血色の十字軍・番外編 〜galaxia story's〜
地球人の体は、どうしてこうも融通が利かないのだろう。
銀河なびきは、ふかふかのソファーに背を押し付け、開け放たれた窓から、階下の庭をぼんやりと眺めていた。
地球人としての銀河なびきは、とても病弱だった。普通に生活を送っている分には特に不都合はなかったが、激しい運動などはできない体だった。生まれつき、心機能が弱かったのだ。
高校三年生の昨年、高校生活最後の体育祭ということもあり、医者と両親の反対を押し切ってクラス対抗リレーに参加した。このリレーだけは紅白に分かれた縦割りのチームではなく、三学年のみがクラスの威信を懸けて競う特別な競技だった。なびきにとっては、自分のクラスのために何かができる、最初で最後のチャンスだった。だから、周囲の反対を押し切ってまで参加したのだ。見事白いテープを切ってゴールインした時の感動は、最後まで忘れなかった。
体育祭の夜、自宅で発作を起こして倒れ、病院に担ぎ込まれた。二学期はそのまま病院で残りを過ごし、その後一時帰宅の許可が出たので、自宅で年を越した。
三が日を自宅で過ごしたあと、再び病院に戻った。
銀河なびきは、最後までT・A女学院の卒業式に出席することを夢見たまま、一月の末に帰らぬ人となった。
器を求めて彷徨ってたギャラクシアが、銀河なびきを見付けたのは、正に偶然としか言えなかった。この世に未練を残して逝ったなびきの心が、ギャラクシアを呼び寄せたのかもしれないが、確認する術は何もない。
銀河なびきは、たったひとり病室で、誰にも看取られることもなく、眠るようにして息を引き取っていた。苦しまなかったことが、せめてもの救いだったのかもしれない。
魂が抜け、もぬけの殻となっていた銀河なびきの体を見付けたギャラクシアは、彼女の体と融合することにした。顔立ちや体型も、自分とよく似ていたので不満はなかった。
ただひとつ不満があるとすれば、心機能の弱さが残ってしまったということだった。
「あの世とやらで、お前は怒っているのだろうな……」
壁に掛けられた楕円形の鏡に目をやり、そこに映っている銀河なびきの顔を見ながら、ギャラクシアは苦笑する。
本物の銀河なびきは、安息の地へ行けたのだろうか。ふとそんな考えが頭を過ぎり、そしてまた苦笑する。
融合を果たした際、銀河なびきの体に、まだ彼女の記憶は残っていた。お陰でギャラクシアは、銀河なびきになりきることができた。勝手の分からぬ地球である。ひとりで生活を送るよりは、地球人として生活していた方が、何かと便利だと考えた。だから、ギャラクシアは、銀河なびきになることに決めた。病室を抜け出すこともできたのだが、そのまま居続けることにしたのだ。
ギャラクシアのサッファー・クリスタルのパワーを得た銀河なびきの体は、みるみるうちに健康を取り戻し、二月の中旬には晴れて退院することができた。
彼女が夢見ていた「卒業式」とやらに、間に合うことができたのだ。
T・A女学院の卒業式を終えて帰宅したなびきは、本来の銀河なびきの為に、自室で卒業式を行った。鏡の前に立ち、自分に向かって卒業証書を渡した。
自分らしくないと思いながらも、自分が銀河なびきにしてやれるのは、そのくらいしか思い付かなかったからだ。
その時、鏡の中の銀河なびきは、自分に対して笑いかけてくれたような気がした。
ギャラクシアにとって幸運だったのは、銀河なびきの自宅が三田にあるということだった。月野うさぎのいる麻布十番と、思いの外近かったのである。ギャラクシアは銀河なびきとして生活をしながら、月野うさぎを守ることができると、ひとりほくそ笑んだものだった。
困ることと言えば、銀河の家が資産家だということだった。ひとりで行動するには、何かと不都合が生じる。中でも自分付きのメイド飛田狸( 真亀) ( は、とても厄介な存在だった。飛田狸はなんと、彼女が十三歳の時からなびきの世話係を務めている。今年で十五年目に突入する。良くも悪くも、肉親より近い存在だった。その飛田狸、なびきにベッタリだから厄介なのである。)
「早いところ、どうにか手立てを考えんと、しばらく外出もできないな……」
なびきは溜め息を付いた。
ブラッディ・クルセイダースの本拠地で、巨大戦艦の波動砲(うさぎ談)の攻撃をひとりで防いだギャラクシアだったが、パワーを使いすぎてしまったのだ。目眩を起こして倒れたのが自宅だったことが運の尽き。また発作を起こしたと思われ、自室に隔離されてしまったと言うわけだ。
元々が心機能の弱いなびきの体なのだから、無理をすればそうなることは予想できたが、まさかこれ程脆いとは、正直ギャラクシアは考えていなかった。サッファー・クリスタルがあるから死にはしないのだが、まる一日行動不能に陥ってしまった。
ベッドに横たわっているなびきに向かって、
「少々お元気になられたからといって、羽目を外しすぎたのです」
と、飛田狸が鼻の穴を膨らませながら、そう説教をした。
そう言うわけで、なびきは現在、外出禁止令が出され、飛田狸の監視下の元、自室で静養を義務づけられてしまったのだ。のんびりと静養をしている場合ではないことは、重々承知しているのだが、如何せん監視が厳しすぎて、一歩も外に出ることができない。
「家から出られないんじゃ、しょうがねえじゃん」
と、まことには言われるし、
「もともとアテになんかしてないから、この際ゆっくり休めば?」
などと、レイには嫌味を言われるし、踏んだり蹴ったりである。
もなかは何度か、見舞いに訪れてくれた。始めて来た時は門の前で門前払いを食らったらしいのだが、二度目はたまたまなびきが窓からもなかの姿を見付けたので、部屋まで招き入れることができた。
「おっきなお屋敷ですねぇ……」
部屋に入ってきたもなかは、開口一番そう言った。自分の家の十倍以上の広さはあると、大きく手を広げてゼスチャーで示した。その時にもなかが持ってきたコンビニで買ったと言うエクレアが、とっても美味しかった。
「どうしたものか……」
なびきが大きな溜め息を付いていると、ドアが軽くノックされた。飛田狸だった。なびきが返事をすると、神妙な顔付きをした飛田狸が、しずしずと部屋に足を踏み入れてきた。いつもと雰囲気がかなり違うので、なびきは「おや」と思った。
「どうしたの? 難しい顔をして……」
なびきはやんわりと尋ねた。この「なびき口調」は、とても疲れる。うさぎたちと会話をする時は、普段の「ギャラクシア口調」でしゃべればいいのだが、銀河の家に拘わる者たちと会話をする時は、そうはいかない。なびきは資産家の令嬢である。つまり、所謂( 「お嬢様言葉」を使うのだ。だが最近は、時々ボロが出てしまい、その度に飛田狸に窘められてしまうことがある。その度に、)
「庶民のお友だちとのお付き合いは、程々になさいませ」
と、釘を差されてしまうのだ。
「実は、なびきお嬢様に、折り入ってお話がありまして……」
飛田狸は、彼女らしからぬしおらしい言葉で、そう言ってきた。いったい何事だろうと、なびきは思った。
(まさか、あたしの正体がバレたとか……。いや、そんなはずはない。地球人に、見分けが付くものではない。だが、待てよ……。この飛田狸は、時々人間離れした行動を取ることがある。もしかすると、とんでもない能力を隠し持っているかもしれない)
一瞬の間に、なびきの思考はフル回転をする。
飛田狸は足下に目を落として僅かに逡巡した後、ガバッと顔を上げた。その辺の突然さは、やはり飛田狸である。なびきは、ちょっとビビッた。
「実は、母が病を患いまして、しばらく実家に戻らねばならなくなりました。旦那様と奥様の許可は、先日頂いております。後は、お嬢様の許可を頂くだけなのですが……」
「なんてこと! すぐにお帰りなさい! 直ちに、とっとと荷物をまとめてお帰りなさい! わたしなら心配はいらないわ。お母様をいたぶって……じゃなくて、労っておやりなさいな」
飛田狸の言葉を遮って、なびきは一気に捲し立てた。
「お嬢様」
「寂しいけど、わたしなら大丈夫だから……」
さも残念そうな表情を作って、なびきは飛田狸の突然の申し出に答える。今にも泣き出しそうな表情をしているなびきなのだが、内心は笑いが止まらなかった。飛田狸さえいなければ、屋敷を抜け出すことは容易だった。父親も母親も、とても忙しい人なので、屋敷にいる時は殆ど無いと言っていい。祖父も一緒に暮らしているのだが、彼はあまりなびきに関心を示さない。自分も特に気にしているわけではないので、実際、屋敷の中にいるのかいないのか分からない幽霊みたいな存在だった。他人の不幸を喜んではいけないと思うのだが、なびきは今、踊り出したいような気分になっていた。
「なんて暖かいお言葉を……」
心の中で舌を出されているなどとは考えもしていないだろう飛田狸は、なびきの言葉に感激して号泣している。
「それで、どのくらい屋敷を離れるの? まさか、もう帰って来ないと言う訳じゃ……」
帰ってこなくてもいいと思いながらも、もちろん口には出さない。
「母の容体次第なのですが、短くても二週間くらいは……」
「まぁ!」
それだけの期間があれば充分だった。飛田狸の言葉を皆まで聞かずに、なびきは両手で口を覆う(笑っているのがバレないように)ようにして、悲痛な表情をしてみせた。
「寂しいわ……」
「わたくしもです。お嬢様」
今生の別れのような表情を、飛田狸はしている。
「さぁ、もういいわ。早くお母様のところに行って差し上げて」
なびきはソファから立ち上がると、飛田狸を部屋から押し出そうとした。いなくなると分かった以上、とっとと姿を消してもらいたい。
「いえ、お嬢様。まだお話が!」
「え!? まだ何かあるのか!? じゃなくって、なぁに、飛田狸?」
平常心。平常心。ここで怒っても仕方がない。
「わたくしの留守の間、お嬢様の身の回りのお世話を任せるメイドを、旦那様に新しく雇って頂きました。奥様からも賛成をしてくださいました」
「ちっ! 余計なことを!」
「は?」
「ううん。なんでもないわ」
なびきはぶるんぶるんと、大きく顔を振った。我慢、我慢。どうせ飛田狸とは、しばらく顔を合わせないのだ。
「ご紹介致しますわ。……お入りなさい」
飛田狸がドアに向かって声を投じると、ゆっくりと開けられ、可愛らしいメイド服に身を包まれた女性がふたり、なびきの部屋にしずしずと入ってきた。
「なびきお嬢様に自己紹介を」
「はい……」
ふたりは緊張した顔を上げる。
「初めまして、なびきお嬢様。守矢亜衣と申します」
「守矢可衣といいます。よろしくお願い致します」
ふたりの女性は名乗ると、深々と腰を折った。どうやら双子のようだった。二十歳は超えていそうな印象を受けるから、自分(銀河なびきとして)より年上になるのだろうと思えた。鼻筋の通った美人である。メイドなどという仕事より、モデルの方が絶対に向いていると断言できる。ふたりとも、身長は百七十センチはある。自分と飛田狸は、彼女たちの顔を見るためには、少しばかり目線を上げなければならない。
「この春、専門の学校を卒業したばかりだそうです。このふたりに、お嬢様をお任せ致します」
「わざわざ、新しく雇う必要はないと思うけど……」
「とんでもございません! 飛田狸が見立てたところ、このふたりはとても優秀です。このふたりなら、安心してわたくしの留守を任せられます」
飛田狸は妙に鼻息が荒かった。
「ま、まぁ。飛田狸がそう言うのなら……」
反対したところで始まらないので、なびきとしては承諾するしかなかった。
次の日、飛田狸は名残惜しそうに屋敷を後にした。門の前まで見送りに来たなびきを抱き締めて、大声でわんわんと泣いたものだ。別に辞めるわけではないのだから、そこまでわんわんと泣くこともないだろうと思いながらも、取り敢えずは泣かせてやることにした。無理に引き留めたら、飛田狸のことだ、気が変わってしまうかもしれない。なびきとしては、すんなりと屋敷を後にして欲しかったのだ。
飛田狸の姿が見えなくなると、なびきは大きくガッツポーズを取った。これで戦線に復帰することができる。なびきは思ったが、その考えはとっても甘かった。
このふたりの新しいメイド、なびきが思っていた以上に手強かったのだ。
「飛田狸様より、なびきお嬢様がお屋敷から抜け出さないように監視するようにと申しつかっておりますので」
と、ふたりは声を揃えてきっぱりと言い切った。その言葉通り、ふたりは四六時中なびきに張り付いた。
なびきの部屋の窓の下にテントまで張り、ひとりはテントで、もうひとりは廊下に寝袋持参で、なびきの部屋を監視していた。これでは夜中に抜け出そうにも、簡単には抜け出すことができない。
「これじゃ監禁だわね。ご愁傷様」
様子を見に来たルナも、この状態に呆れていた。
数日は悶々と過ごした。こうみっちりと監視されていると息が詰まる。屋敷中の人間のスター・シードを抜き取ってやろうかとも思ったが、流石にそれは自重した。
十番病院の消失事件が起こったのは、そんな折だった。
事件の裏に間違いなくブラッディ・クルセイダースが絡んでいると思うのだが、仲間と連絡が取れないので情報が入ってこない。よくよく考えてみれば、うさぎやもなかの自宅の電話番号すら、自分は知らなかった。
屋敷から出ることができないので、うさぎたちが十番病院消失事件とどう関わりを持っているのかも分からない。確か、十番病院には“毛むくじゃら”にされていた女の子たちが収容されているはずだ。そこが襲われたと言うことは、ただ事ではない。
歯痒い思いをしているところに、フォボスとディモスがやってきた。もちろん、カラスの姿でである。
夜中にコツコツと嘴で窓を叩き、なびきに自分たちが来ていることを教えた。昼間に来なかったのは、もちろん目立ってしまうからである。
「……そうか、よく知らせてくれた。礼を言う」
フォボスとディモスから全てを聞かされたなびきは、礼を言ってふたりを送り出した。いよいよもって、部屋の中でじっとしているわけにはいかなくなった。衛の捜索に出発したといううさぎには護衛が付いているというので、ひとまずは放っておいてもいいだろうが、十番病院ごと消息不明となった連中のことが気懸かりだった。ルナが調べていてもすぐには所在が分からないと言うのだから、単純に考えても日本にはいないのではないかと推測できる。
「状況をもう少し確認する必要があるな……」
闇雲に捜索に出るわけにもいかないから、やはりある程度の情報を集める必要があった。
次の日、なびきは強引に外出を強行した。もちろん、メイドふたりもくっついてきた。
銀河家専用のメイド服は、アキバ系のお兄さんが涎を垂らして寄ってきそうなほど、可愛らしいデザインをしていた。来ている者が「美人」ともなると、益々目立つ。商店街の道行く人々全てが、立ち止まって三人を物珍しげに見ているのだが、いちいち気にしている場合ではない。
なびきはゲームセンター“クラウン”の前で立ち止まると、
「友人に会ってくる。ここで待っていろ」
と、メイドふたりに命じた。ふたりの前では、なびきは「ギャラクシア口調」を使っていた。咎められることもないし、何しろその方が気が楽だからだ。
「ここはゲームセンターですが……」
「こんなところに、お友だちが?」
ふたりは胡散臭そうに、“クラウン”の中を物色している。
「わたくしたちもご一緒致します」
きっぱりと言ってきた。
「いや、それはちょっと……」
「飛田狸様からのご命令ですので」
なびきは唸るしかない。“主人”より、“上司”の命令が優先されるというわけだ。余程“上司”が怖いとみえる。考え倦ねていると、
「おやおや、美人のメイドを引き連れて、こんなところまでお散歩かい?」
茶化すような声が投げ掛けられてきた。
「いいところに……」
声を掛けてきたのは、大道寺だった。
「ちょっと話がある」
大道寺と会えたのなら、わざわざ危険を冒して司令室に下りることはない。メイドふたりに付いてこられると困るので、“クラウン”の前で立ち話をすることにした。もちろん、メイドたちからは少しばかり離れ、声を潜める。
「今のところ、何も分かっちゃいないぜ」
なびきが尋ねるより先に、大道寺が言ってきた。
「今、ルナが必死になって調べてるところだ。直に何か分かるだろうが、今のところは何もすることはない」
大道寺は言葉を切ると、シャツのポケットから茶色の手帳を取り出して、その中から一枚の紙片をなびきに手渡した。自分の名刺だった。
「事務所は留守録になっている。用があったら、携帯電話の方に掛けてくれ。あんたにはどうすれば連絡が取れる?」
「フォボスかディモスを使ってくれ」
「電話は?」
「駄目だ。取り次いでもらえない」
「面倒なこって……」
大道寺は大袈裟に肩を竦めると、
「あのふたりは、べったりなのか?」
目線だけでメイドを示した。
「困っている」
なびきも肩を竦めた。
「ま、必要があったら呼ぶから、それまでは大人しくしていてくれ。体の方は大丈夫なんだな?」
「見ての通り」
「分かった」
大道寺は肯くと、“クラウン”の中に入っていった。
「……飛田狸様から頂いたリストにない方なのですが、どちら様ですか?」
大道寺の姿がなくなると、すかさずメイドふたりは歩み寄ってきた。
「リストだぁ……」
なびきはウンザリする。飛田狸は、なびきの交友関係リストを作っていたようなのだ。しかも、顔写真付きと来たから驚きである。
「飛田狸様から、なびきお嬢様をあまり庶民と拘わらせないようにと、申しつかっております」
「飛田狸のやつ……」
なびきは不満そうに、鼻を鳴らした。
情報不足なので待てと言われれば待つしかないのだが、それでもなびきは、部屋でじっとしていることはできなかった。
報道陣や野次馬たちでひしめいているであろう、十番病院(があった場所)に、なびきは向かうことにした。案の定、もの凄い数の報道陣と野次馬だった。ちょうどワイドショー番組の時間帯なのだろう、数人のレポーターが、それぞれのカメラに向かって興奮気味に現状報告を行っているところだった。
十番病院があったはずの敷地には、現在は何も残されていなかった。きれいさっぱり、建物ごと消失してしまっている。
「現代のミステリーですね。病院がそっくりそのまま消えてしまうなんて……」
亜衣の話では、連日トップニュースでこの話題を取り上げているということだった。
「ドイツ行きの航空機が墜落した方の事件は、何か進展があったのか?」
「よくご存じですね」
答えてきたのは可衣だ。
「あちらの方の事故……事件と言うべきなのでしょうか、も、不可解ですわ。機体は爆発しているのに、遺体が全く発見できないばかりか、事故の調査団や取材に行った報道陣も全員消えてしまったようなんです」
可衣は身震いするような仕草をしてみせた。ふたりともこの手の話題が、どうやら好きなようである。他の話題と比べると、格段に口数が多い。
「あら?」
野次馬の中に何かを見付けたのか、亜衣が小さく声を上げた。
「どうした?」
なびきが尋ねると、
「いえ……。あの野次馬の中に、美童様のお姿をお見掛けしたような気がしたものですから……」
「美童?」
なびきは眉を顰めた。
「はい。旦那様のお知り合いの美童代議士でですわ。確か、お嬢様がおひとりいらして、現在、なびきお嬢様がご卒業なされたT・A女学院に在学されているはずです」
「飛田狸様からの資料に、記して御座いましたわ」
「なびきお嬢様も、美童代議士には何度かお会いになっていると聞きましたが……」
「ん? そうだったか?」
なびきは記憶を探る。銀河なびきとしての記憶は、家族や知人・友人の類以外のものは、あまり引き出さなかった。一度に引き出してしまうと処理しきれずに、自分がパニックになってしまう可能性があったからだ。その引き出した記憶の中に、「美童代議士」はなかった。深呼吸をして“気”を集中し、記憶を取り出す。顔が浮かんだ。どうやら、よく知っている人物だったらしい。顔がはっきりと思い出される。「美童のおじさま」と呼んでいたらしいことも分かった。
「ああ、思い出した。何度か屋敷の方にも来たことがあったな」
「はい」
「ひとつ訊いていいか?」
「なんで御座いましょう?」
亜衣と可衣は、身を正した。
「美童代議士の娘の名前、『陽子』と言わなかったか?」
「あ、はい。左様で御座います。お知り合いでしたか? 面識はないと窺っておりましたが……」
ふたりは意外そうな顔をした。確かに、「銀河なびき」の記憶の中には、美童代議士の娘に関する情報は何もなかった。当然面識はないし、話題にも上ったこともないのだろう。
なびきは近くに電話ボックスを見付けると、素早く駆け込んだ。先程もらった大道寺の名刺を取り出し、携帯電話の番号を押す。
「……なびきだ。お前、美童という代議士を知っているか? 何!? お前の依頼人!?」
大道寺を驚かせるつもりが、逆に自分の方が驚いてしまった。
大道寺から事の次第を聞き終えたなびきは、ゆっくりと受話器を置くとほくそ笑んだ。
「置いてけぼりを食ったのは、無駄にはならなかったようだ……」
不思議そうに自分の顔を見ているふたりのメイドに、
「T・A女学院に行く」
短く告げると、先に立って六本木方面へ足を向けた。
T・A女学院は、本校舎以外は殆ど自由に行き来できない状態になっていた。特に、弓道場のあった裏手側は、立ち入り禁止となっている。修復もあまり進んでいないようだ。
「それにしても、誰もいないと言うのは……」
こんな状態だから、夏休み中の部活動は中止なのかもしれないが、女学院の敷地内に人っ子ひとりいないというのも妙な話だった。学生の姿だけが見えないのならまだ分かるが、教職員の姿も、破損した箇所を修復しているであろう業者の姿も、全く見掛けない。
「気味が悪いですわね……」
可衣が身震いした。確かに、不気味なくらい静かだった。
「こっちもやられた可能性もあるな……」
十番病院と同じく、T・A女学院も「人さらい」にあったのかもしれないと思った。ただ、女学院の場合は校舎はそのまま残り、人だけが消えてしまった。
「き、気味が悪いですわ。帰りましょうよ、お嬢様」
亜衣は既に逃げ腰である。昼間だからよいものの、これが夜中だったら間違いなく幽霊でも出そうな雰囲気である。
「おやおや、また獲物かい……。様子を見に来ただけなのに、また土産が持って帰れるのぅ」
嗄れた声が聞こえてきた。亜衣と可衣は小さく悲鳴を上げて、なびきの後ろに隠れてしまった。
「めんこい娘さんたちじゃ……。スプリガン様もお喜びになるじゃろう」
なびきは声のした方に目を向けた。腰が九十度も折れ曲がった老婆が、上目遣いで自分たちを見ていた。横溝正史の作品になら違和感がないかもしれないが、セーラームーンでは多いに違和感がある。ここはT・A女学院の敷地内だ。こんな老婆が散歩しているはずがない。
「今、獲物と言ったか?」
「ああ言ったよ」
老婆はニタリと笑った。総金歯だった。背後で亜衣と可衣が、「お嬢様逃げましょうよ」と震える声で言っているが、無視をした。
「学院のやつらをどこにやった? いや、学院だけじゃないな。病院の方もだ」
「んん? お前さん、なんか変じゃな……。何か知っとるな?」
老婆の顔から、笑みが消えた。
「知っていたら、どうだと言うんだ?」
「度胸がいいのか、怖い者知らずなのか……。どれ、少し脅かしてやろう」
老婆はくわっと口を開いた。鋭い牙が生えてくる。
「なるほど。やはりブラッディ・クルセイダースか……」
「ぬ!? なんで、その名を知っている!?」
「さぁ……。なんでかな」
なびきは不敵に笑った。亜衣と可衣が相変わらず背後で騒いでいるが、無視し続けた。
「まぁよい。捕らえて吐かせればよいことだ」
「そうはいかない」
なびきが構えた時、老婆の姿が更に変貌した。なびきに向けられていた双眸が、は虫類のそれに変わり、皮膚には銀色の鱗が浮く。口からは先端が二股に別れた細長い舌が、チロチロと覗いている。
「蛇の目の魔女じゃ。覚悟をし、小娘」
「お前なんぞに小娘呼ばわりされる謂われはない。悪いが、あたしはお前なんかよりも長く生きてる。百歳そこそこの小娘が、あたしに偉そうな口を叩くんじゃない」
なびきの中のギャラクシアが、鋭く言い放った。
「訳の分からんことを言う小娘だね。ふん。三人まとめて、黙らせるとしよう」
「ちっ……」
なびきは舌を鳴らした。亜衣と可衣のふたりが自分の背後にいることが、どうやらアキレス腱となりそうだった。ふたりを連れてきてしまったことを今更ながらに後悔したが、今となっては後の祭りである。蛇の目の魔女がどういった攻撃方法を取ってくるのか全く予想できないから、事前に準備することもできない。どんな攻撃が来ても対応できるように、ギャラクシアに変身しておく必要がありそうだった。それに自分が変身すれば、相手を動揺させることもできるだろう。
(あたしもアマちゃんになったもんだ)
心の中で苦笑した。今までのギャラクシア( だったら、亜衣と可衣のふたりを犠牲にしても、敵を倒すことに専念しただろう。しかし、今は違う。ふたりを傷付けないことを最優先に考えている。それもこれも、うさぎという存在と出会ったからだろうと思う。うさぎと出会ってから、ギャラクシアは変わった。と言うより、本来の自分を取り戻したと言うべきか。自分が忘れていたものを思い出させてくれたのが、セーラームーン=月野うさぎだったのだ。)
「お前たち。あたしに構わず逃げろ」
なびきは振り向かずに言った。そう言い置いて、前方に向かって走った。
先手必勝。攻撃される前に、こちらから仕掛けたのだ。
だが、五メートル程走ったところで、急に胸が苦しくなった。なびきの肉体は、まだ完全に治っていなかったのだ。その僅かな遅れが、蛇の目の魔女に先に攻撃を許す結果となってしまった。なびきにとって運が良かったのは、蛇の目の魔女が、自分たちの命を奪うつもりがなかったと言うことだった。第一目的は、あくまでも捕らえること。だから、攻撃にも手加減が加えられていた。
なびきは衝撃波で、僅かに後方に飛ばされるだけに留まった。だがそれでも、なびきの肉体が受けたダメージは相当なものだった。心臓が焼けるように痛んだ。体に力が入らない。言うことを聞かない。
「ギャラクシアにならなければ、あたしはまともに戦うことができないって言うのか!?」
自分の体を叱咤するつもりで吼えたが、それでも体はまともに動いてはくれなかった。
ギャラクシアの姿になれば、この場をどうにか切り抜けられるかもしれない。しかし、そうなると、自分の正体が亜衣と可衣のふたりに知られてしまう。
「……だが、仕方ないか……」
銀河なびきとしての生活も、もうこれで終わりかと思った。短い間だったが、地球人としての生活も悪くなかったと思う。
「ギャラクシア・エターナル……」
「お待ちなさいませ!!」
なびきがギャラクシアに変身しようと覚悟を決めた時、亜衣と可衣のふたりが自分の前方に躍り出てきた。どこで見付けてきたのか、亜衣はデッキブラシを可衣はモップを手にしている。
「ば、馬鹿! 逃げろと言ったろう!?」
「いいえ!! お嬢様を置き去りにして、逃げるわけには参りません!!」
ふたりはそれぞれの武器を構え、なびきの前で仁王立ちとなる。
「この妖怪変化!! このお方を銀河財団のご息女と知っての狼藉か!?」
「我らがいるかぎり、お嬢様には指一本触れさせません! お覚悟なさいませ!!」
ふたりは手にした武器をブンブンと振り回し相手を威嚇しているが、如何せん相手は並の人間ではない。普通の人間が、まともに戦える相手ではないのだ。
「元気が良すぎるのも困りものじゃ。うるさいから、少し大人しくしておれ」
蛇の目の魔女は、衝撃波を放った。もちろん、捕らえるつもりだから、威力は極力抑えてある。殺してしまっては、元も子もないからだ。そういう点では、ふたりはとてもラッキーだった。
「ぐぬぅ!!」
ふたりは呆気なく後方に吹き飛ばされ……なかった。なんと、鬼神の如くその場で踏み止まり、蛇の目の魔女の衝撃波を耐えてしまったのだ。
「ほえ!?」
驚いたのは蛇の目の魔女の方だ。まさか、衝撃波に耐えるとは思っていなかったからだ。
「きえぇぇぇぃぃぃ!!」
蛇の目の魔女の攻撃を耐えたふたりは、奇声を発しながら武器を振り上げて挑み掛かった。だが、何の策もなくただ突っ込んでいくだけの戦法など、蛇の目の魔女に通用するはずもない。
「お前さん方を、侮りすぎたようじゃ」
気を取り直した蛇の目の魔女は、両手から球体を放つ。結界だった。
「残るは、ひとり……」
亜衣と可衣のふたりは、一瞬で球状の結界の中に封じ込まれてしまった。蛇の目の魔女は、なびきに目を向けると、ひひひと愉快そうに笑った。
「くっそぉ! 動けぇ! あたしの体ぁ!!」
なびきの体が、青白い閃光を放つ。なびきの状態のまま、サッファー・クリスタルのパワーを使ったのだ。
「ギャラクシア・エターナル・パワー!」
「観念おし!」
またも蛇の目の魔女の手から、球状の結界が打ち出された。なびきが変身するよりも先に、結界の中に封じ込められてしまう。
「お嬢様ぁ!!」
亜衣と可衣のふたりが、結界の中で叫んだ。抜け出そうと藻掻くが、強力な結界は人間の力ではどうしようもない。
「お嬢様ぁ! しばしのご辛抱を!!」
「今、お助けにあがりますぅ!!」
「ぎゃあ、ぎゃあ、やかましい!!」
結界の中に電撃が走った。電撃に打ちのめされ、亜衣と可衣が悲鳴を上げる。
「亜衣! 可衣!! こんな結界ぃ!! この程度の結界、破れなかったら、レイとまことに笑われる!!」
なびきの体が、凄まじい光を放った。サッファー・クリスタルの青白い光が、亜衣と可衣の体を貫く。
「!?」
その時、亜衣と可衣の体の中で、何かが弾けた。
この光は、あのお方の光。
そうだ。
あたしたちは、あのお方を追って、この星に辿り着いた、星のカケラ。
今こそ、封印された我らが力を解き放つ時―――。
「何!? わしの結界を破っただと!?」
蛇の目の魔女は目を剥いた。三人がほぼ同時に、生身のまま結界を打ち破ったからだ。
「お前たち……?」
なびきも信じられない光景を見ていた。亜衣と可衣のふたりが、結界を破壊して外に出てきたからである。チラリと自分を見てきた亜衣と可衣のふたりの横顔に、なびきは見覚えがあった。今まで気が付かなかったが、ふたりは彼女たちによく似ていた。
「なびき様。ここは我らにお任せを」
亜衣は二つ折りタイプの携帯電話を、可衣はターン式の携帯電話を手にする。
「セーラー・パルス・パワー! メイク・アップ!!」
蛇の目の魔女を倒したふたりは、なびきの元へと歩み寄ってくる。
「お久しゅう御座います。ギャラクシア様( 」)
ふたりはなびきの前で、片膝を付いて畏まった。
「久しいな。またお前たちに会うことができて嬉しい。また、あたしに力を貸してくれ」
「もちろんです。我々ふたりは、常にギャラクシア様とともにあります」
「ありがとう。アテにしているぞ」
なびきはふたりの顔を見つめながら、ニヤリと笑った。ふたりも笑みを返す。
銀河なびきとしての生活を、どうやらまだまだ続けられそうである。
ってことで、ごめんなさい「本編」ではなく「番外編」です。
このお話が何故「番外編」なのかと言うと、メイドふたりが登場しているからです。「本編」にしてしまうと、このふたりもストーリーに絡めなければならなくなってしまうため、「番外編」としました。これ以上、「本編」の方に助っ人キャラを増やしたくなかったので・・・。
ただこのふたり。今後も登場しないというわけではなく、「十字軍」の次の作品ではしっかりと出てくる予定です。
ふたりの変身ツールは、なんと携帯電話! φが二つ折りタイプでΧがターン式なのは、分かる人には分かってしまうギャグですね(笑)
展開的には、のちに公開される第106章へと続くお話になっていますので、ちらりと登場した「美童代議士」の名前は覚えておいてくださいね!
アイコン:あんこ様