ACT3 レイ SAILORMARS
冷たい風が吹き荒ぶ、石造りの講堂のような場所。その中央、床より二段ほど高くなっている部分に、黒い妖艶なドレスを纏った女性が立っていた。舞台と呼ぶには低すぎる。何かの儀式を行う場所なのかもしれない。
女性の傍らには、腰の高さまである燭台のようなものが置かれ、そこにはハンドボール程度の大きさの水晶球が、ひとつだけ据えられていた。右手には細長い杖が握られている。
「………ジェダイト。二度に渡る失態。覚悟はできておろうな」
ゆっくりとした口調ではあったが、有無を言わさぬ迫力があった。
ドレスの女性の前方で、片膝を付いて畏まっていたジェダイトは、項垂れるしかなかった。
言い訳のしようがない失態を、二度も繰り返してしまったのである。返す言葉もなかった。
「おまえの兵隊は所詮土人形。だから脆いのさ」
悔しげに唇を咬むジェダイトの背中に浴びせられるように、仲間の声が聞こえた。
「………ネフライトか」
ドレスの女性は顔を上げた。
ジェダイトのはるか後方。石造りの壁にもたれ掛かるようにして、長髪の青年がこちらに視線を送っていた。髪にはパーマを当てているのか、軽くウエーブしている。
ネフライトと呼ばれた青年は、口元に嘲笑を浮かべながら、大股で歩み寄ってくる。
「クイン・ベリル。次なる作戦は、北米支部担当のこのネフライトにお任せを! 我らが大いなる支配者へ捧げるエナジーを効率よく集め、必ずや『幻の銀水晶』をこの手に!」
自信に満ち溢れた表情で、ネフライトは黒いドレスの女性―――クイン・ベリルに向かって自らを売り込むような発言をした。
ジェダイトが睨むような視線を向けたが、ネフライトは意に介さなかった。
「………セーラー服戦士、か………」
ネフライトの左斜め後方から声が響いた。見ると男性にしてはやや華奢な感じのする青年が、こちらに視線を送っていた。ゾイサイトだった。
「あいつらも、まさか『幻の銀水晶』を狙って………?」
不安そうな視線をネフライトに向けた。実のところ、ネフライトもそのことは気になっていた。突如現れた謎の敵も、自分たちと同じものを探しているとしたら、作戦を立てる上で考慮しなければならないことだった。だが、ネフライトはそのことよりも知りたいことがあった。
「クイン・ベリル、お聞かせを。『幻の銀水晶』とはいったい………」
三人を代表するような形で、ネフライトは自分の知りたいことを口にした。自分たちが探さねばならないものは分かっている。だが、それがいったいどういうものなのかをまだ知らされていない。以前、同じ質問をクイン・ベリルに向けた時には、「まだ知る必要はない」と、取り合ってくれさえしなかった。
「………」
クイン・ベリルは今度も口を噤んでいた。だが、何事かを思案するかのように、ゆっくりと瞬きをした。
「『幻の銀水晶』は、すべてのエネルギーの源………」
クイン・ベリルは、ようやく重い口を開いた。話しておくべきだと、判断したのだろう。
「『幻の銀水晶』は、はかりしれない無限のパワーを持つ石と聞いている。そして、手にした者が、全宇宙の支配者になれるのだ、と」
「全宇宙の支配者………」
ゾイサイトが緊張した面持ちで、クイン・ベリルの言葉を反芻する。無理もない。地球規模なら想像に難しくないが、いきなり全宇宙ともなると規模が大きすぎて想像も付かない。
「われらが大いなる大いなる支配者が求めていたのは、そんなにも途方もない力を持つ石だったのか………」
ネフライトは事の重大さを噛み締めるように、低く呟くように言った。
「………我がダーク・キングダムの邪魔をする者は、何人であろうと容赦はしない。ジェダイト、極東における『幻の銀水晶』探しは、ひとまず後回しじゃ」
クイン・ベリルは鋭い視線をジェダイトに向けた。
「おまえに最後のチャンスを与えよう」
「分かっております」
ジェダイトは再び片膝を付き、畏まって答えた。
「目障りなセーラー服戦士は、必ずやこの手で消してご覧にいれます」
炎が揺れていた。
決して大きくはないが、力強い炎だった。
その炎に向かって、ひとりの少女が祈りを捧げていた。
少女は巫女の衣装を纏っていた。長い黒髪が美しい。瞼を閉じて手を合わせている姿は、ある種場違いとも感じ取れる高貴な印象を受けた。
―――来る。来るわ、何かが………。
少女は“予感”を感じていた。少女は眉間に皺を寄せる。その“予感”が、胸躍る幸福の予感ではなかったからだ。
彼女が感じた“予感”は、“邪悪”。かなり醜悪な“気”を感じ取っていた。
―――とてつもないことが、起こる。
直感である。近い将来、自分の身に起こるであろう“邪悪な予感”を、火野レイはこの時、敏感に感じ取っていた。
南麻布の仙台坂上バス停から、少しばかり元麻布方面に歩いていったところに、古い神社があった。名前を火川神社と言った。
火野レイは、そこで宮司を務めている祖父とふたり暮らしをしていた。
この日のレイも、日課となっている神社での竹箒での掃除を、神社によく遊びに来る「みいちゃん」を見送りながら行っていた。
みいちゃんは友達と境内で遊んでいたのだが、バスの来る時間になったので、レイに別れを告げて神社を後にした。彼女は二つ先のバス停近くに住んでいた。この時間まで遊んでいる時は、必ずバスに乗って帰るようにしているようだった。母親からの言い付けなのだそうだ。
レイは、みいちゃんが乗ったバスが走り出すのを見届けると、腕時計に目をやった。
「六時、か………」
分かってはいたことなのだが、自分のいる時間をつい確認してしまうのが、人としての性分のようである。みいちゃんの乗るバスが仙台坂上発六時のバスであると知っていても、レイはつい腕時計を見てしまった。
レイは自分の意味のない行為に口元を僅かに緩めると、くるりと踵を返した。そろそろ夕飯の支度を始めなければならない時間だった。
だが、異変はこの時に起こっていた。みいちゃんの乗ったバスは、レイが目を離した数秒後、陽炎のように揺らめいたかと思うと、すうっと消えてしまったのだ。
「ねぇねぇ。魔の六時のバスって知ってる?」
「知ってる! 仙台坂経由のバスでしょ?」
「えー!? アレってホントなの?」
「六時ジャストに仙台坂上を通るバスに乗ったら最後、行方不明になっちゃうってハ・ナ・シ!」
「死神が運転してるって話よ!」
「キミわる〜い。行き先は地獄だったりして………」
十番中学校では、朝のホームルームが終了し、一時間目が始まるまでの僅かな待ち時間に、女の子たちがある噂話で花を咲かせていた。
魔の六時のバス―――夕方六時に仙台坂を通るバスが、最近立て続けに行方不明になってい
た。もちろん、乗客ごとである。ニュースでも取り上げられ、警察も本格的に調査を始めているらしいと、今朝方、父親の謙之が話しているのを耳にしていた。
なるちゃんやゆみこたちが、話題の中心にいるのだが、うさぎは何故か蚊帳の外だった。
それもそのはずである。前の晩、遅くまでゲームをやっていたせいで、うさぎは机に突っ伏して仮眠を取っている最中だったのである。話題に加わりたくても、睡魔には勝てなかったというわけだ。
「うさぎちゃん、そろそろ起きなさいよ。先生が来るわよ」
うさぎの懐からモソモソと顔を出したルナが、レム睡眠に差し掛かろうとしていたうさぎのほっぺたを、前足でペチペチと叩いた。
「ふにゃ?」
うさぎは寝ぼけた顔をルナに向けた。目は開いているが、脳ミソはまだ眠っているらしい。
「きょうは亜美ちゃんと今後についての作戦会議をやるわよ!」
ルナは細心の注意を払い、うさぎにしか聞き取れないような小声で言った。もっとも、クラス中がワイワイガヤガヤとうるさいので、多少大きい声でも他人に知られることはなかったかもしれない。
「えーっ。今日は早く帰って、家でゴロゴロしたいよぉ、ルナぁ」
連夜の夜更かしで、多少体が怠かった。うさぎとしてはできるかぎり早く家帰って、夕食までの時間睡眠を取りたかった。だが、ルナがそんなことを許すはずはなかった。夕べも早く寝ろというルナの注意を無視して、うさぎは二時までゲームをやっていたのだ。眠いのは自業自得である。
「五時にゲーセンね」
ルナは作戦を変えた。単に会議をやると言っても、うさぎが駄々をこねるのが分かっている。ここはアメとムチで行くべきだと、ルナは考えたのだ。
「ラジャーッ!」
集合場所がゲーセンと聞き、俄然うさぎが張り切った。さっきまでの寝ぼけ顔はどこへやら、ご丁寧に敬礼をしてルナに答えた。
眠気はいっぺんに吹き飛んでしまった。
タイミング良く、担任の桜田春菜先生が、始業のベルから十分も遅れてやってきた。
ルナはよせばいいのに、春菜先生の頭を踏み台にして、廊下へ出ようと試みた。
「だれっっ!? 教室に猫なんていれたのはっっ!?」
春菜先生が驚くのも無理はなかった。教室に猫が入り込むなど、滅多にあるものではない。
「ごめーん、春だ。あたしのネコなの。すぐ出てくから」
「月野さんっっ。また、あなたなの!?」
「また」と言われてしまうと、クラスの問題児のようではあるが、ここはうさぎはぐっと耐えた。ここで口答えしようものなら、廊下に立たされの刑か、拳骨の刑のどちらかである。
うさぎは笑って誤魔化すしかない。
当のルナはと言えば、既に素知らぬ顔で廊下を悠々と歩いていた。
ゲームセンター“クラウン”の前までは、なるちゃんと一緒だった。
うさぎは“クラウン”入り口でなるちゃんと別れ、中に入っていった。
亜美もルナも、まだ来ていなかった。
それならばと、うさぎは財布から百円玉を取り出し、「セーラーV」ゲームの筐体の前に置かれている丸椅子に腰掛ける。百円を投入し、スタートボタンを押した。
ゲームが開始される。
程なく、亜美が“クラウン”に現れた。「セーラーV」ゲームをプレイしているうさぎを見付け、安心したような笑みを浮かべながらやってきた。ゲームセンターという場所に縁遠い亜美にとっては、ひとりで入ることはかなり勇気がいるらしい。うさぎと出会ってから度々“クラウン”には訪れているものの、まだ多少の抵抗があるようだった。
だから、うさぎの姿を見付けられたので、自然と笑みが零れたのだ。
「上達したな、うさぎちゃん」
横からうさぎのプレイを観戦していると、“クラウン”でアルバイトをしているお兄さんが近寄ってきた。うさぎのプレイを見、その上達ぶりに感心している。
「へへー。亜美ちゃんという大先生がいるもんね」
うさぎは自慢げに笑って見せた。事実、亜美のアドバイスが、うさぎをここまで上達させたと言っても過言ではない。
「でもさぁ。亜美ちゃん、よくこんな難しいゲームがクリアできたよね」
プレイしながらうさぎは言う。当然、画面から目を離すことはできない。一瞬でも画面から目を離すと、それが命取りになってしまうことがある。
「あたしがやったのと、画面が違うわ。このゲーム、何パターンもあるんじゃない?」
うさぎのプレイぶりを覗き込んでいる亜美は、不思議そうに首を捻った。確かにプレイする度にパターンが違っている。記憶力が人並み以上の亜美でさえ、同じパターンを見たという記憶がない。
「うさぎちゃんと、亜美ちゃんがやるときに限って、こういう現象が起こるんだよねぇ。何度か俺もプレイしたことあるけど、こんな面は見たことないよ」
アルバイトのお兄さんも、首を傾げていた。
うさぎが二回目のプレイに入ったので、亜美はその場からそっと離れた。「セーラーV」ゲームに熱中しているうさぎは、しばらくゲームの前を離れないからだ。
「………まだ、信じられないわ」
ゲームに熱中しているうさぎと、それを観戦しているお兄さんを少し離れた位置で見やりながら、亜美は呟くように言った。ゲームの筐体の上にちょこんと座っているルナが、その横にいる。
「まだ、目覚めたばかりだものね。今に分かるようになるわ。何もかも………」
ルナは明らかに自分が知っている以上のことを知っている。そう感じながらも、亜美はそのことについては、それ以上質問しないことにした。時期がくれば、ルナから話してくれるだろうと考えてのことだ。
亜美にはそれよりも、気掛かりなことがことがあった。
「ルナ。『敵』って、どんな人たちなの? 『敵』の目的は? あたしたちは、これからどうすればいいの?」
「『敵』に関しては、まだ何も言えないわ。あたしだって、全てを知っているわけじゃないのよ。ただ、絶対的な使命はあるわ。あたしたちは、プリンセスと聖石『幻の銀水晶』を守らなきゃいけないの」
「『幻の銀水晶』!?」
聞き慣れない言葉に、亜美が驚いた瞬間、うさぎの歓声が聞こえた。二面をクリアできたらしい。
ルナの額の三日月が、一瞬だけ光を放ったような気がした。
「わーっ なんかまた、ゲーム機から出てきたわよっ」
二面をクリア出来た喜びと、景品が出てきた喜びで、すっかりゲームのことを忘れてしまったうさぎは、ゲームの中のセーラーVが、敵の集中攻撃によって倒されてしまったことに気付いていない。
「腕時計だっ。ホラ、亜美ちゃんの分もあるよ」
うさぎは嬉しそうに景品の時計を手にしている。デザインは全く同じものである。一見するとお洒落なブレスレットなのだが、円形のカバーを開けるとアナログ式の時計であることが分かった。
「あっ。これはちょうどいいわ! 改造したら通信機に使えるわね」
素早い動作で、ルナはうさぎの手から景品の時計を取り上げる。何か言いたげな亜美には、小さくウインクした。どうやら、亜美にはゲーム機に細工をしたことに、気付かれてしまったようだ。
「亜美ちゃん、もう五時だよ。ヘイキ?」
何気なく壁掛け時計に目をやったうさぎが、亜美に現在の時間を教えてあげた。亜美は幾つもの塾に通っている。大抵は五時になるとどこかの塾へと向かう。
「えっ、うそ、タイヘン! あたし今日、英語の塾!」
亜美は慌てて支度を始める。小銭も底を突いたので、うさぎも亜美と一緒に“クラウン”を出た。
「亜美ちゃん帰っちゃったら、つまんないよぉ」
バス停まで亜美を送るかたがた、十番商店街の入り口付近を歩いていたうさぎは、傍らの亜美に向かって未練たっぷりに言った。
「じゃ、うさぎちゃんも一緒に行く?」
付いて来ないと分かっているから、亜美はクスクスと笑いながら言った。もちろん、うさぎは「ノー」と答えてくる。
「そうね………今の時間なら、バスに乗ればスッゴイ美人が見られるわよ。ときどき一緒になるの」
一の橋の交差点を渡り、交番のお巡りさんに「いつもご苦労様です」と声を掛けた亜美は、左に見えるバス停に向かいながら、うさぎに言った。
「スッゴイ美人」と言われれば、うさぎの興味が沸かないわけがない。
「例の『魔の六時のバス』と同じ路線ですよ。乗らない方がいいですよ!」
どこからともなく出現し、助言を与えてくれた海野を無視して、うさぎは「仙台坂経由」のバスに乗ってしまった。
「ホラ、うさぎちゃん。あのT・A女学院の制服のコ!」
バスに乗り込んですぐに、亜美が後ろの方で手すりに掴まっている学生を指差し、うさぎに小声で教えた。彼女がその「スッゴイ美人」らしかった。
亜美が言うように、女性であるうさぎから見ても、その学生は美人に見えた。ある意味、近寄りがたい程の高貴な光を携えた女の子だった。腰の辺りまである漆黒の髪はサラサラとしていて、美しい光沢を放っていた。六本木にあるお嬢様学校「T・A女学院」の制服を着ていることから、どこかのお金持ちの令嬢かもしれなかったが、それにしてはバスで帰宅というのは少しばかり違和感があった。お金持ちのご令嬢なら、送迎用の高級車があるはずだ。物騒な今の世の中で、ボディ・ガードが付いていないのは妙だった。
どこか寂しげなその横顔から、何故かうさぎは目を離せなくなっていた。塾に向かうために途中で下車した亜美にも、全く気が付かないほどだった。
「仙台坂上」で、その女の子はバスを降りた。うさぎもそれにつられてバスを降りる。
「うさぎちゃん〜〜〜〜〜。女の子追いかけてどうすんの!? こんトコでバス降りてっ」
何とも奇っ怪なうさぎの行動に、ルナが呆れた。かっこいい男の子を追っかけるのならまだ分かるが、相手は女の子である。確かに美人なのだが、同性であるうさぎが追いかける理由にはならない。
「だって、キレイなんだもん! いいじゃない、ヒマだし」
うさぎはすっかり、あの美人の女の子の虜になっていた。
「あれっ。いないっ。ルナのせいよ! 見失ったじゃない!」
小言を言うルナに気を取られ、一瞬目を離した隙に、その女の子は忽然と姿を消してしまった。
「うさぎちゃん、ホラホラっ。もしかしてここに入ったんじゃない?」
うさぎに首を絞められ慌てたルナは、取り敢えず目に付いた神社を指し示した。十番街では厄払いで有名な「火川神社」だった。バス停を降りてすぐのところに長い階段があり、そこを登っていくと大きな鳥居がある。月野家では毎年、ここに初詣に来ていた。
階段をトコトコ昇り、鳥居を潜った。左の方には大きなイチョウの木がある。
バサバサッ。
頭上で羽音がした。
「きゃあ!」
うさぎは悲鳴を上げた。二羽のカラスが、うさぎに襲いかかってきたのだ。
必死に振り払おうとしても、カラスはうさぎを襲うことを止めなかった。
レイは本堂で、ただならぬ妖気を感じていた。外へと飛び出す。
フォボスとディモスが、中学生らしい女の子を攻撃している。「もののけ」は姿形だけでは判別できない。中学生の女の子の姿はしているが、油断は出来なかった。
「神聖なるこの神社に災いをもたらす輩………ゆるしませぬ!」
レイは懐に右手を忍ばせる。
「悪霊、たいさーんっっ」
懐から悪霊封じのお札を取り出すと、レイは侵入者へと投げた。
お札は生き物のように宙を舞うと、女の子の額に張り付いた。
「きゅぅ〜〜〜〜〜」
お札の威力なのか、女の子は目を回してその場に倒れ込んだ。
「あ、あらら………!?」
何か反応がおかしい。「もののけ」ならば、このお札で消滅するはずだ。しかし、女の子は消滅をせずに、その場に倒れ込んでしまった。
「フォボス、ディモス! あんたたち〜〜〜〜〜!!」
レイは上空に旋回している二羽のカラスを見上げた。バツが悪いのか、二羽は上空高く飛び上がったきり、下へ降りてくる気配がなかった。どうやら、「もののけ」と間違えて攻撃してしまったようなのだ。
「………ごめんなさい。えーと、うさぎさん? 『もののけ』と間違えてしまいましたわ。たしかに妖気を感じたんですけど………」
うさぎを介抱したレイは、事の次第を説明し、深々と頭を下げた。フォボスとディモスも低空まで降りてきて、申し訳なさそうにニ‐三度啼いた。
「フォボスとディモスは、ふだんは人なんかおそったりしませんのに………」
合点が空かない様子で、レイは自分の頭の上を旋回する二羽のカラスに目を向けた。
うさぎはそんなレイの姿を、まるで恋をした少女のような眼差しで、ドキドキしながら見ていた。
「うちの『みい』が帰ってきますように」
手を打つ音が響き、顔を向けると、本堂に手を合わせている女性たちの姿が目に入った。
「おばさま。みいちゃんがどうかしましたの?」
レイはその中ひとりが見知った女性だったことと、彼女が口にした言葉が気になって、声を掛けた。
「もうニュースで知ってるかもしれないけど………みいが行方不明で………」
女性は今にも泣き出しそうな表情で、レイに言った。
(みいちゃんが………。確か二‐三日前に神社の前で会ったけど………。まさか、あの後………)
レイは無言で思案した。
「いま子供たちが『魔の六時のバス』なんて噂してるでしょ? みいはこの神社の前からバスに乗ってたし、この辺は昔からぶっそうだし、誘拐かも………。不安で………。あ、別にレイちゃんちの神社がぶっそうって言ってるワケじゃないのよ」
女性が話している間も、レイは表情ひとつ変えなかった。
それが女性たちの癇に触ったようだ。
「なあに、あの巫女さんたら顔色ひとつ変えないで」
「火野さんとこのレイちゃんは変わり者なのよ。ヘンな祈祷はするわカラスは飼うわで霊感もあるらしくてさ」
ひそひそとレイの陰口を叩きながら、女性たちは火川神社を後にした。
―――霊感。
―――フシギな力を持つ冷静な少女。
女性たちの陰口を聞いていたルナの脳裏に、ある事柄が閃いた。
―――高貴な顔立ち。流れるような物腰。神に仕える身。
―――まさか、プリンセス!?
レイの様子をつぶさに観察していたルナは、そう直感した。自分の探し求めているプリンセスが、レイなのではないかと―――。
ルナのそんな考えをよそに、レイはうさぎに仙台坂の説明をしている。
「―――仙台坂上は、五本の坂が集まっている珍しい場所なんですわ。でも、実は昔から幻の六本目の坂があるって言い伝えがありますの。『魔の六時のバス』は、その幻の六本目の坂に吸い込まれ消えてるってウワサですわ。そう言うのをなんて言うか知ってます?」
レイはその神秘的な瞳で、うさぎを見つめた。うさぎは言葉に詰まった。答えが分からなかった訳ではない。その瞳に捉えられたとき、電撃のようなものが体中に走って、思考回路が一瞬停止してしまったからだ。
「『神隠し』って、言うんですのよ………」
答えに詰まっていたうさぎにレイはそう言うと、優雅な動作で背を向けるのだった。
石牢のような場所に、人々が眠ったまま横たわっていた。スーツ姿のサラリーマン、セーラー服姿の女子学生、そしてランドセルを背負った女の子………。正確な数は分からないが、少なく見ても二十人近い人々が、その石牢の中にはいた。
ジェダイトは石牢の中で眠り続けている人々を見つめ、満足そうな笑みを浮かべた。
だが、
「手ぬるいな、ジェダイト」
ネフライトが、水を差すような言葉を投げ掛けてきた。
「おびき出すには、この方がいいのさ」
蔑むようなネフライトの口調ではあったが、ジェダイトは気分を害した様子はなかった。むしろ、口調は楽しげだった。
「こちらに人質が多いほど、楽しみが増えるとは思わないか?」
ジェダイトは言うと、クククと喉の奥を鳴らした。
ネフライトは呆れたような笑みを浮かべたが、自分に背を向けているジェダイトは当然見えるはずはない。
「コイツらはエナジーを吸い取るなどせず、このまま生け贄として我が大いなる支配者に差し出す! セーラー戦士の首とともに、な」
ジェダイトは再び喉の奥を鳴らした。それはまるで、自分の作戦に酔いしれているようでもあった。
(貴様は負けるよ、ジェダイト)
心の中で吐き捨てるように言うと、ネフライトは石牢を後にした。
次の日の十番中学校は、朝から行方不明者の話題で持ちきりだった。一年生の女子生徒が、既に四日も行方不明になっているというニュースが、今朝方報道されていたからでもあった。
十番中学と程近い一の橋中学校でも、既に十人近い行方不明者が出ているらしい。
『魔の六時のバス』のウワサは、いやが上にも広まって行く。
「最近、この辺で行方不明が相次いでいます。みんなも充分に気を付けて」
帰りのホームルームで桜田春菜先生も、クラスの全員にそう注意をした。
「『神隠し』かぁ………」
うさぎは昨日、火川神社でレイが言った言葉が、妙に心に引っ掛かっていた。海野が「新手の誘拐の線だと思うんですよっ」と耳元で騒いでいたが、取り合う気はなかった。
ルナが、
「あやしいわね。敵のニオイがするわ」
と言えば尚更だった。
「うさぎちゃん」
なるちゃんと別れ、うさぎがひとりになったところで、ルナがぴょんとうさぎの腕に飛び乗った。十番中学校の正門でうさぎを待っていたのだが、なるちゃんと一緒だったので声を掛けるのを遠慮していたようだった。ジュエル・OSA・Pの前でなるちゃんと別れたので、ようやく声が掛けられたと言うわけだ。
「ねぇ、うさぎちゃん。バスと仙台坂上のコト調べたいし、あのレイちゃんてコに会ってみない?」
「どうして?」
理由は何となく想像できたが、うさぎとしてはルナの本当の考えも知りたかったので、聞き返してみた。
「気になるのよね………。もしかしたら、レイちゃん、『仲間』かもしれないし」
「―――敵」
うさぎは真剣な表情で、ルナを見つめる。
「ってことも、考えられるわよ」
特殊な能力を持っている相手が、全て味方とは限らない。敵である可能性も捨ててはいけない。うさぎはそう考えていた。
「あら、たまには冴えてるじゃない」
ルナが感心したように言ってくれたが、素直に喜ぶ気にはなれなかった。
ルナに誘導される形で一の橋公園の前ので来ると、タイミング良くバスがやってきた。仙台坂上を経由する。問題の路線だった。
「さ、乗って」
「えーっ。バス乗るの? 怖くてやだなーっ」
仙台坂上までは、バスを使わなければ行けないと言う距離ではない。歩いて行ってもいいのだが、バスも怪しいと睨んでいるルナとしては、やはり乗ってもらう方が都合がいいのだ。
「なんかあったら、責任とってよね、ルナ」
うさぎは乱暴に最後尾の座席に腰を下ろした。ウワサの影響か、バスに乗っている人は少なかった。
「だいじょうぶ、まだ五時だし、通信機で亜美ちゃんに………」
ルナはそこまで言うと、慌てて口を噤んだ。
「どうしたの? ルナ」
不思議に思ったうさぎは聞き返した。途中で話をやめてもらっては困る。しかし、ルナは手足をバタつかせて、何事かをゼスチャーでうさぎに説明しようとする。
「まだるっこしいわね、しゃべってよ!」
うさぎは口を尖らせた。しゃべってくれなければ、ルナが何を言いたいのかが分からない。
「そうだよルナ、もっとしゃべれよ」
間近で声がした。うさぎはギョッとなって横に目を向ける。
眼鏡を掛け、まじめそうな少年が不思議そうにこちらを見ていた。
「あ〜〜〜〜〜!!」
うさぎは思わず声を上げた。
「またあんたっっ」
相手を指差しながら、うさぎは黄色い声を張り上げた。指先がプルプルと振るえている。声を掛けてきたのは、最近商店街などで出会す嫌味な青年だった。ただいつもとは違い、少年のような印象を受けた。
「………キンキン声出すな。おダンゴ頭、よく会うな」
僅かに眼鏡をズラしながら、少年は言った。
「なぁんでココにっっ!?」
「オレはバス通学なんだよっ」
「うそっ!? あんたって、ふつうの中学生だったのっっ!? そう言えばきょうはセーフク着てるっっ」
最初の印象が違って見えたのも、今日は彼が制服姿だったからである。今まで会った時のようなタキシード姿ではなかったのだ。だから、青年ではなく少年のような印象を受けたのである。かなり歳の離れた「お兄さん」的な印象を持っていたのだが、今日の彼の姿を見て、歳が近い、より身近な感じを受けたのだ。
「オレはれっきとした高校生だっ」
少し怒ったような様子で、少年は学生証をうさぎに見せた。中学生と思われたことが、少しばかり気に障ったようである。
「『地場 衛 元麻布高校二年』ふぅぅ〜〜〜ん」
うさぎはマジマジと、その学生証と少年の顔を見比べた。よく見ると、まだ幼さの残る顔立ちをしていた。タキシードを着込んでサングラスを掛けると、ああも印象が違うものかと、うさぎは心の中で関心する。
「………バス通学なら、知ってる? 『魔の六時のバス』」
「知ってるよ、この路線だろ。ただでさえ、ヘンな事件が多いのに」
少年―――地場 衛は、眼鏡を外しながら答えた。
うさぎはドキリとする。
眼鏡を外すために横を向いた地場 衛が、あこがれのタキシード仮面の横顔によく似ていたからだ。
心臓が鼓動が激しくなり、ドキドキと胸が高鳴る。
うさぎは慌てて視線を外した。
だが、今度は地場 衛の方が驚くことになる。
「―――正義の戦士………」
うさぎの横顔を見ることとなった地場 衛は、思わず呟いていた。無意識のうちに出た言葉だった。
「えっ!?」
今度こそ、心臓が飛び出すのではないかと思えるほど、うさぎは驚いた。いや、うさぎだけではない。彼女の膝の上に座っていたルナまでもが、同じような反応をした。
「………いや、なんでもないよ………」
地場 衛はさらりと言うと、正面を向いてしまった。
車内に女性の声で、次の停留所を告げるアナウンスが流れる。
仙台坂上だった。
うさぎは慌てて降車ボタンを押す。仙台坂上の停留所に停車すると、逃げるようにバスを降りた。
「びびびっくりしたっ」
「アイツってば、なかなか鋭いわねっ」
バスから降りたうさぎとルナは、深呼吸しながら胸を撫で下ろした。しかし、ふたりは自分たちが驚いたしまったばかりに、肝心なことに気付なかった。
それは地場 衛が、何故うさぎを見て「正義の戦士」と言ったかと言うことである。セーラームーンの活躍は、まだマスコミで報道されていないのである。セーラーVは知っていても、セーラームーンを知る人間はいないはずなのである。たたひとりを除いては―――。
地場 衛はバスの中から、火川神社方面へ向かううさぎの後ろ姿を見ていた。
「通信機でレンラクを………」
お団子頭の女の子が連れていた猫は、確かにそう言ったように聞こえた。
「気になるな………」
聞き違いかもしれない。しかし、自分の勘は聞き違いではないと告げていた。
人の言葉を話す猫と、正義の戦士に似た少女。何か妙に心に引っ掛かって離れなかった。
「だからね。ウチのムスメたちがどこにいるのか、レイちゃんお得意の霊感で占ってほしいだけなのよ」
火川神社の境内で、レイは主婦やら紳士やらの数人に囲まれていた。レイに率先して話し掛けているのは、先日行方が分からなくなったみいちゃんの母親である。話の内容から推測すると、レイの持っている霊感を使って、行方不明になった人たちの探索を依頼しているようであった。だがもちろん、そんな霊感などを信じていない依頼者も、この中にはいた。
レイの能力を不信に思う依頼者のひそひそ話が、レイには何故かはっきりと聞こえていた。
「霊感なんて………。場所を特定できるような確実なものでは………。それより警察に任せた方が………」
レイとしてはあまり好ましくない依頼だった。かなりの精神力を必要とするが、場所を特定することはできないわけではない。しかし、祈祷をする時は、きっとこの人たちも側にいるに違いない。そう考えると、安易に依頼を受けるわけにはいかなかった。周囲に自分の能力を疑うものがいては、祈祷に差し支えるのだ。だから、レイの言葉は歯切れが悪かった。
「こんなときくらい愛想良くできないの? せっかくこの神社に来てやってんのに」
曖昧な態度しか見せないレイに業を煮やしたのか、みいちゃんの母親が吐き捨てるように言った。
「意外とあんたがヘンな祈祷をやって、ウチのムスメを神隠しに遭わせたんじゃないの?」
本音だと思えた。口では助けてほしいと言ってはいたが、心の中ではレイを疑っていたのだ。だから、ついカッとなって本音を口走ってしまう。
「か、帰ってよっ!」
頭に血が上った。人々が行方不明になったのが、自分のせいだと思われたことに腹が立った。と、同時に悲しくなった。レイは一瞬、我を忘れて怒鳴ってしまった。
そのレイの癇癪に驚いた依頼者たちは、そそくさと火川神社を後にする。
「………レイちゃん、なんかかわいそう………」
うさぎはその一部始終を見ていた。そのうさぎの視線にレイが気付いて、一瞬だけ視線が合ったが、レイはすぐに視線を逸らして、社務所の方へ足早に去っていってしまった。
「―――敵の意図が読めないわね」
仙台坂上のバス停まで戻って来ると、今まで押し黙っていたルナが重い口を開いた。
「敵だとしたら………。『幻の銀水晶』を探しているはずなのに、今回の行動は………」
不可解すぎる。ルナはそう考えていた。
「敵も『幻の銀水晶』というのを探してるの?」
うさぎは未だに、ルナから敵の正体も目的も聞かされてはいなかった。二度ほど敵と遭遇はしているものの、うさぎは自分が戦わなければならない理由を知らなかった。
「そうよ」
うさぎの言葉に、ルナは肯いた。しかしまだ、全てを話すときではない。
「でもね、うさぎちゃん。これだけは覚えて置いて。『幻の銀水晶』は、決して敵の手に渡してはならないの」
ルナとしては、こう言う他はなかった。
そのうさぎとルナを、火川神社の社の影から見ている者がいた。漆黒のマントに身を包み、黒いシルクハットを被ったその者は―――そう、タキシード仮面だった。
レイは祈祷を行っていた。
何か不吉な予感がしていた。自分が思いも寄らぬ、恐ろしいことが周囲で起こっている。
何が起こっているのか知りたかった。
何が起きようとしているのか知りたかった。
祈祷の炎に向かったレイは、“気”を集中する。脳裏に映像が浮かんだ。
見知らぬ男。若い男だった。醜悪な表情をしていた。悪魔にでも取り憑かれたような恐ろしい形相だった。セーラー服を着た少女を襲っていた。その少女の顔には見覚えがあった。
先日知り合ったばかりの少女だった。初めて会ったのに、どこか懐かしい感じのした少女。自分の奥に秘められた記憶が、彼女を見て懐かしんでいる。そう感じた。
その少女は、月野うさぎだった。
(うさぎちゃんが危ない―――!?)
レイの最も信じる炎は、そう告げていた。
レイは祈祷をやめると、すぐさま境内でうさぎの姿を捜した。先程、自分に何か言いたげに佇んでいた彼女を無視してしまったことが、ひどく悔やまれた。
境内にうさぎの姿はなかった。
(仙台坂!?)
レイの脳裏に、閃光のように仙台坂の映像が煌めく。火川神社を飛び出して、左へ。仙台坂上交差点の信号が見えたとき、目の前にバスが現れた。
交差点の真ん中で、バスは停車した。乗り口のドアが開き、運転手がこちらを見た。先程の火の占いに出てきた男だった。
レイは何かに引き寄せられるように、バスへと乗り込んでしまった。
うさぎは腕時計で時間を確認した。そろそろ六時になろうとしていた。
元麻布の方向からバスが来るのが見えた。そのバスは、何故か仙台坂上の交差点の真ん中で、急に停車した。人影がフラフラとした足取りで、バスに吸い込まれるのが見えた。
今のは―――。
「レイちゃん!?」
バスに吸い込まれた人影は、巫女装束を纏っていた。レイだと直感した。
「うさぎちゃん、あのバス!! ヘンよ、行き先が真っ赤に点滅してる!!」
ルナがバスの異常に気付いた。バスの行き先表示のLEDパネルが、真っ赤に発光していた。行き先が表示されていない。
バスが急に方向を変えた。地面からふわりと浮くと、四十五度方向を転換した。
進行方向には道がない。
いや、道はあった。「できた」と言った方が正しいか。
バスの向いていた先にある壁に、ぽっかりと穴が開いたのだ。ちょうど、バスが通れるくらいの大きさの穴だった。
バスは躊躇なく、その穴に向かって前進する。
「これが、『魔の六時のバス』!?」
うさぎの背筋に冷たいものが流れた。
バスは壁に開けられた暗黒のトンネルに、吸い込まれるように前進する。
「レイちゃんを助けなきゃ!」
あのバスにはレイが乗っている。追わなければならない。
うさぎは変身ペンを取り出すと、スチュワーデスに変身する。普通、バスなのだからバスガイドに変身するべきなのだが、動転していたうさぎは、自分が将来なりたいものベスト5の中のスチュワーデスに変身してしまったのだ。
もちろんルナが突っ込んだが、レイを助けるために必死だったうさぎの耳には届かなかった。
開いている窓を見付けると、うさぎはなりふり構わずしがみついた。ルナはそのうさぎの足にしがみつく。しかし、うさぎが足を激しくバタつかせたので、振り落とされてしまった。
宙を舞ったルナは、何者かの両腕の中にすっぽりと収まった。
「タキシード仮面!?」
地面に叩き付けられるはずのルナを救ったのは、タキシード仮面だった。しかし、そのタキシード仮面の姿が次第に小さくなる。バスが暗黒のトンネルに吸い込まれたのだ。
バスは暗黒の空間を突き進む。どこへ向かっているのかなど、もちろんうさぎは知る由もない。振り落とされないように、必死に窓にしがみつくしかない。
ルナはいない。タキシード仮面もいない。
今まで自分を助けてくれたふたりが存在しない世界―――。うさぎの胸に悲しさが込み上げてきた。
既に消滅してしまった暗黒空間の入り口を見つめながら、タキシード仮面は茫然としていた。
(確かに目の前で変身した………。あの子はいったい………?)
すぐには理解できることではなかった。ごく普通のどこにでもいるような女の子が、突然中学生の姿からスチュワーデスの姿に変身したのである。バスが消失したことも驚くべきことなのだが、タキシード仮面にとっては、最近出会ったばかりの月野うさぎと言う女の子が変身したことの方が驚愕すべきことだったのだ。
茫然とその場に立ち尽くしていたタキシード仮面だったが、抱いていた黒ネコが腕から離れたことによって、現実へと引き戻された。
黒ネコは振り返りもせず、もの凄いスピードでどこかへと走り去ってしまった。
ルナが向かった先は、ゲームセンター“クラウン”の地下司令室である。
司令室に駆け込んだルナは、すぐさま亜美を呼び出す。亜美はまだ十番中学にいた。
緊急コールで危機を知らせると、亜美はすぐに司令室に現れた。
「何かあったの!? ルナ!」
「うさぎちゃんが例のバスを捕まえたわ!!」
「え!? でも、そのうさぎちゃんは?」
興奮気味に報告するルナだったが、肝心のうさぎの姿が見えなかった。ルナは慌てて成り行きを説明する。
「………そんなっ。追えるの!?」
亜美は息を飲んだ。うさぎが「魔の六時のバス」にしがみついて暗黒空間に消えたと言うことは分かったが、そのうさぎを救出する方法が亜美には検討も付かなかった。
「亜美ちゃん、これを」
「え? これは………?」
困惑する亜美に、ルナはデスクに置いてあったモバイル型パソコンを渡した。縦が十センチ横が十五センチ程と、通常のモバイル型パソコンに比べるとかなり小型だった。しかも、かなり軽い。
「万能型のポケットパソコンよ。シルバーミレニアムの科学力を応用して作ってあるわ。地球上のコンピュータとは比べものにならないくらい優秀よ!」
ルナはウインクをしながら、ポケット型コンピュータを立ち上げる。
「使い方はね………」
「大丈夫。思い出したわ」
ポケット型コンピュータの使用方法を説明しようとしたルナだったが、亜美はすぐさま自分で操作を開始した。亜美の中に眠るセーラーマーキュリーとしての記憶が、呼び覚まされたのだ。
―――自分はこれをかつて愛用していた。
その程度の記憶の再生だったが、手にしてみると指が勝手にキーを叩いた。
画面に映し出されたのは、3Dで表示された周辺の地図だった。赤い光点が画面を移動している。
「通信機を渡しといてよかった。うまく、うさぎちゃんの行き先追えるといいけど」
残念ながら、画面に映し出されている光点はリアルタイムのものではないようだった。うさぎの通信機から発している電波をトレースしているだけなのだ。
「!! 光点がモニターからはみ出ちゃったわ」
常識から外れた現象に、流石の亜美も驚きを隠せない。赤い光点はモニターをはみ出すと、床に向かって降下した。
と、その時だった。
「………応答して、ルナ! ルナ!」
雑音でひどく聞き取りづらいが、うさぎの声が通信機のスピーカーから流れた。
亜美は勢い込んで、そのうさぎの通信に答えた。
「亜美ちゃん!? どうしよう………。トンネルを抜けたら、突然石のお城みたいなところに………。バスを見失っちゃったの」
うさぎは涙声である。
暗黒のトンネルを抜けた直後、バスから振り落とされてしまったうさぎは、そのままバスを見失ってしまったのだ。
古代ギリシャにでも迷い込んでしまったような感じだった。巨大な石造りの建造物が、至る所に見え隠れする。自分はと言えば、城のような建物の中に、ひとりポツンと取り残されたような恰好になってしまったのだ。
城の中は薄暗く、冷たい空気が流れていた。窓から望める景色も、どこか薄ぼんやりとしていた。
「ルナぁ! どうしたら………」
もう一生ここから出られないのではないかと考えると、ついに涙が出てしまった。泣きながらルナに問う。
「しっかりして、うさぎちゃん! 変身よ! みんなを助けなきゃ!」
しかし、ルナから帰ってきた言葉は、慰めの言葉でも希望を与える言葉でもなかった。うさぎを鼓舞する言葉だったのである。
うさぎは覚悟を決めるしかなかった。
「ルナ! うさぎちゃんのところに転移させて! 変身の時のパワーを使えば………」
亜美の声が通信機を通して聞こえてきた。セーラー戦士へ変身するときは、膨大なエナジーが解放される。亜美はそのエナジーを、転移のためのパワーに変換しようと言うのだ。
「分かったわ………。亜美ちゃん、これを」
「ルナ、これって………?」
ルナが承諾してくれたらしい。続いて亜美の困惑したような声が聞こえてきたが、その場の状況が見えないうさぎには、亜美が何故驚いているのかが分からない。
「ふたりとも、同時に変身するのよ!」
亜美が困惑している理由を尋ねようとしたうさぎだったが、次なるルナの指示にその質問はできなくなってしまった。
「マーキュリー・パワー!」
亜美の声が聞こえる。
「ムーン・プリズム・パワー!」
反射的にうさぎも続いた。
「メイク・アーップ!!」
ふたりは同時に叫ぶ。
セーラームーンに変身を遂げたうさぎの目の前の空間が、強烈な光を放った。その光を潜って、セーラーマーキュリーが姿を現した。
「………美しい。初めて見た時から気に入っていた。この少女………」
気を失って倒れているレイに、ジェダイトは視線を落とす。片膝を付き、乱れて頬に絡みついているレイの黒髪を、そっと整えてやる。
頬にジェダイトの指が触れたとき、レイは小さな吐息を漏らす。少女の吐息ではあるのだが、妙に心が躍る。何故、自分がこのような少女に気を惹かれるのかが理解できなかった。
凄まじい閃光が、間近で煌めいた。
「ちっ!」
ジェダイトは舌打ちする。どうやら、招かれざる客が来たようだった。
「………こ、ここは?」
足下から声がした。レイが意識を取り戻したのだ。
「お目覚めですかな? 我が姫君………」
ジェダイトは視線を足下のレイに落とした。怯えたようなレイの視線が、自分に向けられている。
新たな気配を感じた。向こうから、こっちへ来てくれたようだった。
「セーラームーン………」
憎き相手だった。自分に二度の失態を演じさせた道化。出会ってしまったからには、ここで息の根を止めなければならない。本来の戦いの舞台は別に設けるつもりであったが、どうやらここで決着を付けるしかないようだった。
「こっちだ!」
まだ自分に気付いていないセーラームーンに、ジェダイトは声を張り上げた。同時に倒れていたレイを強引に引きずり起こし、その喉元を左腕で締め付けて身動きができないようにする。
盾にしている恰好なのだが、この少女を傷付けるつもりはなかった。少女を盾にすれば、セーラー戦士たちの動きを制限できると考えての行動だった。
「レイちゃんを放しなさい!!」
セーラームーンが凛と響く声で言い放ってきた。白く目映い光が彼女を包み込む。
「こんなところに、罪もない人を閉じこめて………。許せない!! 月にかわって、お・し・お・き・よ!!」
レイはまだ状況が理解できていなかった。意識を取り戻した直後に、見知らぬ男に喉元を締め付けられ、体を拘束されていたのだ。
「魔の六時のバス」に誘い込まれるように、乗り込んでしまった後の記憶がない。気が付いた時には、緊迫した場面だったのである。
「月にかわって、お・し・お・き・よ!!」
少女の声が聞こえた。この声には聞き覚えがある。
そうだ。自分はこの声の持ち主の少女を助けようと、火川神社を飛び出したのだ。そこで、「魔の六時のバス」の虜となってしまったのだ。
マーキュリーが霧を発生させた。
「セーラームーン! 霧が出ている間に、レイちゃんを助けて!」
霧に紛れてジェダイトに接近し、レイを救出する。作戦としては王道だが、生憎とジェダイトには通用しなかった。
ジェダイトは冷気を放って、霧を氷の結晶と変えていく。マーキュリー以上の冷気の使い手だったのである。
「霧が引いちゃう!?」
マーキュリーの得意技が役に立たない。完全に覚醒しているわけではないセーラーマーキュリーには、他に技を放つことができない。それはもちろん、セーラームーンも同じである。ふたりとも、戦うための能力はまだ完全ではないのだ。しかも、本来ならふたりとも前線で戦うタイプの戦士ではない。前線で戦う戦士の補助的役割を担った能力が高い戦士なのである。
「やっぱり、やっぱりダメよ! ルナ!!」
「泣いちゃダメ!! 泣いてうさぎちゃんの超音波発したら、不安定なそっちの世界にいるみんなが、助からないかもしれないわ!!」
泣き出しそうなセーラームーンを、ルナが必死に宥めた。本当にそうなるかは分からなかったが、少しでも疑いがある以上、うさぎに超音波を出させるわけにはいかなかった。
「ムーン・フリスビーよ! うさぎちゃん!」
今のルナにできることは、うさぎをコントロールして戦わせることなのだ。
ルナに指示されたセーラームーンは、ムーン・フリスビーをジェダイトに向けて放った。しかし、ただ放り投げただけのフリスビーが、ジェダイトに命中するわけはなかった。ジェダイトは拘束していたレイを突き放すと、余裕の表情でフリスビーをキャッチした。だが、その余裕がジェダイトの命取りとなった。フリスビーをジェダイトが掴むことは、ルナの計算尽くだったのである。
「ひっかかったわね!!」
ルナはポケット型コンピュータのキーを操作した。フリスビーは変形し、そのリングの中にジェダイトを取り込んだ。
「なにっ!?」
体を拘束されたジェダイトだったが、それでも魔力は使うことができる。衝撃波を放って、トドメを刺そうと接近してきたセーラームーンとマーキュリーのふたりを弾き飛ばした。
「これで勝ったつもりか!?」
ジェダイトはパワーを込めて、自分を拘束しているフリスビーを強引に破壊しようと試みる。その凄まじいパワーに、フリスビーが悲鳴を上げている。破壊されるのも時間の問題だった。
その時、ルナは次なる賭けに出た。
「亜美ちゃん、さっき渡したペンを! 一か八かよ!!」
ルナは先程、司令室で亜美に変身ペンを渡していた。もちろん、確証などはなかった。だが、ルナはレイから感じた未知なる神秘の力に、全てを委ねるしかなかった。自分の勘が間違っていれば、ここでセーラームーンもマーキュリーも失うことになる。
ルナは祈った。
投げられたペンは光を放った。
ゆっくりと、スローモーションの映像のようにレイに向かって宙を舞う。
レイの額にマークが浮き上がった。戦いの戦士の印。高貴なる火の国の王女の紋章。
レイの体が炎に包まれる。灼熱の炎に包まれた赤きセーラー戦士が、そこに誕生した。
「フォボス! ディモス!」
赤きセーラー戦士は、そのしもべを通常空間から召還する。体を拘束するフリスビーを破壊しようと、凄まじい抵抗をしているジェダイトを、二羽のカラスが牽制した。
「なに!? あの少女が!?」
自分が目を付けた少女の変わり果てた姿―――いや、真の姿にジェダイトは目を見張った。
「あなたは………!?」
その姿を見たとき、ジェダイトの脳裏に何かが閃いた。失われた記憶がリークする。
「あなたは、プリンセス………!」
自分が何故、この少女に惹かれたのか、ジェダイトはようやく理解した。かつて自分が憧れた抱いた女性に、この少女がよく似ていたからだったのだ。いや、似ていたのではない。本人( だった。)
だが、今となっては全てが遅かった。ジェダイトはかつて自分が憧れた女性の手によって、その命を絶たれる結果となったのである。
「ジェダイトが!」
水晶で戦いの一部始終を見ていたネフライトとゾイサイトは、茫然とするしかなかった。
「我ら選ばれたる四天王のひとり、ジェダイトを倒すとは………」
ジェダイトは戦士としては優秀だった。そのジェダイトをあっさりと倒されてしまったのである。ふたりが茫然とするのは仕方のないことだった。
ジェダイトが立てた今回の作戦は、恐らく失敗するだろうとネフライトは考えていた。しかし、ジェダイト本人が戦死するような事態になるなどとは、考えてはいなかったのである。
「セーラー戦士侮りがたし………。だな」
低い声が背後で聞こえた。振り返ると、白銀の長髪を持つ体格のいい青年が、冷たい視線を自分たちに向けていた。
「クンツァイト………」
ネフライトは、その青年の名を無意識のうちに呟いていた。
レイの放った凄まじい炎で、空間に歪みが生じて不安定となった。三人はルナの指示で、囚われた人たちを一カ所に集めると、通常空間へテレポートを行った。
囚われていた人たちは、全員無事に救出することができた。仙台坂上バス停で意識を取り戻した彼らは、もちろん困惑することとなるが、うさぎたちはそれ以上干渉することはやめた。報道機関が大騒ぎするだろうが、囚われた人たちに自分たちの姿は見られていないはずだから、何故突然、仙台坂上バス停にいたのかなど説明できるはずもない。
司令室に戻ってきたレイは、まだ自分の身に起こったことが信じられなかった。
「この恰好は………」
奇抜な自分の姿に、ただただ困惑する。
「レイちゃん―――火を自在に操るあなたは、火星の守護を受けるセーラーマーズよ。選ばれた戦士なの!」
「戦士!?」
ルナの説明を受けて、レイは再び驚くことになる。自分が「戦士」だなどと言われても、にわかに信じることはできない。しかし、記憶の片隅で何か懐かしいような感覚が、同時にレイを包んでいた。
「あたしたち、仲間よ。レイちゃん」
「捜していたの。あなたみたいな戦士の仲間を!」
自分と同じような姿をしたうさぎに続いて、マーキュリーが言った。
―――そう。マーキュリー。彼女はセーラーマーキュリー。
初めて会ったにも関わらず、レイにはその自分と同じ戦士の名が分かっていた。それが、自分の記憶の一部が呼び覚まされたからだと気付くのに、さして時間は掛からなかった。
「あなたが見つかってうれしいわ。セーラーマーズ」
うさぎの腕に飛び乗ったルナが、本当に嬉しそうにそう言った。
「あたしがセーラーマーズ。他人と違う力があったのは、戦士だったからなの………?」
レイはこの時、自分の運命が大きく変わってしまったことを知った。何の変化のない日常。退屈な日々。以前と変わらない生活を、これからもずっと続けていくのだと昨日までは思っていた。自分に与えられた力は、この時のための力。
―――あたしはセーラーマーズ。火の国の王女。あたしの使命は………。
何か重大な使命があったはずなのだが、この時のレイには、まだそれが何だったのかは思い出せなかった。
ただ、うさぎの笑顔が心地よいと感じるだけだった。
To be continued...