せつな、NASAへ


 成田空港。
 アタッシュケースを持ったせつなの前に、うさぎとレイ、まこと、ほたるの四人がいた。
 うさぎの手には、バスケットが握られている。例によって、ネコの姿のルナが押し込められているのだろう。恐らく、バスケットの中のルナは、何故人の姿で来なかったのか、後悔しているに違いない。
「ごめんね。こんな状態の中で、あたしが離脱するのは、本当はいけないと思うのだけれど………」
 シンプルな薄いピンクのスーツを着込んだせつなが、視線を足下に落とした。ブラッディ・クルセイダースとの戦いは、これからが正念場だった。その中にあって、年長者である自分が戦線を離脱してしまうのは、大変心苦しかった。
「気にしないで、せつなさん。せつなさんがこれからやろうとしていることは、絶対にあたしたちにプラスになるから」
 そう言って、うさぎは笑みを浮かべて見せた。仲間は全員、せつながやろうとしていることに理解を示した。せつながやろうとしていることは、のちのち必ず自分たちのプラスになる。そして、それは今でなくてはできないことなのだ。
「なびきは大丈夫なの?」
 せつなとしても、先日の戦いで傷付いたなびきのことは、非常に気懸かりだった。
「戦える状態ではないことは確かです。でも、大丈夫。あたしたちが、しっかりとうさぎともなかを守りますから。せつなさんは、安心してNASAに行ってください」
 まことは得意げに力瘤を作った。
 「カテドラル」の強烈なエネルギー砲を防いでくれたギャラクシアだったが、彼女自身も深手を負ってしまったのだ。セーラームーンたちが無事な状態でいられるのも、ギャラクシアの活躍があったればこそである。彼女の青金石(サッファー)クリスタルのパワーのお陰で、セーラームーンたちは生き延びたと言えるのである。しかし、その代償は大きなものだった。青金石(サッファー)クリスタルのパワーを解放した影響で、ギャラクシアは当分は戦える状態ではなかった。手傷も負ってしまった。「カテドラル」の強烈なエネルギー砲は、青金石(サッファー)クリスタルのパワーを持ってしても、完全に防ぎきれるものではなかったのだ。ギャラクシアの体力が戦闘に耐えられる状態に回復するには、まだしばらく時間が必要だった。現在は自宅で療養中である。
「そう………」
 はりきって見せるまことに笑みを返す反面、せつなは不安げに視線を落とした。戦闘能力の高いギャラクシアが戦えない状態であることの意味が、充分すぎるほど分かっていたからだ。
 加えて、タキシード仮面とジェダイトが戦列を離れることが分かっている。治癒能力の高いタキシード仮面と戦闘能力の高いジェダイトの離脱は、セーラー戦士たちにとってはかなりのマイナス要因であった。能力的に不安定なセーラーサンと、能力未知数のアース、覚醒しきれていないカロンと、そして能力の全く分からないオペラ座仮面は、戦力として計算することは難しいことだった。
「大丈夫よ、姉さん。心配しないで!」
 ほたるの笑顔は、せつなを勇気付けてくれる。いつだってそうだった。せつなが苦しい時、ほたるの笑顔が唯一の救いだった。彼女の無邪気な笑顔が、せつなの元気の元だった。一緒に生活していたのは僅かだったが、本当の妹のように思っていた。
 救出された土萠教授は、麻布近辺に家を購入した。共に救出された香織と、そしてほたると三人で、新しい生活を始めることになっている。
 せつなが安心してNASAに行くことができるのも、土萠教授が現れてくれたお陰でもある。ほたるは、「冥王ほたる」から「土萠ほたる」に戻ったのだ。
「姉さん。気を付けてね………」
 危険な場所へ赴くわけでもないせつなに向かって、ほたるは何故かそのような言葉しか出てこなかった。それでも、気持ちは充分にせつなに伝わっていた。
 せつなはほたるの顔を真っ直ぐに見つめ返すと、優しげな笑みを浮かべながら頷いてみせた。
「すまん、遅刻だな………」
 そう言って姿を現したのは、宇宙翔だった。並んで歩いているのは、彼の妻の姫子だった。
 せつなをNASAへと誘ったのは、他でもない翔だったのだ。
(わたる)君は一緒じゃないんですか?」
 翔のひとり息子の航が、見送りに来ていないことを知ったせつなが、不思議そうに尋ねた。
「俺が家を空けることは珍しくないから、わざわざ見送りさせることもないだろう?」
 翔はあっさりと答えた。
「別れが辛いのよ。笑顔で『パパ行ってらっしゃい』とか言われると、情が湧いてNASAにはいかないなんて言い出すかもしれないでしょ?」
 姫子が意地悪そうに小声で付け加えた。
「姫ぇ。どうしてそういう余計なことを………!」
「いいじゃないのよ! 別にねぇ?」
 姫子は同意を求めるような視線を、せつなに向ける。せつなは微笑して答えた。釣られるようにして、他のメンバーも笑みをこぼした。
 姫子はせつなを見送りに来た彼女の知り合いたちを、何気なく見渡した。姫子の視線がうさぎと同一線上に並んだとき、彼女の表情に変化が現れた。
「? お会いしたことあったかしら?」
 姫子の記憶の中に、うさぎによく似た人物のシルエットが浮かび上がっているのだが、それが誰だったのか、彼女は思い出せないでいた。
 正確に言えば、彼女はうさぎとは会ったことはない。彼女が会ったことがあるのは、セーラームーンなのだ。だから、うさぎと会っただけでは、姫子はセーラームーンのことを思い出せないのだ。
「うさぎちゃん、ここから出して。姫子さんにもきちんと説明する必要があるわ」
 うさぎの持つ、バスケットの中からルナの声が聞こえた。翔と姫子には、自分たちの正体を知ってもらう必要がある。ルナはそう判断したのだ。
 うさぎは屈み込むと、バスケットの蓋を開けた。遠慮がちに、中からルナが姿を現した。もちろん、ネコの姿をしている。
「お久しぶり………。翔さん、姫子さん………」
 ネコのルナは、遠慮がちにふたりを見上げた。
「ルナ?」
 始めに口を開いたのは、翔だった。
「ルナ!? じゃあ、あなたは、もしかして、セーラームーン!?」
 次いで姫子が、自分の記憶の中のセーラームーンと、うさぎとをダブらせた。人の言葉を話す、不思議なネコ―――ルナの飼い主は、彼女の記憶の中ではセーラームーンのはずだった。
「せつなちゃん。もしかして、あなたも………?」
 驚きに目を見開いたまま尋ねる姫子に、せつなはゆっくりと頷いて見せた。
「なに? 何のことだ?」
 翔には、まだ姫子が何のことを言っているのか理解できない。
「説明は、機内でします」
 困惑している翔に、せつなは言った。飛行機の出発時間が迫っていた。この場でゆっくりと説明している時間はない。
「ひとつだけ訊かせて………」
 姫子が訊いてきた。
「あなたたちが動いていると言うことは、地球に危機が迫っているということなのね? 今騒がれている事件と、翔の調べようとしていることが、何か関係してるの?」
 姫子は勘のいい女性だった。そして、かつて地球を彗星―――プリンセス・スノー・カグヤの衝突から救ったのも、セーラームーンたちであることを知っていた。
「いいえ」
 せつなはかぶりを振った。
「現在騒がれている事件と、翔さんは関係していません。ただ、翔さんの発見した事実が、のちのち何かに影響を及ぼす可能性があります。ですから、一緒に調べてみようと思ったのです」
「翔さんが二度目に発見した、謎の天体が気になるの」
 ルナが付け加えた。それを調べるには、NASAのような技術スタッフが必要なのだ。
 翔は最近になって、ふたつの新天体を発見していた。ひとつは惑星ヴァルカン。長い間仮説でしかなかった惑星を、翔は発見した。惑星ヴァルカンの発見は、守護戦士であるセーラーヴァルカン復活の兆しだとも思えたが、もちろん、今のところセーラーヴァルカンは復活していない。
 そして、もうひとつ発見した巨大な惑星が問題なのだ。気付いたときには、太陽系の内側深くに侵入していた。外部からの侵入者を監視するウラヌス、ネプチューン、プルートの三戦士が、全く気が付かなかったのだ。もちろん、ウラヌスとネプチューンは現在日本にはいないので、確認することはできない。しかし、外部太陽系三戦士のひとり、セーラープルートはこの場にいるのだ。彼女は、その惑星については全く気が付かなかったと言う。そんなことは、普通ではありえないことだった。なんらかの外的要因が絡んでいると感じられた。
 現在、翔の二度目に発見した新天体については、公表は伏せられている。NASAからの指示であった。謎の部分が多いため、公表は暫く見送らせて欲しいとの連絡を受けている。だから、翔が発見した謎の天体については、知っている者はごく僅かな人物に限られていた。東京湾天文台の人間でも、知っている者は少なかった。
「地球の危機だの何だのって、一体何を言っているんだ!?」
 翔が分からないのも当然である。姫子に釣られて、ネコの姿のルナと会話をしている翔だったが、彼はルナが人の言葉を話せることを知らない。夢の中で、人の姿をしたルナと話をしたことがあるだけである。翔自身は、その出来事は夢だと今まで思っていた。
「全てを説明するには、今は時間がありません」
 せつなは言った。
「また、『侵入者』なの?」
「恐らくは………」
 姫子の言葉に、ルナは頷いて見せた。
「『侵入者』? エイリアンか!? 大丈夫なのか?」
 翔は表情を堅くした。「侵入者」という言葉に、敏感に反応を示した。翔は地球外知的生命体の存在を肯定する側だった。だから、侵入者=エイリアンという図式がすぐに頭に浮かんで来るのである。
「大丈夫よ。例え何が起ころうとも、彼女たちが地球を救っちゃうから………。あのときみたいにね」
 姫子は不安そうな表情の夫にそう言うと、うさぎに向かってウインクした。セーラームーンたちの力は、彼女はよく知っているつもりだった。プリンセス・スノー・カグヤを葬った瞬間を目の当たりにしている姫子にとって、セーラー戦士たちは絶対的に信頼できる相手だった。
「機内でちゃんと説明してくれよ」
 翔は苦笑いを浮かべながら、せつなに視線を向けた。自分だけ蚊帳の外のような状態であることが、少々不満のようであった。
「姫、向こうに着いたら連絡する。そしたら、お前の知っていることを話してくれよ」
 次いで翔は姫子に目を向けた。自分の知らない事実を、姫子が知っていることは明らかだった。せつなの連れの女の子を、「セーラームーン」と言ったことも気になる。そして、せつなに対しても、「あなたも」と言っていた。
「目の玉が飛び出るくらい驚くわよ、きっと………」
 姫子は大袈裟に肩を竦めて見せた。
「日本は任せたわ」
 せつなは見送りに来ているメンバーと向き合っていた。うさぎ、レイ、まこと、そしてほたるの四人は、せつなの言葉に対して、決意を込めた表情で肯いていた。

 翔とせつなはNASAへと出発していった。
 それは全く別の、壮絶な戦いへの幕開けでもあった。
 しかし、それを知る者は、今はまだいなかった。謎の巨大組織ブラッディ・クルセイダースが、彼女たちの当面の戦うべき相手なのだから………。