前世の昔から……エンディミオンも……富も権力も……そして今度は、クインメタリアまで……っっ。お前こそ、尽きることのない欲望の化身……己のエゴで全てを呑み込み、無に帰す者……大いなる悪だ!!」
 クインベリルの罵倒に、無反応のセーラームーン(うさぎ)に代わって、まことが声を振り絞って反論する。
「違う!うさぎは、アンタやメタリアから、この星を守ったんだ!」
「エンディミオンを殺してな」
 冷ややかに、クインベリルは切り返す。揺らがない事実。
 それは、まこと、レイ、亜美はおろか、これまでのやりとりを意に介していなかったセーラームーンの心を抉る。
「殺した……私がエンディミオンを殺した……エンディミオンは、死んだ……エンディミオンは、もう……いない……」
 うわ言のように独白を繰り返し始めたセーラームーンに、一同は瞠目する。それは、さながら呪詛のように、心を絞めつけていく。
 ――うさぎちゃんがメタリアにもなれるってこと。
 かつて自分が弾き出した最悪の未来が、現実のものになろうとしている。亜美は胸を抑えながら、胸を絞めつける息苦しさを振り切って、叫ぶ。
「うさぎちゃん、だめえぇ」
 だが、目に飛び込んできたのは、残酷な現実。
 セーラームーンの手から、エンディミオンの身体が光となって霧散する。もはや、セーラームーンを、繋ぎ止めるものはないことを、その場にいる誰もが直観した。
「エンディミオンが消えてしまった……エンディミオンがいなくなってしまった……」
 エンディミオンが横たわっていた場所に、一筋の涙が地に落ちた。
 そして、セーラームーンは幽鬼のような虚ろな表情で立ち上がると、光に包まれる。
 超新星のような閃光(フレア)から、皆、手や腕をもって目を庇う。
 変身前であった亜美たちはこらえることも叶わず、瞬時に吹き飛ばされる。
「たかが、小娘と思っていた……それが……」
 クインベリルは過去の自分を悔いた。なまじ耐えることができたため、際限なく威力を増していく灼熱の光の爆発は、彼女の肉体をも焼き尽くそうとしている。
 だが、それでも構わないと思った。身のほどを知って、あきらめがついた。
「わらわの手に余る代物であったか」
 観念してガードを解こうとした時、光を遮る者がクインベリルの前に現れた。ジェダイトである。
 瞬時に燃え上がった自分のマントを横目に、
「失礼をっ」
 ジェダイトは必死な形相で、予め断った彼らしからぬ不調法でクインベリルの手を取ると、瞬間移動で、その場から逃れる。
 クインベリルが退くと、光の波動は収束する、その中心で立っていたのは、プリンセスセーラームーン。
 無感動の視線が周囲を巡る。
 自分の力で、傷付き倒れた仲間が目に入っても、一顧だにしない。
 本来、王族にとって、家臣は気を煩わせるまでもない存在なのであるから。
 その間に、衛からのうさぎへのプレゼントであったムーンフェイズ時計が、力の放出の余波を受けて、彼女の懐から滑り落ちる。けれども、プリンセスは気に留める素振りすら見せない。
 エンディミオン自身がいなければ、全てが無意味なのである。
 何の枷もない彼女は、彼女の欲求に忠実に動く。
「この星を終わらせる。エンディミオンと共に……」
 収束した光は今もなお、プリンセスの胸で脈動していた。銀水晶は脈打って、その力を、プリンセスの全身の隅々にまで行き渡らせようとしていた。
 プリンセスの身体が浮き上がる。
「ま、待って」
 亜美が懸命に立ち上がった。身体中が悲鳴をあげていた。自分の言葉がプリンセスに届かないこともわかっている。
 だけど、ムーンフェイズ時計をも無意味と断ずるプリンセス(うさぎ)を見てしまったから。そんなうさぎ、哀し過ぎるから。衛からもらったムーンフェイズ時計を嬉々として見せてはしゃぐうさぎの明るさが、今も瞼の裏に焼きついているから。
「マーキュリーパワー、メイクアップ!」
 渾身の力で、亜美はマーキュリーの姿に変身を遂げる。
「あ、亜美ちゃん……」
「だ、駄目……今のうさぎはうさぎじゃない。逃げて……」
 倒れたままのまこととレイが、僅かに顔を上げて、悲壮感漂う亜美の背中へ訴える。しかし――。
 セーラースタータンバリンを取り出したマーキュリーは、エナジーで威力を増した水の奔流をプリンセスに放つ。
 宙に静止したプリンセスは事も無げに、愛用の短剣で、奔流を叩き落とすが、そのまま上空へと上がろうとしたところへ、別方向から同様の攻撃が放たれる。
 これもたやすく凌ぐプリンセスは、煩わしそうに眉根に皺を寄せて、マーキュリーを見返す。
「止めなきゃ……うさぎちゃん、止めなきゃ……うさぎちゃんと……闘っても……」
 残された力を注いで、動き回って相手を撹乱する戦法に出たマーキュリーは、セーラースタータンバリンを握る手に力を込める。プリンセスの動向に変化が起こったことを察知したのである。
 プリンセスは本格的に、マーキュリーに狙いを定めて急降下した。

 ネフライトは手に角のような何とも形容の仕様のない造型物を持ったまま、虚空を睨み上げた。
 空がやけに眩しく感じる。
 光で全て溶かし包み込むような、漠然としたイメージが脳裏に浮かんでいた。
 それが、前世の破滅の記憶であると理解するのに、数秒を要した。
 それだけ、記憶が薄らいでいた。人間としての生活がいつのまにか彼にとって、比重の大きなものとなっていたのである。
 馴れない生活を繰り返すうちに、それが新鮮に思えて来て、楽しくなっていた自分に気づく。
「無縁の世界になってしまった……」
 復活した“力”の象徴のように片方の手のひらを見つめるのに、造型物を脇に抱えたところで、「千五百円」と露店の親父に切り込まれる。結局、元基に恵んでもらった二千円で、ネフライトは言われるままにそれを購入してしまった。もともと尖っているのが自分の性分に合っているのか、気に入って何度も足を運んでいた目当ての品である。買ったら買ったで満足している自分が、ネフライトにはまた新鮮であった。
 釣銭を受け取る手のひらを、ネフライトは神妙な顔で見つめる。
 無縁となった世界の名残と思っても、現実には身体に“力”がたぎっていることを改めて認識させられる。
 同時に、手のひらに乗った五百円玉が、自分と人間社会とを結びつける大切なものに感じられた。
「こんな風に生きるのも悪くない……」

 人間体となったルナは、黒薔薇の花びらだらけになってしまったうさぎの部屋を片付けていた。
「このままじゃ育子ママ卒倒しちゃうもんね」
 さりげない日常の会話を、あえて努めようと試みるが。
 花びらをつまむと、つい黒木ミオに連れ去られたうさぎの安否が気遣われ、憂鬱になる。
 更に、ルナの言葉にも応じないアルテミスの尋常ならざる様子が、ルナの不安を加速させる。
「アルテミス……?」
 窓際で、アルテミスは空を見上げて、たじろぎもしない。
 ルナも、窓辺に駆け寄り、アルテミスが硬直した理由を悟る。彼と同様、能力を有する者故に察知できる兆候――銀色の光が空をうっすらと覆いつつある。銀水晶の力が、世界を呑み込もうとしている。
 瞳を大きく見開いたルナは、心細そうにアルテミスを胸に抱く。
 階下(した)から、テレビゲームに熱狂する育子ママと進悟のはしゃぎ声が聞こえて来て、一層切なくなる。今のルナにとって、アルテミスが支えであった。独りでは耐えられない現実。
「アルテミス……」
「前世が繰り返されるのか……」
「うさぎちゃん、ここに、大切な人たちがいっぱいいるんだよ……うさぎちゃん」
 願うしかなかった。うさぎの心に。
 ルナに倣って、アルテミスも瞑目した。

 自らの攻撃を逆流させられ、直撃を受けたマーキュリーは地面に叩き伏せられる。威力に押され、まことやレイの手前まで引きずられた。
「亜美ちゃん!」
 ふたりの声に、マーキュリーは顔を上げ、がくがく震える腕を支えに、片膝つきながらも起き上がる。
 そんなマーキュリーを冷厳と見据え、短剣を構え、プリンセスはつかつかと何の躊躇もなく歩みを進めていく。煩わしいものを全て薙ぎ払おうと。
「亜美ちゃん、もう立ち上がらなくていいから……」
 まことは懇願の呟きを洩らす。うさぎと亜美の闘いなど見たくない。本当は、喧嘩など似合わないふたりなのである。涙が滲む。
「本当ならできるはずないよ……うさぎと闘うなんて」
 その気持ちはレイも同様である。だが、現に亜美が闘っている以上、このまま終わるわけにはいかない。歯を食いしばって、身体を奮い立たせようとする。――美奈子は、眼前の絶望()に屈しなかったから。
「痛いね……」
 身体以上に、心が……痛い。
 亜美が途中で拾い上げたムーンフェイズを握り締めて、独白のように言った。
 そして、涙がこぼれ落ちそうになるのを懸命にこらえる眼差しを一瞬、まこととレイに投げた。
「こんなツライ思いをして……うさぎちゃん、みんな、私の帰る場所、ずっと残しておいてくれたんだね。ひどいことしたって、今本当にわかった……」
 亜美は肩を落としながらも、両足でしかと大地を踏みしめて、己の身体を支える。
 自分がダークキングダムの術中に嵌った期間の記憶は、ほとんど残っていない。だが、仲間は、必死に自分が帰るのを待っていてくれた。
 亜美の胸中を察し、まことだけではなくレイの頬もひきつる。
「亜美……ちゃん……」
 ――死ぬ気だ。
「だから、私……闘えるよ。これを、うさぎちゃんに返さなきゃいけないから」
 マーキュリーは、手中にある、時を刻むことをやめてしまったムーンフェイズから、屹と視線を上げると、意を決したように、唇をきつく結び、特攻を仕掛ける。
 プリンセスは待ち構えるように、刃を振り上げた。
「亜美ちゃんっ!」
「マーズパワーメイクアップ!!」
 まことの絶叫に、涙を振り払った凛然としたレイの決意の声が重なる。
 紅蓮の炎に包まれ、レイの身体が飛翔する。セーラーマーズへと変貌しながら。
 次の瞬間、マーキュリーに振り下ろされた刃を、マーズがふたつのセーラースタータンバリンで受け止めた。
 自分の分と、美奈子(ヴィーナス)の分。
「わからず屋のプリンセスは、金星(ヴィーナス)に代わって、お仕置きよ」
 啖呵を切って、マーズはプリンセスの短剣を振り払うと、傷付いたマーキュリーを庇うように仁王立ちでプリンセスを牽制する。
 崩した背筋をピンと伸ばしたプリンセスの表情には、憂色が帯びる。手間が増えたと言わんばかりに。
 銀色の光が短剣に充填されていく。
 充填だけで、旋風が吹き荒れる。砂塵が激しく、マーズたちの顔を打つ。
「よけてっ」
 肌を刺す破壊の念に、背後のマーキュリーが叫んだ。
 よける訳にはいかない。自分がよけてしまったら、身動きがままならない彼女に直撃する。
 毅然とした面持ちは微塵の揺るぎもなく、マーズはセーラースタータンバリンを握る両手を交差させる。
「火星よ、金星よ、私に力を……」

特別な理由なんてないのだけど
なぜか君には素直でいられた
どうしてそんなに泣きそうな顔
ごめん いつもからかってばかりで
でも前を向くその眼差しで
どれだけ勇気づけられたか

 ふと頭の中をリフレインする美奈子の絶唱。知らず知らずマーズは、美奈子の歌を口ずさむ。
「特別な理由なんてないのだけど、なぜか君には素直でいられた」
 互いに感情論で衝突して来た――美奈子とは。裏を返せば、素直で実直な気持ちをぶつけることができたから。
(貴女はどうだった……やっぱり信用してなかった?)
 ――まだあなたに全部任せるほど信用してないわ。
 美奈子の病気を初めて知った時、彼女が告げた言葉。
 マーズの口許に、苦笑がよぎる。
(最後の最後まで、貴女に頼っているものね……まだまだか。でも、きっと使命を果たして、前世を終わらせるから)
 確かに、美奈子が自分に力をくれている。レイの胸に不思議な安心感が芽生える。
「どうしてそんなに泣きそうな顔。ごめん、いつもからかってばかりで……」
「レイ……ちゃん……」
「レイ……」
 プリンセスは特大のエナジー弾を、自分たちにぶつけようとしている。だが、マーズは美奈子の歌で己を鼓舞し、ひるまず動じずプリンセスと対峙する。
 その姿に、マーキュリーも、まことも顎を上げ、ゆっくりと唇を動かす。
 歌詞中の謝罪の言葉を口にした瞬間、マーズ(レイ)の胸に去来したのは父への想い。
 美奈子という仲間を得て、失った今だからわかる。
 父は仕事を早く終わらせて母のもとへ駆けつけようとしていたに違いない。それまで母が亡くなるとは夢にも思わなかったに違いない。
 相手に歩み寄りたいという気持ちが、いかに大切なことか。今なら知っている。
 美奈子の気持ちを少しでも理解できたと思った時には、彼女はもういなかった。そんなことは、もう繰り返したくない。
「でも前を向くその眼差しで、どれだけ勇気づけられたか」
 歌ったのはマーズ(レイ)だけではない。マーキュリー(亜美)も、まことも。三人とも、同じ人物を思い描いて歌った。星の滅びない未来を信じ、ひたすら衛を愛したうさぎの姿を。
 自分も前を見て(未来を信じて)生きるために。ここで終わるわけにはいかない。
 プリンセスが邪魔者を一掃すべく刃先から、大いなる銀光を放つ。
 美奈子の歌、仲間の闘姿に触発され、まこともまた死力を振り絞って立ち上がると同時に決然と叫ぶ。
「ジュピターパワーメイクアップ!!」
 一帯を爆発が覆った。

 その爆発は、ダークキングダムの深奥部まで揺るがす。
 銀水晶の爆発的なエナジーの直下にあるダークキングダムは、その波動で既に到るところで崩落を始めていたところであった。これで崩壊は必定。
「ベリル様、お待ちください」
 ジェダイトの制止も聞かず、クインベリルはエンディミオンの命を吸った絵をしっかりと抱きしめて奥へと突き進んでいく。
 ふたりがまず逃げ延びたのは、エンディミオンのために(しつら)えた部屋であった。そこから、クインベリルはエンディミオンの絵を持ち出したのである、取り憑かれたように。自ら、もはや出ることも難儀なダークキングダムの心臓部に足を踏み入れた。崩壊の危険を百も承知で。
 メタリアはいない。いや、プリンセスがメタリアを己のものとしてしまった。
 結局、自分はプリンセスの掌上であることも知らずはしゃいでいた猿。プリンセスの意思に翻弄された道化にはお似合いの顛末、終焉かもしれない。
 だが、せめて、ひとつだけでも奪ってみせる。もはや虚しい意地にしろ。
「ベリル様、ダークキングダムが崩れます」
「逃げたければ逃げればいい……わらわはエンディミオンと死を共にする……」
 絵を手短な岩壁に立て掛けて、クインベリルは背後に控えるジェダイトを顧みることなく答える。
 一瞬の無念の沈黙を置いて、ジェダイトは跪く。
「では、私も」
 クインベリルは物憂げに、そんなジェダイトを一瞥すると、指先を閃かす。
「もうよい。女王様ごっこは終わりだ……」
 ジェダイトの身体から、悪霊のようなオーラが昇天していった。身軽になった己の身体に瞠目しながらも、なお、彼はクインベリルに臣下の礼をとる。
 そんな彼に向き直って、クインベリルは唖然と立ち尽くす。
「何をしておる?」
「私は……ベリル様を(あるじ)と決めております」
「なに……」
 クインベリルは鼻白む。苛々する。同情など、残された自尊心を傷つけるものでしかなかった。
 彼女はジェダイトの忠誠を疎んじた。精神支配(マインド・コントロール)を解いた以上、信用できなかったからである。自分の手元にある、本来の主・エンディミオンの絵に殉じるというのが、本音ではないのか。小賢しい。プリンセス同様、化けの皮を剥いで、その醜悪なエゴイストの本性を暴いてくれよう。
 クインベリルの内部で、何かが弾けた。
 鋭い爪で、エンディミオンの絵を引き裂き、高笑いしながらジェダイトに振り返る。
「これで、お前がこの場にいる理由はなくなった。さあ、その鼻持ちならぬ忠誠など捨て、脱兎の如く逃げるがよい」
「申し上げたはずです。私の主はベリル様、貴女です。絶対にお傍を離れません」
 真摯な眼差しがクインベリルに応えた。
 脱力したように、クインベリルは佇む。
「愚か者だな……」
 自分に向けられた呟き。エゴを剥き出しにしたのは、結局自分のほうであった。エンディミオンへの愛着よりも、己の矜持を保つことを優先したのである。
 いつからであろう。他人の優しさを受けつけなくなったのは。
 落涙する。分厚い心の鎧が剥がれ落ちていく。
「ベリル様、どうか――」
 泣かないで。
 クインベリルの涙に、狼狽したジェダイトは思わず立ち上がって、その涙を拭おうと手を伸ばしかけたが、分をわきまえぬ畏れ多い行為と寸前で気付き、萎縮して手を引っ込めようとした。
 その手を、クインベリルが握り締めた。
「べ、ベリル様」
「お前は愚かだな」
 クインベリルは呆れたような物言いながら、優しく微笑む。
「……はっ!」
 彼女の手を握り返し、彼は改めて臣下の礼をとる。
 そんなふたりの姿を、崩れるダークキングダムの瓦礫がかき消していく……。
 同様に瓦礫に潰される引き裂かれた絵からは、エンディミオンの姿が消失していた。

 プリンセスが眉を顰めた。
 爆煙が晴れると、マーズがセーラースタータンバリンを持った手を交差させて立っていた。
 背後には、爆発の余波からマーキュリーを庇うように抱きかかえているジュピターの姿が見える。
 衝撃波と煙が収まったことを確認し、ジュピターとマーキュリーはマーズの背中に視線を転じる。
「どう?何とか耐えてみせたわよ」
 マーズはニコリと笑って言った。
 一方で、向かい合うプリンセスの冷徹な面持ちは微動だにしなかった。
 そして、ぐらつくマーズの背中を、ジュピターとマーキュリーは見ることになった。ふたりの目が見開かれる。
 セーラースタータンバリンが地面に落下するやいなや、マーズ自身も地面に倒れ込む。
 その間に、マーズの変身が強制解除された。プリンセスの攻撃をほとんど受け止めたことによる、過度のエナジー消耗が原因に違いなかった。
「レイ」
「レイちゃん」
 真っ先に、ジュピターがマーズを抱き起こす。遅れて、身体を引きずるようにマーキュリーがマーズの顔を覗くと同時に、脈を確かめる。
 ジュピターの素人目にも、土気色のレイの表情が物語ることがわかる。
「こ、このままじゃ……」
 マーキュリーが泣きそうな声で呟く、消え入りそうな声は最後まで続かない。
「今は生きている。それだけで充分よ」
 ジュピターは力強い語調で言うと、立ち上がり、プリンセスのほうを振り向く。
「うさぎを元に戻して、ふたりを元気にしてもらう」
 ジュピターは、先ほどから蒼然としているマーキュリーの顔色をチラリと一瞥した。彼女も闘える状態ではない。
 うさぎと闘う躊躇だけではなく、プリンセスと闘うことに怯懦の念を覚える自分ともジュピターは戦いながら、臨戦体勢に移る。
 みんなを助けるんだ、という気持ちを支えにして。気を緩めると、すぐに屈して現実から逃げ出してしまいそうであった。
 それでも、背中を向けたまま、ジュピターはマーキュリーに片手の親指を立てる。精一杯の強がり。自分が不安を見せては、力を使い果たしたふたりは、もっと不安になるから。
 空いている手には、セーラースタータンバリンが握られ、雷の力を集中する。
「レイをお願いね、亜美ちゃん」
 マーキュリーがどう反応したか、プリンセスに照準を定めたジュピターにはわからない。
「みんなで元気に、帰ろうね、まこちゃん」
 ただ涙声のマーキュリーの声が届いた。ジュピターは頷く。
 プリンセスから攻撃を仕掛ける気配は一向になかった。攻撃のチャンスはいくらでもあったはずなのに。
 美奈子の曲を口笛に乗せ人知れず自分を叱咤しつつ、ジュピターは、プリンセスがジュピターサンダーボルトの射程圏内に入る位置にまで接近する。
「隙だらけだったのに攻撃して来ないなんて、余裕ってヤツ?それとも、お姫様は卑怯なことは好まないってワケ?」
 プリンセスが愛剣を構えた。
 ジュピターは軽口を続ける。軽口で、相手の気を紛らわせようとしながら、より近づく。より確実に、一発を見舞うために。
「正直、アンタの気持ちわかるよ。子供の頃、両親(おや)が死んで、独りだけ取り残されてさ……こんな世界、嫌だ、なくなってしまえばいいのにって思ったもん、あたしも」
 喋っているうちに、ジュピターは図らずも、過去の自分を直視する。
 大切な人を失い、世界を呪いたくなる気持ちがわかるから。闘いにくかったのかもしれない。自分だって同じだったのに、と。だけど。
「だけど、みんなと会ってさ……こんな出会いがある世界(トコ)を……」
 ジュピターは吹っ切れたように、涼やかに微笑む。過去の、世界に対し拗ねていた自分が消えて、思い浮かんだのは、セーラー戦士の面々と、そして、元基。
「ホントになくしちゃっていいはずがないって、間違ってることだってわかったんだ。もし、あたしに、アンタみたいな力があって、世界滅ぼそうとしたら、うさぎ、アンタたちが止めてくれるよね」
 亜美やレイが、心の痛みを我慢してうさぎと闘ったように。
「だから、今は……あたしがアンタを止める!」
 ジュピター(まこと)の決意は、後ろでレイを抱きかかえるマーキュリーにも届いた。涙が流れた。仲間の絆の重さが、心を貫く。後悔はない。同じ運命に立ち向かっている仲間を、マーキュリーは何よりも愛しく感じた。レイの肩を抱く手にも力が入る。
(レイちゃんは絶対死なせないから、まこちゃん)
 ジュピターが気兼ねなく闘えるように、残り少ない力を、レイを守るために使おうと亜美は、仲間に誓う。
 無意識にも亜美の誓いを受け止めたのか、己の真意を達観できた結果故か、ジュピターには何の気負いもなくなっていた。作戦どおり地を蹴る。
 セーラースタータンバリンには、充分力が溜まった。至近距離から特大の一発を見舞ってやる。プリンセスはよけない。それだけは確証があった。これまでのパターンから、プリンセスは正面から攻撃を受けようとするはず。
「ジュピターサンダーボルト!!」
 特大の電撃が、周囲を明るく照らし、半瞬遅れで轟音が木霊する。
 だが、爆煙のなかから、銀色の光の柱が屹立したとき、ジュピター、マーキュリーは愕然とした。
 天空に向かってそびえる銀光のなかを、ゆっくりと厳粛にプリンセスは上昇していた。
 雲は吹き散らかされ、何の覆いもなくなった空が、銀色に毒々しく色づいていく。
 世界を呑み込まんと勢いを増して、世界に拡散していく銀水晶のエナジーのスケールに、ジュピターは声も出ない。
 プリンセスも同じだったのである。
 攻撃を仕掛けなかったのは、彼女もまた力を蓄えていたから。それも、自分たちごと世界を死滅に追いやるだけの力を。
 レイが必死にくい止めた攻撃も、プリンセスにとってみれば五月蠅(うるさ)い蚊トンボを牽制するだけの、ほんのさわりに過ぎなかったのである。エネルギーチャージに、何の支障もきたさない程度の。
「前世が……繰り返されるのか……」
 思わず洩らした弱音を、ジュピターは思いっきり左右に首を振って打ち消す。
「ホントは、うさぎが一番星を滅ぼしたくないはずなんだ、地場衛との約束のためにも……!だから、あたしが止めてやらなきゃ……」
 うさぎにはまだ届く。
 ジュピターは全力疾走し、灼熱する銀光に包まれたプリンセス――うさぎに跳びかかる。
 だが、人柱の贄を天空に召す柱の光はジュピターが触れるたび、身の裡から焼き焦がすようなショックと同時に、力を吸い取っていく。
「あああっ」
 柱にしがみつき、内部のうさぎを引き戻そうとするジュピターの悲鳴が、マーキュリーの鼓膜をつんざく。
「ま、まこちゃんっ」
 沈痛な面持ちで、マーキュリーはジュピターに駆けつけようとした。だが、足が動かない。
 銀水晶は、まるでメタリアのように残された僅かな力を奪っていた。自分の意思に反し、変身までも解除された。
 そして、そんな自分の腕のなかで、レイの命の灯火が消えていくことを、亜美は肌で感じる。レイの体温が急速に低下していた。こんなに弱っているレイまでエナジーを奪われたら……。
(あたしには、何もできないの……)
 本当に無力だ。泣くしかなかった。無反応のレイの頬に、雨のように、亜美の瞳から雫がとめどなく落ちる。
 そのとき、歌が聞こえた。心に直接響く。亜美は顎を上げる、元気づけてくれる歌に。
 ジュピター(まこと)が美奈子の歌を歌っていた。プリンセスに触れることもできず、その全身を焦がすような苦痛を伴うエナジーの吸収で、柱に捕まる力を奪われ引き剥がされようとしているにも関わらず。
 ジュピター(まこと)はレイに倣って美奈子の歌を口ずさむことで、美奈子があきらめなかったようにと気持ちを奮い立たせて耐え凌いでいた。
 うさぎも大好きな美奈子の歌。
 うさぎが離れていく。一緒に歌いたいのに。引き戻せない距離に、行って、しまう。
 柱から伝う衝撃で弾かれた右手に拳骨を固め、ジュピターはありったけの声量で、友の名を呼ぶ。
「うさぎぃぃ!!」
 死力を尽くした拳が柱を撃ち抜いたと思った瞬間、そこが起爆点となって、ジュピターの身体が弾け飛んだ。
 変身を維持する力も使い果たし薄れていく意識のなかで、まことは自分に目を留めて上昇を中断したプリンセスの姿を見止めた。まことにとってみれば、普段のうさぎがそこにいた。
(帰ったら、みんなで思いっきり歌おうね、待ってるから……)
 その思考を最後に、まことの意識は暗黒に閉ざされた。
 まことの身体が地面に落ちる。
「まこ……ちゃん……まこちゃんっ!」
 亜美は懸命に繰り返し繰り返し、呼びかけるが、反応はない。最悪の予想に身が震えた。
「うさぎちゃん……」
 プリンセスの上昇が止まっていた。
 亜美は泣きながら、切れ切れのか細い声で美奈子の歌を歌い始めた。うさぎの心に訴えるように。まことが動かない、レイの身体も冷たくなってしまった、と。
(このうえ、うさぎちゃん、貴女までいなくなったら……)
 プリンセスを見つめる亜美の視界は霞んでいった。
「あ……」
 掠れた声と共に、抱き寄せていたレイの身体と共に、亜美は地表に崩れ落ちる。亜美は最期まで、レイを庇うことを忘れずに、己の身体を彼女に覆い被せていた。眼前に転がったムーンフェイズ時計が、亜美が理解できた最期の映像となった。
(衛さん……どうか、うさぎちゃんだけでも……)
 声に出す力も失われ、亜美はそう唇だけを動かし、ムーンフェイズに祈りを捧げて力尽きる。

 まずマーズが歌い、ジュピター、マーキュリーも口ずさんでいた歌。
 それが、頭から離れない。
 上昇を停止したプリンセスの表情に、初めて煩悶の色が浮かんだ。
 迷いなどないはずであった。彼女たちの歌が、心に雑念を運んで来たのである。固く閉ざしていた扉を、こじ開けて土足で入り込んで来たのである。
「うさぎ」
 地上から懐かしい声が届いた。その声が、かの名を呼んだことで、プリンセスの心は、立ち入ることを拒む扉ごと千千に砕かれる。
「エンディミオン……」
 プリンセスは地上を茫然と睥睨する格好で、声の主の名を呟いた。
 眼下に立っているのは、紛れもなく地場衛であった。
 何事もなかったように、銀光は収束して、天地は静寂を取り戻した。
 衛の目の前に降り立ったプリンセスセーラームーンは、プリンセス=セレニティの正装へと切り替わる。
 そして、張り詰めていた精神と肉体の弛緩を物語るように、微笑と共に脱力して、衛の胸に倒れ込んだ。
 衛は、優しく抱き止める。
 彼の心臓の鼓動が聞こえた。時を刻むように。彼の生きている時間を刻んでいるのである。
「生きていたのね……」
 セレニティは心底嬉しそうな笑顔で、衛を見上げた。感極まった震える声と共に。
 何と無邪気で、それ故残酷であることか。
 衛の双眸に、悲哀の翳りが落ちていた。
「セレニティ……いや、銀水晶(・・・)……うさぎの“時間”を返してくれ。もう、セレニティの“時”は終わっているんだ」
 衛は呟いた。
 セレニティは緩慢に瞳を見開く。目の前にいる、この最愛の人が、そんなことを言うなんて、信じられなかった。
「私は、セレニティ、そして、月野うさぎでもあるのよ。それがわからないの。今生(いま)の貴方は、私を見てくれないの」
「プリンセスではない君が、うさぎだったはずだ……君が表に出る必要はなかった、いや、そもそも相克に行き着くこと自体がおかしいんだ」
 衛は極力感情を押し殺して冷淡に言い放つ。
 その視線は、困惑するセレニティの顔から離れ、一帯を巡る。周囲には、マーキュリー、マーズ、ジュピターが倒れている。こんな惨状を、うさぎが望むはずがない。
 衛は惨憺とした面持ちで、セレニティの視線を避けるように、目を伏せる。
 セレニティは混乱する。ジュピターたちの歌で心に巣食った“何か”が首をもたげたような感覚、それが混乱に拍車をかける。
 目の前にいる、この人は誰だ?エンディミオンが、自分を見てくれないなど、あり得ない。
 どこで間違えた?
 自分はプリンセスのしがらみから逃れたかった。プリンセスではない自分を見てくれたエンディミオンと、全てをやり直したかった。
 だから、全てを終わりにして、全てを同じ時代に転生させる輪廻を創り出した。その力が回復する時代に合わせて――。
 セレニティは愕然とする。
 四守護神、ダークキングダム、その苛烈な運命のレールを敷いたのは自分。
 己の意のままに、魂を弄んだという事実に彼女は行き着く。
 衛の身体を押し離し、セレニティは呼吸を荒げ、うずくまる。“何か”が浮上して来る。それは“罪”の意識――自分に欠けていた感情(もの)を埋めるように、うさぎの自我(・・・・・・)が浮き上がって来る。
 だとしたら、だとしたら、自分は……誰なのか?
 苦悶するセレニティを見かねて、衛は優しく彼女を抱き起こす。苦しむ者を目の前にして、いつまでも表情に険を残せるほど冷徹にはなれなかった。
「衛……」
 焦点の定まらない瞳をしながら、彼女が呟いた。
 相手の身体を確かめるように、彼女は衛の身体を力強く抱き締める。渾然とする意識を切り拓く一条の光明に、手探りで縋りつく。
「うさぎ……お前なのか」
 衛は我を忘れて思いっきり叫んだ。セレニティの正装のままだが。この温もりある存在感は。
 両者の目が、お互いを見つめ合う。衛の瞳の引力に導かれるように、うさぎの意識は束ねられ鮮明なものとなる。
「衛っ!」
「うさぎ!」
 相手の名を呼び、力強く抱き締め合う。それだけで、もう充分であった。

 衛は話した。
 クインベリルが、命を吸い取っていた絵を引き裂いたことで、解放された衛の命は、地球の王子としての能力と引き換えに、肉体を得て甦った。うさぎは知らないことだが、かつてのネフライトのように。クインベリルも意図しなかった、生命を育んで来た星――地球の神秘的作用、奇蹟だと衛は感謝している。
 だが、普通人の肉体のため、駆けつけるのが遅れた。プリンセスセーラームーンも、衛の再生を、実際に目にするまで感知できなかった。セーラー戦士の抵抗がなかったら、銀水晶の力は、衛が到着するよりも早く臨界点に達していたであろう。
 衛は死の淵にまで彷徨したことで、真実を知った。
 うさぎの魂は、うさぎ以外の何者でもない。
 ただ、銀水晶が、その大いなる力故に、最期の瞬間のプリンセス=セレニティを記録し、うさぎの裡に再現してしまったのである。死を望んだセレニティを再現したがために、感情が部分的に欠落していた。彼女から感じていた違和感は、それが原因だったのである。
 そして、達した結論は――銀水晶の破壊。
 もはや、大きすぎる銀水晶の力は必要ない。むしろ、今回のように、混沌(カオス)の種にしかならないであろう。
 そこまで話して、衛は一瞬うさぎから目を側めたが、唇をきつく結んで、じっとうさぎの顔を見つめる。
 自分を抱く彼の手に力がこもったことから、うさぎは直観した。
「私、構わないよ。銀水晶が私と共にある以上、察しついてたもん」
 うさぎは胸を張って、満面の笑顔で応える。
 衛は無言で頷く。哀切な色を称える彼の瞳が、うさぎの眼前に近づいた。
「本当は、お前を助けたかった……ごめんな……俺も一緒に逝くから」
 そう言われて、うさぎはぎょっとする。思わず声を張り上げた。
「馬鹿!衛も死んじゃったら、私が何のために死ぬかわからなくなるじゃない!」
「馬鹿ってなんだよ!俺とお前でやらなきゃいけないことだ……!前世に決着をつけるために……前世で滅ぼしてしまった者たちのために……そして、今生でも死なせてしまった者たちのために」
 衛は断言する。うさぎは苦渋に満ちた表情で、口をつぐむ。“罪”の重さを知っているからこそ。ひとりで肩代わりできるほど軽いものではないと思い知っているから。
 その唇に、衛が唇を重ねた。より強く衛を求めて、うさぎは腕を彼の首に絡めた。
 うさぎと衛の命が銀水晶に注ぎ込まれる。
 過去のセレニティの亡霊としての一面を持つ銀水晶は、我が身を引き裂くエンディミオンの死と、己の死を追体験し、崩壊を選択する。
 うさぎと衛の注がれた命の力は、ふたりの意志に沿って、外部へ解放ではなく内部へ凝縮され、銀水晶の破壊へと力を制御する。ふたりの最期の共同作業。
 銀水晶は自爆に追いやられ、小規模ながら、銀色の光が弾け、一帯を包み込む。

 鈍い銀色が濃くなるばかりであった空が、嘘のように真っ青に晴れ上がった。銀水晶の破壊的エナジーが消滅した証左。
 ルナの人間体への変身が解かれたのも、もともと銀水晶の影響下にあったものだから、その作用の供給が断たれたためと考えれば合点は行く。
 しかし、うさぎたちと一向に連絡が取れない。
 ルナとアルテミスは、それぞれうさぎの部屋の隅に向かい合って黙然と座っていた。口を開けば、不安ばかりが口に衝き、焦燥と苛立ちばかりを募らせることになる。それがわかっているから、一言も喋らずにいた。
 そんな折、月野宅のインターホンが鳴った。
 うさぎを連れ去った黒木ミオの訪問を思い出し、ルナとアルテミスに緊張が走る。
 階下では、テレビゲームにかかりきりの母・育子に代わって、進悟が爪先立ちでドアスコープを覗くやいなや、絶句して尻餅をつく。
 が、そんな暇ないと言わんばかりに、跳ね起き、意気込んで進悟はドアを開ける。

 階段を上り下りする音が聞こえ、玄関のドアが閉まる音がした。
 育子はうさぎの友達が、うさぎがいないから帰ったものと推測し、構わずテレビゲームに向かって奇声・歓声をあげる。
 と、そこへ進悟が戻って来て、母の肩を叩く。
「んー、なあに、ママは今大事なトコなのよ」
と育子はゲームを一時停止(ポーズ)して、面倒くさそうに息子に振り返ると、進悟はシャツをめくり上げて、背中を見せる。
 サインが書かれていた。
 反射的に、育子は食い入るようにサインに顔を近づけた
 芸能通の育子が見紛うはずがない。ましてや、同窓生が社長を務める事務所の稼ぎ頭のサイン(もの)ではないか。
「うそー」
 驚きと喜びが入り混じった甲高い声が、月野宅に響いた。

(我々は気づくのが遅すぎた……だが、君たちはまだ間に合う)
 ルナとアルテミスをバスケットに入れて連れ出した人物は、白髪の青年の幻影に導かれていた。
(言われなくても、おとなしくなんかしてられないわ)
 彼女は心のなかで、青年に力強く言う。
「行くわよ、アルテミス、ルナ」
 彼女はバスケット内に視線を転じて、呼びかける。いつもどおりに。
 バスケットから顔を覗かせたルナとアルテミスは、ちょうどタクシーを停めるところの彼女の顔を繰り返し確かめる。信じられない人物がそこにいた。
「今度、『奇蹟の生還』ものの特番があったら、ゲストは決まりね」
 タクシーに乗り込むなり冗談めかして嘯く。
 彼女はルナとアルテミスの反応を見ては悦に入っているようであった。運転手には、女の子特有のぬいぐるみを擬人化する一例にしか見えないであろう。
 いつのまにかアルテミスはバスケットのなかで感涙していた。さすがに声は出さなかったけれど。
 カーラジオからは、愛野美奈子の曲が流れ始める。彼女はばつが悪そうに、帽子を深くかぶり直した。帽子の鍔で顔を隠すように。
 が、ルナには見えていた。彼女の瞳に、アルテミスが流すものと同じ雫が光っていた。

 クラウンでは、受付を占有する、むやみやたらとでかい角のような装飾品に、元基が頭を悩ませていた。
 お釣りと共に、これを手渡して来たのは、雑巾片手に拭き掃除に没頭するネフライトである。
「置き場所ないからって、ここに置かれても困るんだけどぉ」
 元基が受付カウンターに頬杖つきながら嘆息する。
「だから、すまんと言っているだろ」
 ネフライトはぎろりと元基を睨みつけて一喝した。
 元基は肩を竦める。態度が全然「すまん」と言っていない、そうツッコミたいところであるが、冗談通じなさそうなので、今回は見送ることにする。
「今日は、亜美ちゃんたち来たらいいのになあっ」
 代わりに、亜美のことを話題に振ってみるが、ネフライトは無視して、黙々を掃除を続ける。
 元基は所在なさそうに、亀と戯れながら、ネフライトがクッキーの借りを返すのに、と亜美に買って来た邪魔物を斜視する。
(もらったって困るだけだと思うけどなあ……迷惑なセンスしてるよな、こいつ)
 そんな意見を正直に口にして、また癇癪を起こされ、器物破損されても困るので、元基はとりあえず黙っておく。
 ふとネフライトの動きが止まった。元基は、また癇癪かと警戒してカウンターの影に避難したが、
「マスター……」
とネフライトは独白すると、雑巾を元基の頭上に投げ置く。
「すまん。留守番頼む」
 そう言い残して、ネフライトは外へ駆け出して行く。
 やはり忘れられるはずのないことなのか。大切なことだとあいつら(・・・・)が告げている。
「おうい。お前は、クラウン(ここ)主人(マスター)のつもりかあ?」
 元基はつまみとった雑巾を振り回して愚痴をこぼしつつ、ネフライトを見送ると、亀に語りかける。
「でも、ま、『すまん』とか謝ったり、お礼のプレゼント考えるようになったのは、いー傾向だよ、ね」

 道標のように、あいつらが立っている。あいつらの魂が。
(我等の志を次代に継いでくれるのは、お前しかいない)
 長髪の青年が覚悟を促すように、まっすぐにこちらを見据えている。
(その志ある限り、私たちに文句はない)
 その隣で、こちらの出方を臆面なく信じているように金髪の少年が微笑みを称えている。
(クンツァイト……ジェダイト……)
 幻影に導かれて走りながら、ネフライトは伝わって来る魂の言葉を噛み締める。
(捨てるべきではないと思うなら――)
 赤信号に足を止めたネフライトに、今度は白髪の青年の幻影が声をかけた。その方向を振り向くと、一台の自動車――タクシーの後部席ドアが開いた。
「貴方にも、捨てるべきじゃないものがあるみたいね」
 奇抜な帽子を被った少女が顔を覗かせた。手にバスケットを持って。見覚えのある少女であった。
(この者と行けというのか……ゾイサイト)
 思案顔のネフライトが胸中で呟くと、その傍らで、名を呼ばれた彼の幻影は粛然と首肯して消える。
 少女の目にも、その姿は映っていた。将たる牽引力に満ちた眼光を、ネフライトに向けさせると、言葉を次ぐ。
「捨てられないものがあるって、いいことよ」
 ネフライトは自分より年少である少女に諭された思いがした。本来消えているはずの記憶があること――それだけ大切なことを今も持ち続けていられるというのは、幸せなことである、と。

 気付いたとき、亜美、レイ、まことはうっすらとした光の灯る白い幻想的な空間にいた。
「こ、ここは……」
 三人は顔を見合わせる。
 三者三様に起き上がって、周囲を見渡す。
「死んじゃったのかな……私たち」
「その可能性は高いかも」
「ま、ほかに人がいないだけ、マシか」
 陽気に軽口を叩いて、気を紛らわせようとするが、すぐに沈黙に陥る。
「うさぎちゃんは……助かったのかな」
 亜美が、せめてもの救いを求めて、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「ここにいないってことは、そうじゃない」
 確信は持てないものの、まことがそう返したとき、うさぎの声がした。
「違う」
と。
 白い礼装を纏って手を取り合ううさぎと衛の姿が浮かび上がった。
「うさぎ」
「衛さん」
 三人は駆け寄ろうとしたが、何か透明な壁が、互いを隔てているように、近づくことを許さなかった。
 うさぎは微笑んで言う。
「みんなは生きて」
「え」
「銀水晶が奪ったみんなのエナジー、私たちの命を注いだことで制御することできたから、みんなに返すね」
「戦士としては無理だが、普通の人間なら充分なエナジーだ」
 うさぎと衛の説明に、亜美たちは素直に喜べなかった。銀水晶を制御して自壊に追い込んだ代償に、目の前のふたりは、生きられた命を失ってしまった。
 まことは見えない壁を殴りつけた。今回もまた、自分の手はうさぎに届かないのか、まことはやるせなさと憤りで、何度も何度も殴りつける。
「やめて、まこちゃん」
「やめないよ、一緒に帰るんだ、そっちに帰る気なくても、無理矢理連れて帰る!」
 まことの言葉に、亜美とレイも視線を交わし頷くと、拳を叩きつける。
「亜美ちゃん、レイちゃんまで……ごめんね」
 申し訳なさそうに、うさぎの泣き顔がうなだれた。
 三人の眼前で閃光が走った。うさぎと衛の姿も、何もかもが見えなくなる。
「亜美ちゃん、レイちゃん、まこちゃん、そして美奈子ちゃん、みんな私のせいでつらい思いをさせて、ごめんね……いつも助けてもらってばっかりで、それも、ごめんなさい……ずっと、一緒にいてくれて、ありがとう……」
 光のなかで、そんなうさぎの謝罪の声だけが、三人の心に響いた。光に、自分たちの流す涙さえかき消されていく。

 亜美、レイ、まことは泣きじゃくって、ダークキングダムへと渡った際に訪れた橋梁の真ん中に立っていた。
「うさぎ……」
 まことは橋の欄干に拳を振り下ろしたきり、顔を伏せ嗚咽を洩らした。
 形見となってしまったムーンフェイズ時計を握り締め、亜美が泣きながら、まことの肩に触れ無言で慰める。かける言葉がないことは、お互いよくわかっている。
 レイは天を仰ぎ、涙をこれ以上落とすまいとした。美奈子の分まで、気丈に徹しようと。
 だが、レイが求めた声が、現実のものとなって耳朶を打った。
「何をめそめそしてるのよ」
 三人とも信じられないといった表情で、その声の主を見る。三人が三人とも、涙でぼやける視界を鮮明にしようと、目をこすった。
 そこに立っているのは――。
 レイがようやく呟いた。
「美奈子……」
 ルナとアルテミスを引き連れて――間違いなく愛野美奈子であった。
「私も、プリンセスの御厚情で生き返ったクチよ」
 生来の霊感から、レイは美奈子もまた戦士の力を失っていることを察していた。にも関わらず、美奈子の表情は不敵で、何かをやらかしそうな期待が沸いた。
「プリンセスを守ることが前世の私たちの使命……あの人たちにとっては、前世の償いをすれば、前世が終わるって腹積もりなんでしょうけど。プリンセスを、うさぎを生還させて幸せになってもらわなくちゃ、私たちの前世は終わらないのよ」
 絶望感に満ちた空気を切り替えんばかりの傍若無人ながら力強い美奈子節を、レイはしみじみ感慨深く聞いた。だが、期待と同時に、苛立ち、焦燥を払拭できずにいる。亜美もまことも同様である。
「だからって、どーすることができるって言うんだ!?今のあたしたちにっ」
 まことは怒鳴った。美菜子と目を合わせないようにして。美菜子が生きている――本心から嬉しいのだが、うさぎのことで素直に喜べないことで、却って焦燥を肥大させていた。それを筋違いだと認識しながら美菜子にぶつけてしまう。後ろめたくて、視線を交わせなかった。
 けれど、美奈子は怯む様子なく、まことの疑問に答える。
「私たちにはできなくても、できる人ならいるのよ」
「え」
 三人の顔に、希望の光が射した。
 折りしも、レイの霊感が空間の揺らぎをキャッチした。何者かが瞬間移動で、こちらに来る。
「来たみたいね」
 レイの表情を読み取って、美奈子が呟き終えたときには、うさぎを脇に、衛を肩の上に抱えたネフライトが立っていた。
 まことと亜美は唖然として呟く。
「クラウンの新入りさん……」
「かつてエンディミオンに仕えた四天王のひとり、ネフライトよ」
 美奈子が改めて紹介した。ダークキングダム時代の装束とはかけ離れた風体、雰囲気も異なることでこれまで気付かずにいた一同はようやく彼の正体を知るに到った。
「経緯は知らないけれど、彼は銀水晶の力を宿しているわ」
「人間になってから、プリンセスと接触した。それが原因かもしれん」
 美奈子の説明に、ネフライトは言い足して、うさぎと衛の遺体を下ろす。
 他の四天王の魂が、ネフライトと美奈子を引き会わせた。かつての主に幸せになってもらいたいがために。
 何のために、力が復活したのか。このときのためだとネフライトは確信する。前世を終わらせてこそ初めて、自分は自分のための生を送れるに違いない。
「この銀水晶の力と引き換えにすれば――」
 ネフライトはひとりごちる。生き返らせることはできるであろう。四守護神のケースと同じ原理で、どちらか独りだけ(・・・・・・・・)は。
 ネフライトの全身が発光し、うさぎと衛、それぞれの顔を交互に見つめる。そして、片方の手を、うさぎの額に当てる。銀光がうさぎに流れ出す。
 彼はうさぎの存命を選択した。
 相手が忠を尽くした主君であれ、愛を捧げた恋人であれ、その人のために殉じることが、ネフライトの美学であった。だからこその、マスターはその身を犠牲にしてでもプリンセス存命を選ぶという生き方を察し、理解したうえでの確信的選択であった。今生における四天王として最初で最後の仕事に相応しいと、頭の片隅で割り切れない自分に言い聞かせて。
 それに、亜美への“借り”を返す意味でも。報恩もまた、彼にとって捨てるわけにはいかない美学の一条であったから。それが、彼の背中を押した。
 そのとき、亜美が残っているネフライトの手を優しく握り、衛の額にふわりと乗せた。
「ふたりとも生き返らなきゃ意味が無いんです。うさぎちゃんには衛さんが必要なんです。だから、私の命を使っても構いません、ふたりとも……」
 亜美はネフライトの手を握ったまま、懇願するように言った。
 亜美の申し出に戸惑うネフライトをよそに、美菜子、レイ、まことの三人も頷き合って、手を、亜美の手に柔らかく包まれて衛の額に乗せられているネフライトの手に重ねる。
「私たちも、亜美ちゃんと同じ気持ちよ」
 三人は声を揃える。
「私たちだって」
 ルナとアルテミスが、うさぎの額に触れているネフライトの手にしがみつくようにして、声をあげた。うさぎのほうがおろそかにならないようにという配慮であろう。
 ふと、ネフライトの視界で、他の四天王が自分に檄を飛ばすビジョンが彼女たちに重なった。
(捨てるべきじゃない……)
 ネフライトは精神集中のため、目を閉じた。光は両手に振り分けられる。
 それを見て、亜美たちも祈るように瞑目した。
 折りも折り、亜美の手のなかで、止まっていたムーンフェイズの時計針が再び動き出した。

 時を刻む時計の音が、うさぎと衛の覚醒を促す。
 お互いが存在していることを、見つめ合って確認するふたり。
「どうして……」
 うさぎが呟いたとき、プリンセスセーラームーンが突如出現した。
「ぎ、銀水晶!?」
 うさぎと衛は急いで立ち上がり、身構える。銀水晶に宿る思念がまだ残っていたのか。
「あなたたちの仲間の温もりが、あなたたちを呼び戻したわ……」
 銀水晶を制御し自壊するのに費やした命は、銀水晶を消滅させる媒介の役目を果している。それが、プリンセスセーラームーン――銀水晶と切り離されているということは、すなわち銀水晶の再生を許すことである。
 けれど、うさぎと衛の警戒を察するかのように、プリンセスセーラームーンの姿を借りた銀水晶は言う。母親のような優しい語り口で。
「私は命の温もりを恋しがっていた……愛する人と同じ温もりある命を育みたかったのよ」
 自嘲を潜ませたその言葉に、うさぎに、恋人を失った前世の記憶がフラッシュバックした。この悲しみを、ずっと抱えて来たのである、銀水晶は。自分をセレニティと同一視するほどに。
 そんなうさぎの表情に表情を和らげ、銀水晶は続ける。
「私は満足したわ……命を紡ぐことができたから、温もりある世界を残すことができたから……」
 そう告げた彼女の顔には、一片の悔いも無い、穏やかで晴れやかな笑顔が広がっていた。
「銀水晶!」
 うさぎは思わず手を差し伸べていた。しかし、虚空しか抱くことができずに終わる。
「あなたたち個人の“時間”が動き出すわ。進みなさい、子供たち。そうすれば、やっと前世が終わる……」
 消滅した銀水晶の切なる願いだけが響いた。
 何故か涙が溢れた。そんなうさぎを、衛は引き寄せ胸元で慰める。
「みんなが俺たちの命を紡いでくれた……新しい人生の“時間”を始めるために」
「生きられるんだね、私たち」
「ああ」
 ふたりは視線を交わした。その時間がどれくらいのものかわからない。
 だが、一歩踏み出した瞬間。それは、互いが互いの手を引いた、力強い前進であることに間違いはなかった。

 うさぎと衛の瞼が開かれ、歓声があがった。
「うさぎちゃん」
 まず亜美がうさぎに飛びつき、
「うさぎぃっ」
 続いてまことが、亜美ごとうさぎを押し倒すように。
 そして、レイと美菜子が互いに目配せして、うさぎが体勢を立て直しているところへ第三弾を繰り出す。
「うさぎ」
 うさぎと全員で抱き合う。生きている互いの温もりを確かめるように。 
 ルナとアルテミスがうさぎの頭の上に跳び乗ってはしゃぐ。
「みんなぁ、ただいまっ」
 うさぎが幸せそうな笑顔で、仲間に応えているのを、半身を起こして衛は眩しそうに目を細めて見ていた。
 それから、立ち上がって、所在なさげにしているネフライトに視線を転じる。
「ありがとう、俺は地場衛だ」
 衛はそう言って、ネフライトに手を差し伸べた。
 照れ臭そうにしているネフライトの動作はかなりぎこちなかったが、ふたりは握手を交わす。ふたりともはにかみに似た失笑がこぼれた。
(もうマスターではなく、一個の人間として向き合うということか……俺も同じだ)
 こうして新たな関係が築かれていくことを、衛を通してネフライトは理解する。
 俄かに視線を感じた先で、クンツァイト、ゾイサイト、ジェダイトが一礼して消えたのが見えた。それが、彼等との別れであった。衛とネフライトは、声に出さずとも、互いが同じ仲間の魂との別れを見届けたとわかっていた。
 それに、衛がネフライトに改めて名乗ったことには意味があった。
 失われていた幼少の記憶、父、母の顔が脳裏に甦っていた。銀水晶の最期の願いに、母が子に託す願いを感じ取ったときから。
 今、本当に、自分は地場衛として新生したのだと感じていた。今度は、現在(いま)を乗り越え、愛する女性(ひと)との未来を掴むために。
 前世に決着をつけたように。かつての婚約者、陽菜のいる日下家とのことも、もう後回しにはできない。地場衛として生きるために。
 だが、不安はない。
 むしろ、地場衛としての“時間”が流れることに歓喜していた。
 ――帰路。話が尽きないうさぎたち五人(と二匹)のあとを歩く衛に、うさぎがさりげなく愛らしい笑顔を向けた。衛はこの愛する女性(ひと)との、新たな物語が紡がれることを実感し、微笑みを返した。              



〜Fin〜

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